X



【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】

2007/05/27(日) 18:10:20ID:5C9wymoz
三七丸こと信孝について語るスレッド
537人間七七四年
垢版 |
2008/05/04(日) 05:33:37ID:70XlGXGg
>>530
秀吉が少しでも不遜な態度を見せたら、見せしめの意味も込めて、
一刀のもとに切り捨てていた。
2008/05/04(日) 07:49:57ID:Z630LwBv
「信孝」の読みは「のぶのり」と読むらしいけど、詳細知ってる人いますか?
539人間七七四年
垢版 |
2008/05/04(日) 07:59:31ID:j/hfHmQt
初めて聞いたな。
2008/05/11(日) 18:18:45ID:1QCplj7e
信孝と信雄の対立って、表面的には清洲会議の後、美濃を領した信孝と尾張を領した信雄の
国境線をどこにするか、って言う争いが発端なのな。
541人間七七四年
垢版 |
2008/05/24(土) 10:56:10ID:K2URaVxn
信孝にすれば“何もしなかった”信雄がなんで尾張を得るんだという感じだろう
542人間七七四年
垢版 |
2008/05/26(月) 09:19:03ID:w9ga6aHd
兄弟不仲だったというよりも、国境問題から不仲になったのかな?
2008/05/26(月) 10:17:08ID:+mOSCsdB
>>542
個人と個人ではなく、家と家の関係になると、肉親でもややこしくなるからねえ。
2008/05/26(月) 13:45:14ID:YeV2E+qp
実力はともかく、格式から言うと伊勢国司家を継いだ信雄の方が上だが
545人間七七四年
垢版 |
2008/06/13(金) 14:49:32ID:csRHpbbC
さつまあげ
546人間七七四年
垢版 |
2008/06/13(金) 16:40:11ID:K7NoujGf
織田信孝が切腹した野間岬の夕焼けを見てきたよ。
547人間七七四年
垢版 |
2008/06/13(金) 20:15:15ID:csRHpbbC
首洗い池に小便すると一物が張れ上がるから短小くんにはお勧め
548人間七七四年
垢版 |
2008/06/13(金) 20:20:59ID:03jtlPyU
その腫れ上がったナニのまま女とやれる訳じゃないじゃん
2008/07/20(日) 00:06:40ID:bscCtoA0
age
550人間七七四年
垢版 |
2008/09/27(土) 04:01:34ID:D68452Mw
結局、信孝の血は後世に残ってないのかな?
551人間七七四年
垢版 |
2008/10/29(水) 22:26:41ID:TaPsi+Cp
age
552人間七七四年
垢版 |
2008/10/30(木) 07:25:53ID:/S++FiD9
>>550残ってるみたい
辞世の句が講談でも、三七様もっと評価して欲しいな。
このスレ寂しいね…
2008/10/30(木) 11:14:41ID:91RvCOW5
最近は方面軍司令官の一人だったと認識されてるのね>信孝
将来的には信忠の元で織田軍全体を把握する存在になったかもね。
2008/10/31(金) 13:48:29ID:PayfnYFJ
江戸時代の大名の子孫って現代でもどうして代を重ねるに連れすごくなっていくのでしょうか?
555人間七七四年
垢版 |
2008/11/02(日) 18:34:27ID:TmZiQtgU
>>553
谷口の妄想
2008/11/02(日) 23:20:10ID:HtCsnIyY
>>555
そこまで言える反証ぐらい語れよ
谷口氏以外にも信孝が方面軍司令官であることを唱える人は多いがな
っていうか、じゃないと断言する人間見たことないな
557人間七七四年
垢版 |
2008/11/03(月) 06:08:17ID:a67MK2rY
伊賀方面軍司令官を信雄と考えた上で、四国方面軍司令官を信孝と考えるなら理解できる。
明智を司令官(だった)というなら信雄も司令官(だった)と言うべきかと。
信孝だけを柴田・羽柴・滝川ら家臣層と同列に語るのも疑問。
信忠を司令官と呼ばない理由や信忠・滝川間の指揮関係が不明確ということです。
2008/11/04(火) 02:56:17ID:fToxz73+
>>555
以前はよく、三七は名目上の大将で、実質は丹羽長秀が主将だ
と言われることが多かったけど、当時の長秀の知行や、それ以前の
経歴、四国に関して、実質的な権益の確約が長秀にない(信孝には
讃岐が予定されてたらしい)、丹羽氏の記録にも長秀の扱いは
蜂屋や津田と同じ「副将」とされているなどから、最近はやはり
三七信孝が四国方面の大将だったと見られているようです。


