昭和24年の夏に起こった国鉄三大ミステリー事件
新資料や未発表証言など出尽くした感あり
あまりに遠い昔になってしまった
真相には迫れないけれど当時の社会情勢と日本がおかれた立ち位置
現代との当時を考察しましょうスレです。
矢板玄蕃、矢板玄親子は公職追放とかにならなかったんだろうか
戦犯とか?
twitterにこんなことを書いてる人がいたよ
「曾祖父の代から四代に亘ってお世話になった床屋さんは若い頃に亜細亜産業総帥の散髪を行っており、
宮崎清隆の旧蔵資料(井上日召や三島由紀夫の直筆資料など)はひょんなことから今は私の手元にある。
やはり下山事件も調べなければ。」
柴田さんは新聞記者あがりとかじゃないから
資料の扱いとか裏とりとかそういうのが甘いんだろうね
>>188
柴田本では母がどんな理由でいつ離婚したのかハッキリ書いていたかどうか、出戻りとして息子の哲孝と共に
父の柴田宏と一緒に実家で暮らしていたみたいだね。
亜細亜産業の人間が社用でときどき旅館を使っていたなら、年賀状は勤め先に出すのが自然なような気もする。
だけどこれはごく普通の取引相手の話であって、総裁らしき人物が立ち寄ったことにして詳細な証言の因果を含めた
時点で、末広のおかみは自分が何やら途方も無く恐ろしいことに有無を言わせず加担させられること、
柴田宏には逆らえないと観念するしかないと察したのかもしれない。それでも敢えて柴田宏個人宛の年賀状なら、
恩義を感じており約束を守っていることを伝えることで、我が身を守っていたのかも知れないなあ。
元特高の旦那は何をやってたのか?安旅館でも対外的にはおかみが表に出るのが普通かもしれない。
ともあれ、事件後に金回りが良くなり土地&建物を買い取ったらしいので、柴田宏が他言無用と念を押して
相応以上の過大な謝礼を渡していたなら、そんな恐ろしい相手には絶対に歯向えず、誰にも喋れないと思う。
過大な謝礼とい点では荒井工業が受け取ったとされるプラチナ地金も同様で、余計なこと細かいことは一切
知らない方が得策だという打算で、言われたまま従い終生沈黙するしかないぞという圧だったのではないかな? >>198
矢板玄によれば、亜細亜産業の参謀であり軍師だった柴田宏は関東軍の特務機関の将校だったという。
そのスキルや実績からして何やら陸軍中野学校出身のような気もするなあ。
そんな柴田祖父に限らず、かつて大陸で暗躍し、敗戦の混乱を生き抜いて莫大な資金と共に日本に戻ってきた
ということは即ち、過酷な最終選抜を勝ち抜いた最精鋭の即戦力なわけで、各方面で重用されるのも当然だろう。
柴田小説でのプランは役割を細かく分割し、それぞれの末端は自分が何をやらされているのか分からないように
なってるという点でも正しくプロの仕事で、進駐してきたGHQには単独でこんなことを立案し実行する能力など無かった。
矢板玄が話したように、車や人員の手配などでG2配下のキャノン機関を巧みに利用しているのが柴田プラン。
小説はエンタメのフィクションなので無茶な部分もあり、おじいちゃんをスタイリッシュなダークヒーローに仕立てた部分が
些か鼻につくところはあるものの、もし仮に誰かが喋ったとしても全貌までは知らないのでチグハグな証言になるし、物証もない。
何となくうっすらと亜細亜産業が怪しいよねと突き当たったところで、その首魁や背後にいる超怖い黒幕を思い浮かべると、
