【酒池肉林】殷の紂王【封神演義】
力は素手で猛獣で渡り合うほどの怪力に頭脳明晰、弁舌さわやか。
その素質をひたむきに悪のみに邁進させた稀代の悪王、紂。
妊婦の腹を割き胎児を眺め、賢人の心臓には七つの穴があると称して胸を裂く。
諌める者は焼いた銅の柱に抱きつかせて殺し、その死体は塩辛や干し肉に加工・・・
まさに悪の英雄ではございませぬか! まぁもう紂王と妲妃の話は作り話ってのは明白だよなぁ
実際に殷が何らかの理由で疲弊して周を中心とする連合軍に負けたのは事実だろうけど
夏 殷 周 で言えば殷の統治が最も安定してたと思うんだがここまで叩かれるのはやはり
王権簒奪した周が徹底的に殷を貶めたからだろうね 何らかの理由って東夷征伐を繰り返したからだよ。紂王こと帝辛の時代にはむしろ国力が伸びていたんだけど
東方の経略に気を取られている隙を突かれた。 滅亡寸前に最大版図、戦の連続で国が疲弊ってのは呉王夫差のパターンか 紂王さんと夏の最後の王(名前忘れた)は後世に伝えられるような資料が誤認されたり司馬遷の史記でもすこし事実と異なっている部分がありました 夏の最後の王は桀(けつ)。しかし桀の話は紂王の話に似過ぎていて不自然。
西周の時代に作られた紂王伝説を元に、もっと後に創作された疑いが有る。 >>33
全員ィイイイイイン 死刑ェエエエエエエエエエエエエエエ!! ぐり〜ん 聡明で勇猛
自分以外の奴らが馬鹿に見えて仕方がない
後漢の劉秀は聡明で勇猛だったが思い上がりがなかったな >>25
正直、藤崎封神を読んでるとあまりキャラに感情移入できません
横光本人も楽しんで描いてたのかな? 東京都知事時代には毎日酒池肉林の生活だった。
遺産相続50億円。
逃げるが花 紂王は神話だな
中国史において商ー周ー春秋がルーツ神話で王国とかは神話、ブンドと人口上ありえない
中国は実質戦国から人物や歴史がはっきりして、それ以前は作られた歴史、加筆された歴史で
せいぜい周の主張がいたという歴史が周王朝史観に曲解されてるが間違い
また一般論として中原ルーツ=周に求めるがこれも明らかな間違いで、中原の歴史は西安ー秦からとみなすのが歴史学的にただしい 宮城谷紂王は開明的すぎて周りがついてこれなくなった君主って扱いだったな 伝統の祭礼に注力しすぎての負担増も指摘されているから開明とは真逆だろう でも生贄の人間の代わりにはにわにしたんでしょ
生贄というより殉死かな >>102
殉死をやめて埴輪にしたのは日本の話だろう。 殉死の停止、というより帝辛代の甲骨文に
「祭祀の犧牲の羌の数を減らしてもおK?」
というのが発掘されていて、帝辛こと紂王はそれまでの人間の犠牲を全廃は無理だけど数の削減をしようとしていたらしい。
ただ、その分帝辛時代の祭祀の回数はその占いの卦辞甲骨文の出土数から先代までよりも増えているそうなので、単に犠牲の羌が祭祀の回数に間に合わなくなって足りなくなり
それで数を減らして祭祀していいか神に問うた可能性もある。
因みに周に入ってから人間の犠牲は止めたという俗説があるけど、実際には成王の治世頃(周公旦の時代)の地層から数十人の人間の犠牲の痕があり
周初期は周でも人間の犠牲を捧げていたのが最近では判明している。 お供えは近くの異民族羌を狩ってきて数を揃えるから数を減らしたくなるのは当然だ。
それは人命を重んじたからとは言い難い。そもそも人間と思ってるかどうかすら怪しい。
現代の感覚で考えてはいかん。 ちなみに「羌」という字は二本足の羊と言われている。そういう扱い。 >>108
殷の庶民生活自体が考古学上からもよく解らないから、庶民の祭祀で人牲を捧げてたか自体分からない。
少なくとも犠牲の大量発掘されるのは王墓など王家関連らしいと見られる所のみだから、人牲は王家専祀の供物だった可能性が高いけど。
でも殷があった頃はそんな案配だから差別意識程度は庶民もあったかも、というかそもそも「羌族を人間と思ってなかった」かと。 まあ、殷人の羌に対する感覚は近代の白人のアボリジニに対するものに似てるかもしれない。