信忠の軍は濃尾系の家臣を中心に編成されているけど、ゆくゆくは
家督を継ぐ立場なわけだし、とくに司令官と見る必要もないんじゃないの?
559人間七七四年
垢版 |
2008/11/04(火) 06:35:47ID:tp1HIKOh
>>558
それも谷口説ですよね。
司令官に「実質的な権益の確約」という例が他の司令官(柴田や羽柴)に無かったので証拠にはならないのでは?
滝川や河尻も信忠の副将だったと言えるのでは?
伊賀攻めのとき滝川と丹羽は信雄の「副将」だったのでは?
2008/11/04(火) 08:29:04ID:Hi3ADGkC
伊賀攻めのような一戦限りの総大将と長期戦前提の方面軍クラスの旗頭では同一視できないな
あと信忠の場合、既に信長の代わりに何度も総大将経験あるから武田攻めで他将に指揮を任せることはなかったでしょ
そもそも遊撃部隊の指揮官である一益はその時限りの与力に過ぎないし

方面軍説なら谷口氏以外にも桐野作人氏とか多くの人が言ってると思うけどね
2008/11/04(火) 10:32:06ID:RkIdrCbs
信忠は濃尾をもらうと同時に織田の家督を譲られていたような
562人間七七四年
垢版 |
2008/11/06(木) 00:02:32ID:sWNUv6yQ
織田家の継承者=信忠
これだけは間違いない。

家督相続で色々あった信長だから信孝も信雄も親族家臣の一人
として据えるのは間違いない事で。
563人間七七四年
垢版 |
2008/11/06(木) 02:59:33ID:srT9prCT
ちなみに信孝は紀伊攻めで総大将を務めておるぞよ
564人間七七四年
垢版 |
2008/11/06(木) 06:22:12ID:adk3s+8d
>>560
>伊賀攻めのような一戦限り
これは議論が分かれるところ

>そもそも遊撃部隊の指揮官である一益はその時限りの与力に過ぎない
これも谷口説に過ぎないですが
565人間七七四年
垢版 |
2008/11/06(木) 23:46:15ID:srT9prCT
伊賀攻めにしても高野山攻めにしても武田攻めにしても子息に経験を積ませようとした親心だろうな
でも信雄は愚鈍だから銃後に置いて信忠は東へ信孝は西へといふのが信長の構想だったかも
2008/11/07(金) 00:28:05ID:bOfIu6TA
どうだろう?
四国ってその気になれば畿内からスグだから
信孝がヘマしたらスグ駆けつけられるようにって感じがするし
信澄と長秀と横を固めた所をみると、その構想は四国遠征が成功して初めて考慮していいレベルじゃないか
567人間七七四年
垢版 |
2008/11/07(金) 03:07:57ID:pBycuk3+
とりなきしま、だからヘマはしない讃岐と阿波は確実に征圧できる
2008/11/07(金) 05:20:03ID:pBycuk3+
だいたい一万ちょっとの兵力で四国征圧は無理な話で
あれは三好の救援と讃岐阿波の地固めに過ぎないと思ふ
降伏すれば土佐一国は安堵したんじゃないのかなぁ
569人間七七四年
垢版 |
2008/11/07(金) 13:40:06ID:Lk52QiKY
>>565
神吉城 信忠
2008/11/07(金) 13:48:25ID:Lk52QiKY
すまん

信忠は別格だろ
既に神吉城攻めや松永久秀討伐では総大将を勤めている
571人間七七四年
垢版 |
2008/11/07(金) 15:47:20ID:pBycuk3+
天正9年から10年まで3つ並べただけだよ
わざわざググッたの?ご苦労さん
572人間七七四年
垢版 |
2008/11/08(土) 00:48:46ID:B0sxNJg8
信長の弟子
573人間七七四年
垢版 |
2008/11/12(水) 03:14:17ID:+JTB21yR
>>568
どうだろ。たしかにあの一軍だけで四国を制圧するには少ないけど、三好の兵力もあるし。
同時に中国地方に自分と明智のいわば織田家の本隊を投入してるけど、
あれは毛利にトドメさすだけじゃなくて中国からも四国に侵入するつもりだったんじゃないの。
信長がすぐそこの中国にいるってだけでも蝙蝠には脅威になってるし
その上で格では羽柴や明智なんかより上の自分の息子を現場の大将にもってきたと。しかも津田までつけて。
こりゃ蝙蝠さん詰んじゃってないかい。