ああ~これは手も足も出ないということになってるのかも。 >>203
巣鴨の戦犯を出してやることで恩を売る側だったみたいね 0210名無しさん@お腹いっぱい。2024/05/01(水) 21:04:35.73ID:vTYOQxad
>>208
おじいちゃんは三鷹事件や松川事件にも関わっていたのかも…みたいな匂わせもあるね。
まあ田中清玄は松川事件への関与疑惑もあったから、亜細亜産業一派がこれら三つの事件すべてに関与していた可能性も否定しきれないよね。 亜細亜産業は鉄道技師?電気技師?の玄氏昭和電工時代のと同僚でつくったんだよね
同僚が事務系なのか技術系なのかわからないけど
青写真をつくるとしたら下山事件より三鷹・松川の方が得意そうだよね
>>210
1949年の夏はやはり異常だったね。
その国鉄三大ミステリー事件のうち、最初の下山事件だけは毛色がかなり異なってる。
死者数だけをカウントするのは不謹慎かもしれないけど、注文通りに「裏切り者をバラバラにする」ことは
非常に面倒で難しいワリに、他の二つは比較的に単純な工作で済んだともいえる。
事件当時は民主自由党の第3次吉田内閣だった。
その前年の社会党片山内閣で官房長官だった大物の西尾末廣をわざわざ末廣旅館に呼び出し、
有無を言わさず総裁の替え玉としてウロウロさせるなんて計画は凡人にはなかなか思いつかないことだ。
これは一見無理筋すぎて真実味は乏しいようにも思えるが、老練な柴田祖父によるシャレなのか
懐柔された者に対する無慈悲な仕打ちなのか、この間のNHKスペシャルで興味深かったのは、
妙に目立つ格子柄の背広姿で線路を歩く2名の替え玉を、わざわざ別の役者が演じていたことだ。
事件後の五反野では、八の字眉で上品な下山とは到底似ても似つかぬ人物(西尾に似てた)だったという
目撃証言が少数あったのは確からしいけども、そこを敢えて何の説明も無いまま別人で映像化する
だけの必要があったのか?という点でも、別の疑問が湧き上がる。 戦後の柴田宏氏の亜細亜産業での表の役回りって
営業課長みたいな感じかな?
>>207
本当に亜細亜産業の人間が社用で宿泊目的でときどき旅館を使っていたのかな?
日本橋室町で社員もおそらく東京に住んでいるのに五反野に泊まる意味が分からないんだよね
やはり普通の営業の挨拶なら長島長島勝三郎→亜細亜産業、長島勝三郎→亜細亜産業代表矢板玄、長島勝三郎→亜細亜産業総務〇〇っていう年賀状になると思うだよね
普通にシンプルに女将が個人的に年賀状を出し続けているなら、元同級生とか元同僚とか親戚とかだろうけど
菱子さんの記憶が正しければ昭和24年から34年だからそれも違うんだよね
盛り場で暴漢に絡まれてるのを助けられたとかでも昭和24年からというのがひっかかる
長島フクが偽証するとしても偽証依頼者→長島勝三郎→長島フクという風に指令が出るのではないか
偽証依頼者→長島フクと直接的に指令を出すんだろうか? >>214
ライカビルにあった亜細亜産業に出入りする幹部なら、近くの八洲ホテルあたりが似合いだろうね。
昭和18年の亜細亜パルプ(京橋区銀座一)の定款にある株主名簿によると、岩本興次が世田谷区烏山、
林武一が芝区三田松坂町、大川理一郎・工藤孝次郎・矢板玄は横須賀市逗子町となっている。
日常的にそこで寝起きしていたかどうかは別として、本宅とは別に本社事務所に近い所に相応の定宿や
別宅があったんじゃないかな?
