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楊 家 将
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/28(火) 16:06:06ID:lgkUCj4J0
楊家将の物語についてのいろいろ語りましょう。
原典の古典作品から楊一族に関わる史実、北方謙三氏の小説から映像化作品まで、
まとめてここで語りましょう。
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/29(水) 15:51:40ID:SWEfWNpO0
北方氏は、後半の武侠っぽく女が活躍する部分は、
自分の作風に合わないので、前半の方を中心に小説を書くとのこと。
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/29(水) 23:23:06ID:t+TopxF60
だったら、通俗演義は無視して正史にのっとった楊家軍書けばいいのにね。
日本の戦国モノでも個人にスポットあてた小説はたくさんでてるから、そういうノリで。
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/29(水) 23:57:57ID:MhIsTo7E0
誰かが、北方氏とは対照的な、もっと軽いのりで、ラブコメなんかも入った、
ライトノベル風の楊家将小説を書いたら、バランスが取れていいかもね。
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/30(木) 16:51:40ID:72jYYfep0
「少年楊家将」も結構ドラマオリジナルっぽい部分があるよ
敵は遼の耶律斜とあと良くわからん仙人みたいなジジイとか。
四郎の育ての親が賽花の兄弟子とか、娘はまだ子供の「八妹」だけとか。
息子達のらぶコメもかなーり入ってるし、娯楽作品て感じ。
楊業・息子と遼、藩仁美との戦いがメインになってるから
楊業の死が最大の見せ場になってて、それ以降がちょっと駆け足っぽいし、尻切れトンボな感じ。
女将軍の場面も少ない。息子上4人の嫁はそれまで普通の主婦とか娘だったんで
いきなり武芸も得意ってちょっと違和感だった。でも日本のドラマよりは面白いよ。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/30(木) 17:24:40ID:lfUMpfJA0
あちらのドラマは半武侠モノみたいなのが多いようだし、そうじゃなくて軍記小説として楊家軍の活躍を見てみたい。
流れとして、幽州を巡る攻防戦は知っているけど、そこに「無敵」と恐れられた楊継業が、どのように活躍するのかはあんまり知らないしね。
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/30(木) 23:43:15ID:AZAp2Au20
>>7
それでいいんだよ。
武侠ドラマも好きなんだし、ドラマなんだからエンタメ路線でいい。

>>8
学研の歴史群像あたりで、一度特集してくれないかな?
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/01(金) 16:00:56ID:2BI31kdC0
確かに「少年楊家将」の中でも儒教的価値に合わない事をしたって事で
六郎が太宗に対して反抗(?)。
国のために止むを得ない事情があったと父楊業が納得した後も、
息子達が「道理に合わない」「納得できない」とごねるって場面があった。

忠臣とか英雄とか言われててもこんな軍閥が勢力を伸ばしてたら
皇帝としてはやりにくいだろうね。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/01(金) 19:48:07ID:SEOlMnTb0
評価されてしかりの楊家は外様ってだけで常に遠慮がちになってたからなあ。
当時の宋軍随一の軍団となっていたのだから、戦時中にはすべての指揮権を優先して
与えておくとか、趙光魏も考えておけばよかったのに。
楊業は軍人は軍人であれば良しという人だったので権力を与えても中央に
上って出世を目指すような野心は見せなかったと思う。

藩親子のような小物の落ち度で落命した楊業の最後は切なかった・・・。


0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/03(日) 19:49:18ID:qG5NWsXt0
だから、中国の歴史は統合と分裂を繰り返すのかもしれないな。
猛将、英傑は平時には不用になり始末される、平定後には必ず怠惰な王が現われまたまた天下動乱の時代へ。