ただの地固めだったら実績もあって単独で指揮できる兵力も多い明智使った方が成功率高いでしょ。
羽柴の後詰なんぞ丹羽、蜂屋その他の混成兵力でも充分なわけで。
わざわざ信孝に大将を任せたのは一気に四国を制圧して、
同時に息子(と期待の甥の津田に)に危なげなく実績つませるためじゃないの。
2008/11/12(水) 05:58:52ID:88aNA34P
信孝の旗頭就任は信孝自身が前々から志願していたからだったらしい

神宮文庫所蔵文書には
『三七様連々お望み候四国へ・・・』
とあるね
2008/12/15(月) 01:51:10ID:2I8FfoRW
司馬さんは、信忠、信雄は平凡、暗愚だが、
信長の子たちの中で信孝だけは親譲りの気性の激しさを持っていて信長の血が濃かった。

みたいな書き方してたな。必ずしもそうとは思わんが、
秀吉に詰め腹きらされてなけりゃあ良い意味でどうなってたんだろうということは考えないでもない。
2008/12/15(月) 12:12:27ID:FqMzBUFY
>>573
先に四国征伐してから中国平定だよ
信長も淡路まで進出すると書いてるしね
2008/12/27(土) 10:31:00ID:M3mJUXNj
>>575
実際は信忠>>>>>>>>>>信孝>>信雄だと思うぞ
2009/01/14(水) 15:18:32ID:IDT4mZyB
ここはまだ新年明けてないんですね。
579人間七七四年
垢版 |
2009/02/01(日) 04:42:05ID:t0fVmiOG
負けないぞぉ
2009/03/07(土) 02:40:55ID:sOToYaBi
☆誕生日おめでとう☆
581人間七七四年
垢版 |
2009/03/14(土) 11:02:51ID:Q7uOJEbO
大儀であった (^-^)
582人間七七四年
垢版 |
2009/03/14(土) 12:01:35ID:8WTW4lbu
辞世の句の「内海の野間なれば」ってこの人、知多半島が好きだったの?
2009/03/14(土) 12:02:12ID:0Gv6NXt3
>>582
歴史勉強しろ
2009/04/19(日) 06:57:02ID:KNlXFxJL
「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」でしたな。

信孝が切腹した野間御坊は昔にも「主殺し」が有った場所なんです。
平治の乱で敗れ脱出を図った源義朝は、ここ野間御坊で長田忠致・景致父子に浴場で騙まし討ちにされて殺されます。
下手人の長田父子は後に覇権を握った源頼朝に散々こき使われた挙句、「約束どおり美濃尾張(身の終わり)をくれてやろう」と刑死。

信孝はこの故事を踏まえ、「いずれお前にも天罰が下るぞ!」と秀吉を呪ったんですな。
2009/04/19(日) 12:41:30ID:GEDno885
とはいえ信孝が滅ぶ原因を作ったのは、他ならぬ信孝自身な訳だが。
2009/04/20(月) 02:50:05ID:19wRXfir
どう考えても秀吉だろ。
2009/04/20(月) 15:36:02ID:ZCbs4Z0Q
>>586
同意
秀吉のシナリオ
2009/04/20(月) 23:00:35ID:uSZicd/r
三法師を安土に移すという織田家中の取り決めに従わず、
三法師を岐阜城から出さなかった信孝に対して、
秀吉・長秀・恒興の三人は、
三法師が成長するまでは信雄を当主代理とする手段で大義名分を得て、
信孝を攻めた訳で。
信孝が素直に三法師を出していれば運命は違っていたかも…。
2009/04/25(土) 10:05:15ID:NUPL/spj
>>588
それはないでしょ
秀吉が織田家から支配権を奪い取るには信孝の存在自体がネック
例え信孝が三法師を渡したところで秀吉は新たに信孝排斥の次の策を練ってくるでしょう
590人間七七四年
垢版 |
2009/05/07(木) 04:46:11ID:IE4yawoF
本能寺にある信孝様のお手紙字がとっても綺麗。何て書いてるか読めないけど
2009/05/13(水) 09:15:23ID:tgfak6Ww
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【一号】仮面ライダー強さ議論スレ15【ディケイド】 [特撮!]