末広旅館は亜細亜配下の町工場の監督や職工が出入りするようなレベルだと思うよ。
むろん例外はあるだろうけど、高級な背広を着て外車で乗りつけるような宿じゃない。
>>182で指摘された「最後の証言」掲載の集合写真はどう見ても日本橋や銀座ではないから、
北千住・小菅・王子・十条・板橋あたりの亜細亜産業生産部かもしれないね。
謎の多い年賀状は、それが一枚でも現存していれば切り札になりうるんだけどね。
柴田母の遠い記憶のみで長島フクと書き添えた「毎年同じような図柄の年賀状」が昭和24年~昭和34年に
届いてたというが、昭和31年?に旅館を廃業してからも「末広旅館」の名前と住所が印刷されてた、という部分が、
昭和24年の当初から木版やゴム印のようなものだったとしたら?、たとえ家業が変っても柴田宏宛だけには
昔の版を使っていたなら?、なんて可能性もあるのでは?と妄想してしまう。
年賀状の絵柄や表記は宛先の全てが同じものとは限らないし、個別に違った絵柄や文言であってもそれを
毎年一枚だけ受け取る側には分からない。長島フクが方々に差し出した年賀状を一か所に集めて
比較されることなども無いから、あの時にお世話になった「末広旅館の長島フク」の挨拶であることを
柴田宏にだけ伝える目的なら、あるいはそういう配慮があったのかも知れない。
昭和40年代だったか、年賀状に手作りの芋版を作るのが流行った時期があったような気がするし、
木版も昔からあった。今でもそれを模した版画風のスタンプやカラー印刷も少なくない。
縦長の住所印もかなり古くからあったような気がする。地名由来の末廣旅館の所書きに最寄り駅の
五反野を使うのもさほど不自然とは思えないなあ。 柴田本の最初の昭和25年ごろ?菱子さんの学校の京都への泊り旅行の電車移動で
横浜までついてくるおちゃめな宏氏のエピソードがあるけど
初めから横浜に移動しようという意図があって
追跡者をまくために、あるいは近づけないためにそういう移動の仕方をしたのでは?
>>215
あるいは長島フクの趣味が絵手紙とか版画とかで
下山事件きっかけに知り合った優しい柴田宏氏にも自分の作品を送ってみたとか でもなあ、総裁が立ち寄って休んでいったという重要な証言を、安宿のおばちゃんに任せるのはどうなんだろう?
本筋とは外れた偽装工作とはいえ、リスク高すぎじゃないかなあ?
謀略グループ唯一のド素人にそんな大役が務まるのか?いや、実はベテランの女エージェントだったのかも?
としてもだ、結果として長島フクの証言が詳細で完璧だったことが却って警察や検察に無用な違和感を与えて
しまったことは否めない。柴田宏としては、素人だから適度にトチって8割ほどの出来を見込んでいたのかな?
証言内容と同じくらい重要なポイントが証言時の挙動(芝居)や当人の身辺だとすると、鋭くそこを突かれて
厳しく追及され、柴田さんに言われてやりましたと自白してしまうと非常にまずい。
そもそもなぜ末広旅館だったのか?という疑問を辿ると、五反野駅の改札掛の言動から疑わしくなるが、
替え玉、もしくは本人は6時間以上も現場周辺の狭いエリアをウロウロしている。
そのことにより場違いな紳士の目撃証言が後々になって十分に得られるだろうことは予測できるし、
ダメ押しとして下山風の上品な紳士が何の予告も打ち合わせも無いまま末広旅館に立ち寄るだけで、
長島フクには十分なインパクトが残せるから、そこからも証言が出てくるかもしれないし、別に出なくても
大勢に影響はない、と思うんだけどねえ。
ライカビルって1階がライカだったんだって
その上を軍需産業の会社に貸したんだね
ビルの所有者は誰なんだろう
下山さんが処方された睡眠薬ってなんなんでしょうね
バルビツール酸とかいうやつ?
変な行動の理由は強いストレスから抑うつ、ノイローゼ、若年性認知症の初期症状、激しい頭痛、更年期障害
統合失調症、ヒロポン的ななにかでバッドトリップとか?
他殺するなら睡眠薬飲ませて線路にポイーしたらよかったんじゃないのかな
>>220
昭和24年6月1日に東京鉄道病院の関口六郎副院長が神経衰弱症と胃炎と診断。
胃の薬の他に疲労回復の注射を打ってもらい、睡眠薬としてブロバリン0.5g入りの包みを処方してもらった。
19日から23日まではブロバリン0.5gの包みを毎日2袋も飲んでいた。
通常なら0.3g入り1包みで充分睡眠が取れる筈なので、明らかに異常だった。 そもそも国鉄職員が労働争議起こしたら国が転覆するの?
そんなわけないよね?