・・・なんか韓信を思い出しちまったい。

0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/04(月) 12:32:56ID:fdyZnCGS0
忠臣なんてそんなものなんだろうな。時代は違うが唐の魏徴は
比干は殺され国は滅亡した。これが忠臣で 皋陶(だっけ?)は君臣心を合わせ国を繁栄させた。これが良臣
だから私を忠臣ではなく良臣にしてくれといって太宗が褒美をあたえたという話があった
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/04(月) 14:41:25ID:zHrCh/hG0
それなら君主自身が猛将英傑ならいいんじゃん
有能な将軍を粛清するのは大抵自分の能力に自信が無い猜疑が強い主君
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/04(月) 17:57:03ID:/RV05jNG0
>>18 だからこその後周〜北宋立国でしょうが。
皇帝権力の強化ってそういう意味よ? 後周時、最強の人物は誰より皇帝そのものだった。
柴栄は「味方に背を見せ、敵に胸を反らす」を地でいっていた皇帝。中華版ラインハルトでしょうな。
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/05(火) 07:48:27ID:pqBOFSFC0
本紀の記述と肖像画とは、必ずしも一致しない…
李克用も別に片目じゃないし。
とはいえ、柴栄のあの肖像画はひどすぎる!
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/10(日) 10:52:46ID:In06JqE90
柴氏は宋を通じてかなり厚遇されたから、再度取り替えそうなんて気運は起こらなかったんじゃ?
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/10(日) 15:09:18ID:BrtLRGfA0
そういうふうな野心家っぽくは描かれていないよね。
柴郡主のこともよくは知らんが、たとえば水滸伝の柴進とか、岳飛伝の柴なんたらとか。
岳飛伝の柴くんは、お貴族モード全開中で、岳飛にヌッコロされてしまったが…
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/10(日) 23:37:03ID:SbBVSCJQ0
岳飛伝の柴の王様の息子の方は、血気盛んだけど、すぐに岳飛の息子たちと友達になったね。
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/12(火) 23:48:07ID:+4RDTDB80
岳飛伝は、宋の建国の功臣の子孫なる者がちらほらと出てくる。
あまり印象に残らないけど。
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/14(木) 16:22:22ID:l0aaeB/B0
楊志と楊再興は別系統の楊氏という設定になっていたのかな?
楊鉄心は楊再興の子孫という設定だけど。
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/16(土) 22:59:40ID:1crxYZKJ0
少年楊家将のドラマ、日本語版DVDが来年出るらしいね。
某ブログの情報だから信憑性はいまいちだけど、
最近の情勢から見て、まず出るだろうと思う。

ただ、ダイジェスト版とかになっちゃうのは嫌だな。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/30(土) 15:13:18ID:5EDwP+i+0
北方版楊家将はどんな感じ?

水滸伝の方は、かなりオリジナルなものになっていたけど。
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/30(土) 15:45:26ID:hSFyONwl0
今読んでる。
小説としては、かなりいい部類と思う。
歴史考証の部分は、鼻につくほどではないけど、あんまり当時を表現できてはいない感じ。
この人の小説は、だいたいがこうなのかな?「男くさい」雰囲気がして…
そこがなかなかいいんだけどね。
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/31(日) 02:57:30ID:AUSN0CJq0
>>39
元を知らないからなんとも言えないけど、単体としてはかなり面白い小説かと。
楊業テラツヨスwww
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/12/31(日) 18:45:28ID:fyfSXEtQ0
北方楊家将の楊業は、某ゲーム風に例えると・・・

武力95
知力92

くらいはある。
厨臭い例えでスマン。
0045名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/03(水) 13:10:40ID:jqMyB6KI0
そういえば「少年楊家将」もホームドラマっぽく
やたら物を食べる場面が出てきてた。
奥さん達が餃子やら肉料理やらスープやら作って円卓でご飯食べるシーン
あとお菓子系も美味そうだったな。 
00462007/01/03(水) 15:45:25ID:MpYYbQT4O
騎馬隊最強みたいな感じがしたけどそれはやっぱ敵を攪乱させる動きが得意だからだよね?純粋な戦闘するなら馬から降りた方がいいよね?
0048名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/03(水) 23:45:02ID:vx7wTb160
相手は基本的に遊牧民だしね。
金建国時期と違って、この頃はまだ遊牧民の気風が強く残っていただろうし。
0049名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/04(木) 00:21:08ID:X/dCpkK30
遼は南、つまり幽州(=現在の北京)に漢族の軍府を置いていたので、漢兵には城の防備をさせておいて
援軍は山後の地を越えて、電撃的な騎馬軍で迫ってくるってのがスタンダードっぽい感じ。