だれだよここ見てる奴w
592人間七七四年
垢版 |
2009/06/12(金) 13:10:41ID:huF/EsL8
三法師の名前をつかって信孝排斥しようとするだろ。
2009/07/25(土) 09:35:59ID:edHUGr8X
秀吉が三法師の影で実権を掌握しようとするのがあまりにもミエミエで
さぞかし勝家、一益、信孝が苛立っただろうことは見て取れる
秀吉もそれを見越しての挑発だからな
594人間七七四年
垢版 |
2009/09/04(金) 19:40:03ID:s1v3FLz2
このボンクラ息子も今川氏真のように秀吉の前で蹴鞠でも蹴ってれば名将って言われたのに…
2009/09/04(金) 22:37:55ID:X6HLofqd
>>594
そりゃ信雄の方だろ
2009/09/05(土) 08:33:37ID:kSrXLpZH
じゃあ織田のぶおのほうが名将だな
2009/09/27(日) 05:14:42ID:ey/avBXy
>>596
迷将だろ
2009/10/05(月) 06:17:15ID:SGJ9KnLs
本能寺後の信孝が主人公の
『織田戦国志』尾山晴紀著
はなかなか面白いね
599人間七七四年
垢版 |
2009/12/07(月) 18:34:32ID:06GQaX7a
>>598
詳しく
2009/12/13(日) 02:44:51ID:qKgkG9co
素直に三法師を出したとして、切腹が改易になった程度では。
改易されて何年か経って一万石で大名復活、御伽衆ってところじゃね?

で、徳川時代になって二から五万石、ないし交代寄合だろう。
2010/02/01(月) 02:44:43ID:hqNhps6y
>>599
簡単に要約すると
信孝がかつて「何かあったならば、信澄を頼れ」と信長に言われたことを守り
信澄を討たず、軍師に迎え光秀や秀吉らを葬り、織田家の支配を再確立する
ってとこか
602人間七七四年
垢版 |
2010/02/04(木) 14:04:26ID:9BbdsU99

■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/


昨日のNHKヒストリアによると、信孝公をぶっ殺した自称・信雄の末裔らしい
信雄がぶっ殺した信孝公が建立した本能寺の墓の前で先祖自慢。

でもでも・・・・家系図は、明治大正の先祖が4代不明。
曾祖父が分からんなんてあり得るか?
2010/02/11(木) 01:57:44ID:STGi7jCF
>>536
昔は子供に大層な幼名をつけると妬んだ悪霊が憑いて夭折するから
わざとへんてこな幼名をつけて悪霊が見向きもしないようにしようとした習慣があったらしいよ

>>541
信孝が率いていた軍勢のほとんどは信雄が伊勢衆から出して援軍派遣された他国衆だよ。
信孝自信が率てた直属兵(北伊勢衆)は少ない。
山城・丹波なんかの他国衆と信雄領の兵士。
だから変の時にみんな逃げちゃった。
あと、信雄も勝家と同じく道中で引き返すハメになってるけど、
一応、軍は京へ向けて出してる。甲賀辺りで国人衆の反乱があって断念してるけど。
604人間七七四年
垢版 |
2010/04/06(火) 13:10:18ID:CcsynSTj
アッ神戸〜
2010/04/09(金) 00:35:41ID:2SjSmAcE
神戸んしてよ
606人間七七四年
垢版 |
2010/04/14(水) 17:44:43ID:a/EyZwoP
クローンで現代によみがえった?

【織田孝一】

織田 孝一(おだ こういち、1959年 - )は、日本のフリージャーナリスト、コピーライター。
旧丹波柏原藩織田家(旧子爵家)の当主。本名は織田信孝という。
祖父は織田信大。父は織田信和(長男)。学歴は学習院大学法学部卒業。学位は法学士(学習院大学)。

織田信長の子信雄の五男高長の直系の子孫(ただし、曽祖父織田信親は養子)。
1981年3月学習院大学法学部を卒業後、広告プロダクションに就職し、コピーライターとなる。
1989年に独立し、フリーとなる。主に経済雑誌に記事を書いている。

田部井昌子著『現代に生きる戦国武将の智恵』(出版文化社、2000年)の出版に際し、
対談に応じ、織田家の歴史などを語っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E5%AD%9D%E4%B8%80
2010/04/15(木) 00:40:13ID:aC5JzOKW
四国遠征軍の参戦武将は思いつくところ

旗頭:織田信孝(伊勢国河曲・鈴鹿郡主、神戸城主)

副将:丹羽長秀(若狭国主、佐和山城主)

武将:三好康長、蜂屋頼隆、津田信澄、矢部家定、木津甚五郎(山城国相楽郡主)、庄村久三(丹波国上山城主)
三好存保(讃岐国十河城主)、篠原自遁(阿波国木津城主)、新開道善(阿波国牛岐城主)

