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そして、JSL創設よりも後の時期になってから、
地域リーグ、それも「9地域制」という非常に細分化された範囲のリーグが、
各地域ばらばらの時期に設立されていく、という経過を辿った
9地域の最初は1966年の東海リーグと関西リーグ、最後が1978年の北海道リーグだった
また、地域決勝大会(現・地域CL)の第1回大会は、東北リーグ発足年の1977年だった
(なお、第1回地決では、北海道勢の出場チームは道協会からの推薦によって決定された)
地決創設当時は、サッカーの大衆普及度そのものにすら地域的な偏りが極めて大きく、
それに伴う競技力格差も地域差が極めて大きかったことや、
1980年代まで成人男子サッカーの有力チームは大企業による実業団部活動がほとんどで、
当時は終身雇用制を背景とした競技継続か社業専念かの二者択一も一般的慣例だったため、
選手の移籍やそれに伴う地域的異動もほとんど無く、競技力の地域格差が長年続いていた
(地決創設よりも前の時期に関東・東海・関西以外の6地域からJSLに所属したチームは、
 広島県の東洋工業(現・サンフレッチェ広島)、福岡県の八幡製鐵所、山口県の永大産業、
 愛媛県の帝人松山の、4チームしか無かった)
また、地決創設後も競技普及度や競技力の地域的偏差は続いており、
1977年の地決創設以来、関東・東海・関西3地域の昇格チーム寡占が7大会続くほどで、
1980年代前半までは、名目上の「全域⇔9地域」も、事実上「全域⇔3地域」だったため、
9地域よりも広域の中間階層リーグを創設する機運は、ずっと醸成されてこないままだった