雲州や朔州、新州といった地は、中国としては北への備えのために必要だったのに、それを割譲したため、陰山方面が無防備状態となっている。 それゆえ、契丹騎兵の自由度が高い。
北宋が幽州をとるには、かなり不利な条件ではありますな。
代州や定州の重要度が増すというところ。
それまでは北漢が緩衝材だっただけに。
0050名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/04(木) 13:57:00ID:7BnuuoTj0
中原政権としては、燕雲のあたりが敵の手に落ちているという状況は、
かなり痛かったんだね。
0051名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/04(木) 15:00:40ID:X/dCpkK30
楊業って太原の生まれなんだ。
若い頃から、劉崇に仕えていたわけだけど、劉崇は沙陀の末裔で劉知遠の弟だから
沙陀騎兵の強いところを受け継いだ可能性はあるかもね。
杉山センセによると、沙陀騎兵は集団密集馳突による肉弾戦。遼=キタイは高速展開の集団騎射とかなってる。

0052名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/04(木) 23:51:45ID:Cd/HB+QP0
>>50
燕京は北方の異民族に睨みを効かせつつ、中原を支配する最適の地とも言われてるからね。
明があれほど北虜に悩まされつつも存続できたのは北京(燕京)に首都を置いたから。
逆に北方民族からすれば、本拠地を背後にして漢族を攻めるには絶好の根拠地な訳だ。
0053名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/04(木) 23:51:52ID:Cd/HB+QP0
>>50
燕京は北方の異民族に睨みを効かせつつ、中原を支配する最適の地とも言われてるからね。
明があれほど北虜に悩まされつつも存続できたのは北京(燕京)に首都を置いたから。
逆に北方民族からすれば、本拠地を背後にして漢族を攻めるには絶好の根拠地な訳だ。
0054名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/08(月) 23:35:59ID:Bx4clDbR0
>>42-43

【宋】
楊業  知力 95 武力 98     政治 60 統率 100

楊延平 知力 82 武力 92    政治 65 統率 92
楊二郎 知力 25 武力 86    政治 23 統率 81
楊三郎 知力 30 武力 84    政治 27 統率 83
楊四郎 知力 90 武力 91    政治 75 統率 98
楊五郎 知力 40 武力 93    政治 20 統率 75
楊六郎 知力 84 武力 92(+5) 政治 55 統率 97
楊七郎 知力 65 武力 94    政治 40 統率 95
楊九娘 知力 55 武力 82    政治 35 統率 85

楊延光 知力 50 武力 88    政治 50 統率 82

【遼】
耶律休哥 知力 85 武力 97   政治 20 統率 99
石幻果  知力 90 武力 91(+4) 政治 75 統率 98

…ってな感じに妄想してみる(*´Д`)ハァハァ
0055名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/08(月) 23:55:00ID:yQX5TIhV0
実際に伝があるのは楊業と六郎だけなんだけど、北方楊家将なら、そのレベルはいくだろう。
特に、四郎がいいね、マジで。
0056名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/09(火) 00:03:21ID:FmSAGPSk0
GJ!

六郎と石幻果の+効果もいいなあw
藩仁美は

知力20 武力 33  政治 80 統率 75

くらいかな?
あんな奴でも楊業曰く「文官なら優秀」と言われたからさ。

0059名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/10(水) 00:33:06ID:vBmoMk0C0
それだと「かんじゅん」だな。
寇準ね。 真宗期の臣としては最強だな。 この人南人だったっけ?
潘仁美ってのは、華南平定に大功のある潘美のことだっけな…
官僚役人思考ではあるけど、実際にはそれなりに優秀なんだよな。
『楊家将演義』で悪役にされているから、>>56のような能力値でも文句は言えないだろうがw
0061名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/11(木) 11:02:14ID:9AC7GKWs0
北方作品は楊家将と三国志しか読んでないけど
この人が書く男女のやりとりってすごくラノベっぽい
勿論好意的な意味でです
全体は素っ気無いんだけど石幻果がケイガキとの結婚を認められたとき
「やっと、なれた。やっと、あなたの妻になれました」
と胸に飛び込む場面なんかは胸キュンですわ
0062名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/11(木) 23:37:55ID:fGiIe/xn0
十国春秋を見て発見。
楊業って、北漢の将のとき「劉継業」といったそうだ。