水軍衆:鈴木重秀、真鍋貞成(和泉国海賊衆)、真鍋同芥右衛門(和泉国海賊衆)

他に誰かいます?
2010/04/15(木) 11:38:11ID:LKqIpijy
伊勢衆の関盛信や国府佐渡守とか

あと丹羽蜂屋津田は副将格で同列じゃね
三好康長は当事者兼先鋒扱いかね。
609607
垢版 |
2010/04/16(金) 00:05:53ID:PTNSivTz
>>608
関盛信は遠征軍内にあったという説と亀山城で留守居していた説があるので外しました

国府盛種?は信孝の直臣だと思ったので・・
610人間七七四年
垢版 |
2010/06/07(月) 14:48:12ID:Xc+G3178
>>607
こうして見ると名目上の大将として信孝・丹羽・蜂屋らの名前があるけど
彼らの直属兵ってのは実際大した事なくて
実情は、旧三好勢や、和泉・丹波・山城・伊勢(信雄の支配下の国人)らの寄せ集め衆でしかないんだよね。

本能寺の変後に、信孝の兵がほとんど逃げちゃった事で
人望がないとか、統率力に欠けたなんて言われるけど
長宗我部にやられてジリ貧だった三好勢や、
土橋氏にあっという間に勢力挽回された雑賀鈴木氏なんかは当てにならないし、
和泉・山城・丹波なんかから動員された連中は光秀に付いたんだろうし
他の軍団長クラス(勝家や秀吉ら)と四国遠征軍を同列に見るのはおかしな話なんだよね。
611人間七七四年
垢版 |
2010/06/09(水) 05:55:29ID:OZ3ciyeH
信雄の子孫が信孝(孝一)を名づけられたのはどういう縁だろう...。
612人間七七四年
垢版 |
2010/06/11(金) 20:23:03ID:bVy0w2Sb
      _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //     近代に4代不明なら、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,'           , r' 
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''  
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |   織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】 
.  |  |  .l i       / ./ |  |    http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l





    ∧∧
   (  ,,)   『やっぱり・・・・。』
   /  |
 〜(__)
2010/10/15(金) 16:14:42ID:bxtAMYhe
仮想物で信孝と津田信澄が秀吉倒して天下統一して大坂城作って将軍就任とか、
電波極まりないのを見たが・・・。

むごい、これはむごい。
2010/11/07(日) 10:21:04ID:gMCQgqK1
>>613
面白れぇじゃん
2010/11/07(日) 13:42:21ID:xQhW0aLV
仮想物ならいいんじゃね?
信長が本能寺脱出して云々なんてのもあるんだし。
2010/11/08(月) 21:32:30ID:68Rn5pnK
仮想物のなかでは出来はよかったと思うが
617人間七七四年
垢版 |
2010/11/16(火) 17:33:10ID:VmptQmCd
信雄に負けるな
エールage
618人間七七四年
垢版 |
2010/11/16(火) 18:02:34ID:T+qm7vQ0
実母坂氏を見殺しにしても敢然と挙兵に及んだ織田中将信孝をお解放しか
2010/12/20(月) 22:08:46ID:D1oOQde2
>>613
どこがむごいのかさっぱり分からん
むしろ史実の方がむごい
2010/12/20(月) 22:10:57ID:D1oOQde2
>>602
曽祖父が分からんなんていくらでもあるが
2010/12/20(月) 22:12:32ID:D1oOQde2
>>588
安土は焼け野原だっつの。
それは秀吉の陰謀。
だいたい取り決めに従わないんだったらまず書状を送ってそう言うべきだろう。
主君の叔父に対して家臣がいきなり挙兵するとか…
2010/12/20(月) 22:48:49ID:HMX4SBBc
>621
取り決めなんだから事前に散々やり取りしているはずのこと。
それを守らなかったのだから、非がありまくりなのは信孝のほう。
2011/02/19(土) 16:39:30ID:BaGZdkDC
>>618
逆に言えばなんでそこまでして何度も秀吉に反抗してるのかわからん。
勝家や一益と組んで対抗しても太刀打ちできる相手じゃないって事は、
一度目の挙兵で思い知ってるはずだろうに。
624人間七七四年
垢版 |
2011/02/20(日) 02:09:16.44ID:TJHUlRdE
人質まで取られてるなら大人しくして静観できなかったのかね。
どうせ信雄と秀吉なんていずれは不和になっただろうし、
そうすりゃ反撃する隙はあっただろ。もちろん徳川家康の力を借りるのは必要だと思うけど。
625人間七七四年
垢版 |
2011/02/27(日) 12:17:53.66ID:N5AErmcZ
この人、信雄よりマシってだけで大将としての器量は無かったんだろうな。
気位だけは高くて、あとは性急な性格っぽい。
本能寺の変後に信澄を殺したり、秀吉の挑発に引っかかって挙兵したり最悪な結果ばかり。