オーストラリアの白人のアボリジニ狩りって殺人を犯しているなんて感覚はちっともなかっただろ。 アポカリプトっていう、原始生活をおくる原住民を狩って生け贄にするマヤ文明の映画がAmazonプライムであったから観たんだけど、まさにこんなかんじだったのかなと思った >>109
殺人は悪いことだと言いながら人肉を食べるんだからね どうしても偽善者を生んでしまう後漢の郷挙里選。
後漢の皇帝が、親政ができなくなると、途端に偽善者で、
実際の実力のない者が力を握る。
第二、第三の王莽が力を握るわけである。 >>108
奴隷は人間じゃないから
労働に使ったり、性処理に使ったり、苦しめたり頃して遊ぶ対象
アメリカでさえ黒人女性に産ませた自分の子供を平気で売り飛ばしていた >>113
人間だと思っていないから
桓武天皇も死刑廃止と言っていながら
阿弖流為は坂上田村麻呂の命乞いも無視して処刑
ついでに人間だと思っていないから祟りとかの心配さえしていない
奴隷とはモノを言う道具で性欲処理や食肉にも使える家畜って認識 九年たっても洪水は治まらず、何の成果も挙がらなかった 有蘇氏は『封神演義ほうしんえんぎ』でもよく知られる妲己だっきの出身氏族です。後年は「有」の字がなくなり「蘇氏そし」となり、戦国時代には秦に対抗するために6ヶ国の合従を説いた蘇秦そしんを輩出しました。 周の武王ぶおうの時代には同時代の有蘇氏の人物である有蘇忿生ゆうそふんせいが溫おん5)に封じられ、以降有蘇氏は代々同地に住んだようです。 其最顯者爲安冕辰沄氏。本出東表牟須氏。與殷爲姻。讓國於賁彌辰沄氏。賁彌氏立未日。漢寇方薄、其先入朔巫達。擊退之。淮委氏沃委氏竝列藩嶺東、爲辰守郭。潘耶又觀兵亞府閭、以掣漢。 >>108
何かのブログで殷にはまだ食人の習慣がなくて
人の肉を食べるようになったのは周からだとか
もっともアメリカでも奴隷を増やすために犯して自分の子供を産ませるとかやっていたんだから
殷や周でもやっていた可能性は高い >>107
>>108
いけにえとかに使っているけど同族らしい
だから食べなかったのではないかと
周は貴族と民衆でY染色体ハプロDNAが違ったらしいから違う種族で
だから食べたんじゃないかと インドも恐らく高位カーストと不可触民は父親の系統は一緒っぽい 殷代甲骨文によると、殷代の領主層には「侯・伯・子・婦・田・老・師・亜・小臣・䑳・邑」等
の複数の君主称謂があり 殷というものは少数部族で言語も異なる氏族の武力征服、モンゴルタイプの王権だった
殷朝は主に2つある
1つ目は1-5代の初代王朝
2つ目は22-30代の周辺部族征服朝
6-21代は王朝ですらない亡命氏族に近く、輸送業を一族経営する馬賊に近かった
それを22代武丁が大虐殺をもって征服朝にした。いわゆる殷墟と殷王朝は後期征服朝のことである
そしてこの武丁はあきらかにヤクザ、チンピラ、遊牧マフィア的集団から虐殺征服で成り上がったが、それらは歴史と記録に残らなかった
否彼らは反乱防止のためにジェノサイドの記録を墓に埋めて忘却した
結果殷における殷の伝承は、最後の紂王の代でも
①湯は中国最初の覇者だ(偉大な過去の英雄にたいしいまの殷は弱者と後世戒め過去は良かったと語り継ぐ)
②功績、記録がないばかりか領土を失った2-20代の王の記録と伝承は欠史
③大征服者武丁の歴史は記録が莫大で殷の史跡、記録の半数を〆るが武丁たちがそのジェノサイド業績を忘却した
④よって紂王ですら「湯の歴史」しかしらない始末だった。初代以外記録が少ない王権で記録は墓の中だった
また枯れらは
元々武丁は農民でも領主でもなく、中国語をもたず、農業運営ノウハウがない輸送業種だったので、周辺諸侯を服属させたあと周がいい例で殷語を覚える諸侯を優遇し、血族を増やさせた
それは彼らに獲得地の農地運営をさせるためである
武丁は虐殺、言葉が通じない、農業がわからない事情で大規模征服で巨大領地を得たが農業に失敗した
よって穀倉獲得+反乱防止+所有地を経営させるために周などを優遇した
これはモンゴルの中国農民拉致に似てる
そして殷体制は実質殷馬賊兼商人階級+農民周などの諸侯国
で形成された
殷30代といっても実質初代王国+武丁征服朝の2個しかない