若くして劉旻(世祖・劉崇)に仕え、驍勇をもって鳴り、人は彼を「楊無敵」と呼んだ。
そのため、睿宗・劉承鈞によって劉姓を賜った、と。

注記を見るに、『続通鑑』によると本名は「楊重貴」。 世祖によって姓名を賜ったとされる。
さらに「継」の名は、四代目である英武帝・劉継元からもらったものとの話もあり、多少齟齬があるようだ。

『十国春秋』によるところでは、その伝が立てられている位置が、宗室の後に続いていることから、もしかすると仮子のような関係があったのかもしれない。
ちなみに、そこに記載されている楊令公の子は六人で、名を
延朗、延浦、延訓、延瓌、延貴、延彬となっている。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/11(木) 23:48:01ID:fGiIe/xn0
追記。
我らが英雄、六郎延昭は、『宋史』によると「延朗」→「延昭」だそうだ。
楊延彬って一体誰なんだろうか…
0065名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/13(土) 00:02:42ID:KeFRCDXt0
いい疑問だと思う。
通常は名誉なこととて、ありがたくいただくものでしょう。
しかも宗室の姓とあれば、いろんな利権も加わるだろうし。

ただ、楊業の場合、北宋へ降伏したとき劉姓も継の名も返上している。
立場を慮ったとは思うが、そこは潔いとも思う。
でも普通、名を賜るときって「全忠」とか「国忠」とか「全義」とか、そういういい感じの名前が与えられるのに、「継」だけっていうのは…
ここからは想像だけど、やはり楊業は皇帝の仮子になったのではないか。
仮子になったとき、その世代に与えられる輩字が「継」だったのではないか。
たとえば、李克用の仮子・李存信、李存進、李存審、李存孝、実子・李存勗などは、その輩字を「存」とした。
それと同じことが、行われたように思う。
とすれば、皇帝・劉継元とは同世代(年齢ではなく)ということになるのではないか。
よくよく記録を読まないとわからんけどね…
0066名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/13(土) 18:29:29ID:qs15dPtQ0
子孫を残すことがあれだけ大事だと言われる価値観がある中で、
あっさりと姓を変えちゃって問題はないのかな。

子孫を残すこととは、姓を伝えることだと思うけど。
0067名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/13(土) 20:58:01ID:KeFRCDXt0
そういうことについて、深くかんがえたことはなかったな…
ただ、唐末以来、節度使などの武人が自己の権勢を伸張させる目的で、仮子をもつことは多かった。
これは当時の流行みたいなもの。
仮子とされる人は、いわゆる今日の食い物にも事欠く貧民出が多く、腕力や勇気、あるいは独学による知識などが買われてなる。
武人政治時代である五代が、とかくすさんだ印象をもつのは、そうした通常日の目をみない下層人が活躍し、そこに理性的でない衝動的な破壊があったからだと思っている。

楊業が仮に仮子だったとすれば、それはあくまで仮父がいてこその関係であるから、仮父ではない君主に臣従した場合、仮父がいなくなった場合、姓をもどすことは他にも例が多い。
問題は仮子となったその子までが姓を変えるという例だけど… あるのか、ないのか。だいたいが元の姓でいっているように思う。強者の庇護を得られるという利点のほうが強かったのかもしれない。

もし、国姓として与えられたものなら、それは名誉なことだから、姓を変えることに抵抗は少ないだろう。
岐王・李茂貞は、もとの姓を宋というけど、子々孫々、唐からの国姓である李を名乗っている。晋王・李克用も然り。

ただし、権力の中枢近くにいた、いわゆる知識人層にこういう例はなかったと思う。当時の没落貴族や士大夫連中は、実力とその財産がなくなったので、過去の家系にしがみついているから。国姓は別として。
当時では自分の家系図を売って当座を凌いだ没落貴族もいたくらいだけど、このときそういうしがらみから一歩離れた下層民が権力に近いところにいたから、従来の道徳観や倫理観は薄まっていたのだろうと思う。

こうしてみると、やっぱこの時代は特異だよな… 
0068名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/21(日) 23:49:59ID:3Bb/3em00
異民族で、中国の王朝などから姓を賜るって例はかなりあるよね。
0071名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/06(火) 23:50:23ID:+L+nj30P0
日本で最初に楊家将を紹介するのが北方氏というのは、何か間違っているような気がする。
0073名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/07(水) 15:58:52ID:3XMnymf40
北方氏は漢たちの物語っていう硬派な作風だけど、