まだ米軍がいたんだし
下山さんを殺さないと国益を損ねるなんて、そんな凄い力が占領下の役人にあるわけない
>>221
よくわかんないこど、「ブロバリン原末」で
主な副作用
過敏症状 、 発疹 、 紅斑 、 そう痒感 、 悪心 、 嘔吐 、 下痢 、 頭痛 、 眩暈 、 ふらつき 、 知覚異常
重大な副作用
薬物依存 、 痙攣発作 、 譫妄 、 振戦 、 不安 、 離脱症状
上記以外の副作用
難聴 、 興奮 、 運動失調 、 抑うつ 、 構音障害 、 発熱
まさか、疲労回復の注射ってヒロポンじゃないよね?? >>223
別にブロバリンの処方そのものにおかしい点があるわけでも何でもなく、
当時の標準治療だった。
それは他の医者からも証言されている。
あくまでも下山が自分の意志で過剰摂取していたってだけ。
それだけ病んでたということ。
疲労回復の注射の中身は知らねー 柴田氏は亜細亜産業の営業でGHQと交渉してたらしい。
そこでいろいろメッセンジャーできるってことかな?
>>209
玄の方は日中戦争の功績で25歳の時に勲六等瑞宝章を受章
玄蕃の方からは寿恵子さんが満州事変の頃の武勇伝をよく聞かされたという
なんかあれではある >>219
どこかで読んだ話だけど、2004年ころに解体されて清算完了のころは株式会社ライカビルだったが、
元々は株式会社シュミットの自社ビルで、戦後は野田醤油(現キッコーマン)が所有してたらしい。
しょうゆの原料や製品の貨物運送に供されたのは矢板一族も関わった東武の野田線で、
野田醤油が設立した野田商誘銀行は、終戦前年に千葉銀行へ吸収合併された。
戦犯として収監された千葉銀行の頭取は、矢板玄らの工作で釈放され、
その見返りとして千葉勝浦の缶詰工場を譲渡されたらしい。
日本橋のライカビルと千葉銀行の建屋は隣接しており通じていたとか、
三越前駅の地下街とも秘かに繋がっていたという噂もあったとか。 戦後、いろいろなジャーナリストが矢板玄氏を怖がって直接取材してなかったりするけど
何がそんなに怖いんだろう?
柴田本を読んでるんだけど矢板玄との面会のところで
亜細亜産業に政治家もよく来たんでしょ?ってきいたら
玄は白洲と迫水がよく来たとこたえてるんだけど
白洲次郎は政治家なの?
旅館のおかみが怪人物についてスラスラと詳細な証言したあたりは、乱歩の「心理試験」を思い出したよ。
小金を貯めていた老婆を殺めた学生が疑われ、連想試験を想定し一週間かけて必死に予行演習をする。
刺激語のうち本件犯罪に関係する語句には敢えてそのままを答えることで欺こうとした結果、
その反応時間が無関係の語句よりも一様に早くなってしまったことを明智小五郎に見破られてしまった、というもの。
柴田哲孝『下山事件 最後の証言』祥伝社
下山事件「他殺説」のルポルタージュ。
著者が大叔母から聞いた「兄が下山事件の関係者かもしれない」という話から、
祖父の戦中戦後の経歴が気になって調べていくと、
祖父が満州の特務機関員であったこと、戦後の謀略機関の影の長と噂された、元特務機関長の矢板玄の部下だったということがわかる。
著者は下山事件の真相を確かめようと、矢板玄にインタビューを申し込む。
この本の一番のハイライトだが、これがどうも、にわかに信じがたい内容でどうなのだろうかと思う。
この証言によると、下山総裁は「殺された」ことになり、M資金も実在したし、GHQのキャノン機関も存在したということになる。
松本清張らが追い続けた「日本の黒い霧」が、このインタビューでかなり明らかになったことになる。
著者が矢板玄にインタビューしたのは1992年2月。
矢板玄が死亡したのが1998年、本の出版は2005年。
つまり、矢板の死後に出版されている。
インタビューの記述では、メモに記述の形で膨大なインタビューを記録したとなっている。
インタビューをとった室内は、薄暗かったと著者は書いている。
そのなかで、メモ書きで記録したという記述は気になるし、3時間ものインタビュー、録音を録るのが普通ではないか?