626人間七七四年
垢版 |
2011/03/12(土) 11:19:29.07ID:IkSGffvG
本能寺の変がなければ父信長の薫陶を受けて、
30過ぎに大化けしていたかもしれない。
2011/03/20(日) 15:22:22.16ID:8J5p+lcr
>>625
信澄の殺害は信孝の意というよりは丹羽長秀の助言だと思うね

信孝は神吉城攻めで足軽に混じって城に乗り込むなど武勇はあるが
大将としての思慮が足らないのは確かだ

だから信長は浪人、農民徴集兵の烏合の衆とはいえ四国遠征軍として一軍の将の経験させようとした
そしてそのアドバイザーとして実戦経験豊富な丹羽を付けた

もともと信長は信孝を大和国主にしようとしたが
大和国主だった原田直政の討死、松永久秀の謀反など不吉な事が起こるため避けて
讃岐国主にするべく四国遠征軍の長に信孝を据えた
2011/03/21(月) 14:08:20.27ID:4QCPOji3
津田信澄って結構有能な将だったから殺すよりも自陣営に引き込んだ方が後々の為に良かった気がするんだけどね。
まぁ彼は光秀の婿なんで、信孝長秀も彼が明智方につくのを恐れて、先制攻撃しかけて殺したんだろうけど。
元々から信澄は信孝長秀とは馬が合わなかったのかね?
2011/03/21(月) 19:33:04.55ID:KfbMgIdb
信澄が有能?

初耳だな
小説かなんか見て思い違いしてない?
信忠に対しては勿論、信孝に対してもそんなに功績で上回ってると思えない


藤堂高虎は信澄が無能だから見切りつけて羽柴秀長にくら替え仕官したと思ったが
2011/03/21(月) 21:00:50.28ID:4QCPOji3
そうなのか。
信勝の子にかかわらず信長に重用されてるから有能な将だと思っていたが。
あと、藤堂高虎は信澄の遺児(昌澄)を後々まで色々と世話したりしてるから、
高虎も豊臣秀長ほどではないにしても津田信澄にも思い入れあるのかなと思ってたんだけど。
631人間七七四年
垢版 |
2011/03/21(月) 22:18:21.47ID:aa+YH4EW
>>629
「一段の逸物」という評価もあるし、信長の親族の中ではかなり序列が高いなど、少なくとも当時の評価は
高かったとみていいと思うんだけど。
2011/03/22(火) 00:19:17.59ID:B92HFMen
信澄が与えられた大溝城は、結構重要な位置じゃないか?
若狭の丹羽と接してるし。
2011/03/22(火) 00:31:14.97ID:B92HFMen
織田信勝(信行/勘十郎)と津田信澄
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300721441/

語られるべき人物だろうから、親子のスレ立てたよ
2011/03/22(火) 11:29:54.15ID:RB/FhPkT
>>632
大溝城主であることは確かだが、城主に見合う活躍をしたかというと疑問符がつく
地理的に対松永久秀、対本願寺、第二次伊賀攻めなど出兵召集されてもいいものだが従軍した形跡がない

むしろ信長弟の岸和田城主織田信張の方が地味だが活躍している
親織田に転身した鈴木重秀を支援して重秀の雑賀庄統一を成功させ
本能寺の変後、四国遠征軍の水軍として従軍していた鈴木重秀が
長宗我部の支援を受けた反鈴木派の雑賀衆土橋らの侵攻から逃げてきた時岸和田城へ迎入れ守った
2011/03/23(水) 08:23:28.66ID:I+d60SXQ
基本的に、もうひとつ上の一門衆だったのかもしれないよ。
2011/03/23(水) 08:36:36.25ID:xAXyd76I
信行の息子が信長に尽くしているってのが大事だったのかも知れないね
信澄の方も自分の立場を理解して一門衆の筆頭としての立場で動いていたなら
本人が武将としては平凡であっても、織田家にとっては代え難い歯車だったんじゃないか
レスを投稿する

5ちゃんねるの広告が気に入らない場合は、こちらをクリックしてください。

ニューススポーツなんでも実況