楊家将で一番人気があるのは女将軍たちが活躍する部分だったりするからね。
0074名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/07(水) 22:45:40ID:z6zhpfYC0
だからといって橋田壽賀子とかに書かれてもなあ。
佘太君が赤木春江でイメージされそうなキガス…
0075名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/10(土) 19:30:04ID:q7om0rGq0
いろんな角度から捉えることができる作品。

だから、北方氏みたい硬派な物語にもできるし、ラブコメにだってできる。
0076名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/19(月) 23:45:23ID:+KbJOkWe0
田中芳樹も楊家将を出すとか言っていたような気がするけどね。
岳飛伝があまり売れなかったから、駄目、とかなのかな?

>>74
ホームドラマみたいな路線は嫌だね。
ラブコメならまだいいけど。
0077名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/22(木) 17:20:21ID:h3Vxls5j0
三国志11で楊業を登録しようと思うんですが、能力的にはどんな感じですか?
統率 武力 知力 政治 なんですが。
0080名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/22(木) 20:19:26ID:XXEho0/y0
英雄とはそういうものじゃないかな。
より真実味が欲しいだろうけど、三国武将との比較はナンセンスだから…
あくまで「楊家将」の中でなら、ああなる。
それに楊無敵の異名はハッタリではないからね。
不遇で報われなかったけど、だからといって能力がなかったわけじゃない。
むしろあるからこそ嫉妬の対象にもなったとも思えるし。
0082名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/07(水) 23:45:53ID:pmuyLG0K0
>>74
>余太君が赤木春江

……Orz
0083名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/08(木) 18:55:47ID:C/CgKbDZ0

美少女だったころの赤春を知らないな
0084名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/08(木) 21:47:29ID:PcmeyOEN0
「少年楊家将」の母ちゃんはそこそこ色気も残しつつ、
いい意味で年齢を重ねたって感じの女性だったな。
さすがの楊業も奥さんには一目置くっていうか、敵わない
一家最強の人って感じで。
0085名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/12(月) 13:10:10ID:ZNNluy890
楊家将と言えば女傑たちだもんな。
0086名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/25(日) 00:41:44ID:uXmKJeEy0
7とか8とかの王は、『血涙』ではどうなったんだ?
00892007/03/27(火) 23:46:51ID:/11cD/2tO
続編の文庫本はないの?
0091名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/29(木) 15:40:33ID:EAyO52Iy0
きゅーまいとっても頑張ったのに
槍をいっぱい突き立てられて死んじゃった
兄様みんな死んじゃった
社稷を祭るのは唯一堅気になったはちじょー様
0092名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/01(日) 22:58:44ID:u0s7QLxJ0
強制執行は4月10日!居座り一家に最終通達―重慶市
4月1日8時42分配信 Record China


2007年3月31日午前10時、重慶市九龍坡区人民政府は「史上最強の居座り」問題について記者会見を開いた。
その席上九龍坡区区長の黄氏は、立ち退きを断固拒否している楊武さんに対し、前日の3月30日午後、すでに裁判所が
通告を出していると発表した。

その内容は「4月10日までに自主的に退去せねば強制排除する」というもの。しかし区人民政府としては楊武さんの
意見や立場を尊重して、あくまでも話し合いでこの問題を解決したいとし、そのためにぎりぎりまで最大の努力を
惜しまないとも述べた。

この九龍坡地区の建物の80%が1950年代以前に建てられたもので、これまでに何度も建物の倒壊や失火が発生し、
とても危険な状態だったという。今回の立ち退きは、すべて居住者と近隣住民の生命と財産を守るための正しい
措置であったと、黄区長は説明している。4月10日まで楊武さんがどう出るか、世間の注目が集まっている。
(翻訳/編集・本郷智子)

最終更新:4月1日9時15分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070401-00000003-rcdc-cn
0093名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/03(火) 01:14:10ID:HP8NZ1k60
命が惜しかったのではない。この地を守れずとも、せめて、官軍に一撃を
与え、討ち死にするつもりだった。
楊家の誇りを、自ら捨てた。志のために。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 02:34:01ID:pJNAz1SR0
タダでさえ人数多いのに、顔の区別がつかなくなるからやめて欲しい。
顔の半分が目で、カトンボみたいな体型じゃ女将軍て感じせんがな。
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