私ごとになるが、1982年の時点でも、作曲家の伊福部昭氏にインタビューをした時、わたしはマイクロカセットレコーダーで録音し後から書き起こした。
1992年はもっと小型で高性能な録音機があったし、録音しないわけがない。
つまり、この本の内容の信憑性で気になるのは、
全てにおいてはっきりと裏付けられるエビデンスがなにも残されていないことだ。
著者は矢板玄に会ったのかもしれないが、インタビューの内容を証明する裏付けがなにも残されていないのは疑問に感じる。
そして、鍵となる祖父が英語で書いていたという矢板玄の秘密機関の母体となっていたとされる「亜細亜産業」での就労時代の日記も、祖母が祖父の死後、焼却していて、日記も存在したかどうかわからないし、その内容も著者は読んではいない。
この本の内容でいけば、下山総裁は国労10万人人員整理のために、GHQと元特務機関員たちが、下山を殺して左派の仕業のような印象を大衆に与えるという謀略だったことになる。
矢田喜久雄『謀殺下山事件』の筋書きで、矢田が推理した犯人グループの特定をしたという内容になる。
この本の印象は、自殺説と他殺説が相対する「下山事件」がもうUFOと宇宙人の存在をめぐる「ロズウェル事件」並のものなった印象と思えて仕方がない。
ネット上ではこの本を一級の歴史書と言っている人が多く、信じている人も多いが、
一次史料がなにもない以上、歴史書とするのは無理がある。
アメリカの公文書館が開示した資料や当時、捜査担当だった元刑事、平塚八兵衛らの証言によって、現在では下山事件は「自殺説」が法医学的にも優勢になっている。
松川事件の元被告で、松本清張や広津和郎らと下山事件を米の謀略事件として「他殺説」を支持していた佐藤 一も再検証で「自殺説」へ修正している。
新資料の登場や、新たな科学的検証といった、そうしたことも、また捏造であるとか、闇の組織によって軌道修正させられているのだとか言い出すのが陰謀論が延々と続いてゆく遠因だろう。
本書は松本清張の『日本の黒い霧』に始まる陰謀論を補強する一つとしか見えない。
>>232
キャノン機関は存在したでしょうね
鹿地事件があったし、国会の議事録を「キャノン機関」で検索しても引っかかるし、
キャノン機関のナンバー2の延禎(ヨンヤン)氏に連れられて平塚柾緒氏がキャノンに取材をしたからね
延禎氏の著書『キャノン機関からの証言』(1973年)によるとがキャノンに何度きいても下山・松川事件の真相なんて知らないというらしい。
キャノン機関はCICの下部機関じゃない。
CICは積極的な諜報活動をするよりも敵の諜報機関を摘発したり、その活動を妨害するのが元々の任務だから
下山・松川事件のような大事件を起こすとは考えにくい。
また、キャノン機関の仕事も謀略というよりは情報収集、スパイ要請である破壊工作活動ではない。
延禎氏の意見としては、米軍情報関係者が鉄道で事件を起こすなら爆破だと直感する。
友人は秘密共産党員は鉄道を転覆されて逃亡するからこっちが怪しいという。
殺し方のテクニックとして白人、アメリカ人はあまり睾丸を蹴らない。
下山事件が他殺なら単独犯ではなくて数人による共同犯行だが、多人数が関与する場合
必ずどこかから情報が漏れてくるものだが、下山事件では確実な証拠が出てきてないから
自殺説に傾きたくなる。
と書いてありました。
下山・松川事件と書いてあり、なぜか三鷹事件スルーなんですよね・・・ なぜ真木一英は5千万円の情報料を要求して真相を話そうと警視庁に持ちかけたのだろう
殺し屋かもしれないけれども、生き残ってるわけだし、頭の悪いチンピラではないはず
ワザとというか目立つような陽動作戦的な工作なのかな
目的と意図がわからない
あと、エリザベス・サンダー・ホームが裏で何をしてたか?
CIAの下部組織があったというけど、実際それで何をした?
サワダハウスを提供したように一部場所を貸したとか
スパイ向きの子を選別して送り出したとかならば想定の範囲内だし
そのレベルのことではこういう書き方にはならない気がする
あと、矢板玄曰く、ライカビルの事務所を一度朝鮮人7人くらいに襲われた
黒磯からダイヤを掘り出して、事務所に保管してあったのがばれたからだ
ってやつなんですけど、この朝鮮人7人というのはどういう集団なんだろう
GHQかソ連の下請けのような人たちなのか、韓国情報部なのか、あるいは闇市であばれてたような集団なのか
あるいは児玉とつながりがあった東声会のような集団なのか
そして柴田家が引っ越したけど同じ件なのか
わざと金のなさそうな家に引っ越したのかな?
不在時に家探ししやすいような、そして何も出て来ないことが証明できそうな・・・
でも、柴田宏氏の英語日記やアルバムがあるんだよね
娘も転校せずに吉祥寺から三鷹って近所だけど引っ越したくらいで朝鮮人集団の追っ手から逃れられるのかな
逃れられると考えられるようなそこまで本格的な追跡じゃないと思ったのかな
0236名無しさん@お腹いっぱい。2024/05/05(日) 19:43:57.34ID:hZh2MTic
>>234
柴田本によると矢板玄氏は児玉のことを良く思っていなかったみたいだね。
「児玉は日本人じゃない」という発言も記載されている。
児玉の出自については、福島県出身という経歴は疑問が呈されているよね。
力道山みたいに戸籍の改ざんが行われ(戦後の混乱期にはよくあることだった)、
実は朝鮮人だったということなのか?
あるいは「朝鮮人みたいな」卑劣な奴だ、という比喩的な意味なのか?
どちらにしても、この朝鮮人に襲撃された件と児玉には何か繋がりがあるような気がするが、深読みし過ぎかな? 矢板玄蕃、三浦義一などの仲間内では下っ端だったが
戦後、非常に力をつけたわけだよね?
終戦時、朝日新聞航空部の飛行機でいろいろ持って帰ってきたこと、
ヤクザと結びついたことが力の源泉だと思うんだけど
ちがうのかなあ・・・
東声会の町井久之こと鄭建永と児玉は仲良かったよね
0238名無しさん@お腹いっぱい。2024/05/05(日) 23:15:29.21ID:hZh2MTic
>>237
当時、朝鮮人と仲の良い日本人なんて皆無だっただろうから、
やはり児玉も朝鮮人だったのかな?
でも戸籍改ざんしてまで敗戦国日本の戸籍を得たかったことには疑問が残るが。 0239名無しさん@お腹いっぱい。2024/05/06(月) 00:18:30.86ID:4ALMnDie
>>160
その通り
NHKが解決してしまったことに対しての嫉妬だけで不満を撒き散らしてる低能たちのスレがここの正体
だから関わること自体己の黒歴史になる
とにかくもうNHKが異例だが完全解決放送したのは事実だ
問題はなぜNHKが完全解答を放送したのか
この点だけを深掘りしないといけない
その為のスレッドを立ち上げないとな
ここはバカしかいないから意味無し
国賊川勝が水が汚れる(真っ赤な嘘・元地元の記者がその嘘を暴いた書籍がAmazonで売上No.1となったがマスゴミは完全無視した)からリニアは無理とか
ただの私恨だけでJR東海を虐めてたのと同じ
ここで言うと単に本当のことを放送したNHKを虐めてるだけ
くだらんよ
全くくだらん 堀部さんをあんな人格者に描いてる時点でもう信用できない
堀部さんをあんな人格者に描いてる時点でもう信用できない
0242名無しさん@お腹いっぱい。2024/05/06(月) 01:02:43.59ID:P3CEka6y
>>232
どこかで見かけた書評だなと思ったらこれですね。
https://note.com/nagata_peace/n/n79147a9ae9ec
アポなしで矢板玄に突撃して、レコーダーを取り出してサア喋ってくれなんて、いくらなんでも無謀だよ。
矢板市役所を訪れ、俺は矢板玄を探してる会いたいという旨を伝えると市長が対応したという話の際、
どちら様?と聞かれて普通なら名刺くらい出すと思う。
市長は「先生」に柴田テツタカという若造が来てますが?と連絡して了解を得たような流れだったかな?
当時の柴田はジャーナリストというより売れないライターに過ぎなかったが、カメラもレコーダーもノートも
持参するのが当然とはいえ、のっけからそんなもの出して並べたら叩き斬られるに決まってる。
「貴様、何者だ」「柴田宏の孫です」「証明するものはあるか」「免許証なら」で抜刀、さすがにここは
笑うところか?と思ったが、じゃあ何でもって証明するのが正解なんだろう?
俺なら、祖父と自分の戸籍謄本・住民票・除票、柴田家のアルバムにあった写真のコピーや
古い亜細亜産業の辞令書類くらいは持参するだろうなあ。
ドキュメンタリーとはいえそんな事務手続きの展開ではちっとも面白くないから、祖父の豪胆さを
受け継いだ無鉄砲な孫が真っ向勝負に出向いたということにしておきたい、というのはよーく分かる。
初対面の大物なら相手に断ってからノートを取るのがせいぜいだろう。
返す返すも残念なのことは再訪~再々訪が無かった?ということ。(伏せてるだけかも)
俺なら即座に礼状を出し、三か月後くらいに再び訪ねてより深く話を聞くだろうなあ。
下山病となった読売の記者が、荒井工業の身内関係者に15年ほどかけて信頼関係を築き、
その都度じっくり話を聞いてることを思えば、あまりにもったいない。 あの日本刀を持ちだして度胸試しが怪しいって書いてる人がいたけど
あの時代はよくあることだった気がするんだよね
・若山富三郎は後輩を壁際に立たせ、若山得意の手裏剣を投げつけるということをしていたが、
天知茂は手裏剣を投げつけられても瞬きひとつせず、若山を感心させた
・イトマン事件で、住友銀行側のフィクサーである川崎定徳の佐藤茂に
五代目山口組若頭の宅見勝が日本刀を突きつけた
こういう話がよくある気がするんだ
>>239
>事実だ
多くの突っ込みに対し事実で反論できねーという、
赤っ恥な言行不一致的矛盾を晒す負け犬の泣きべそ(嘲笑) NHKがあったところって下山事件当時はワシントンハイツだよね
・下山総裁が経費削減で国鉄内部の汚職、贈収賄、リベートなどをなくそうとしていたから
・国鉄を民営化して三菱のものになろうとしてるのを阻止したかった
・国鉄を民営化して外国資本の者になろうというのを阻止したかった
という説があるよね
亜細亜産業は三菱閥だから国鉄を三菱のものにしたかったのかな?
吉田茂の腹心の白洲次郎は割と外資入れたがる方で
日本製鐵広畑製鉄所をイギリスに売り飛ばそうとしてたよね
>>248
それらの説はアメリカどころか我ら日本人が黒幕の可能性も示してるよな
まあアメリカよりはまだしっくりくる
アメリカには下山さんを殺す必要はなかったはず 吉田茂、佐藤栄作が黒幕って考える人もいるけど
黒幕がもっと小物だったり、経済界、実業家寄りの場合もあるよね
>>238
どうだろうね
大山倍達の結婚のの媒酌人は田中清玄だったり
保全経済会の伊藤斗福に政治家がむらがっていたり
ただやっぱり、町井久之だよね
六本木や新宿で力を持ってた
WIKIを見ると「GHQの調達のために発行されるPD(現在の小切手に近い)を満期以前に現金化するのは日本籍では不可能であった為であり、
交換窓口に近い新橋には同様の会社が多数作られ、彼等により民間へ流れた闇ドルは莫大な利益を生み出した。」とあり
これは町井以外の人にも言えることだよね 朝鮮戦争で踏みとどまったのはGHQのおかげなのに批判するのは
やっぱ左翼なのかな
仁川上陸作戦とかGHQだよね