3兄弟信忠信雄信孝の位

『信長公記』巻十四「御連枝の御衆」参照

「中将信忠卿、馬乗八十騎、美濃衆・尾張衆。北畠中将信雄、馬乗三十騎、伊勢衆。
織田上野守信兼、馬乗十騎。同三七信孝、馬乗十騎…」

織田信兼は織田信行の4男、つまり信孝は父の弟の子より位が低かったのだ。
信忠信雄には明らかに差をつけられている。


『信長公記』同じく巻十四

「中将信忠へ、作正宗。北畠中将信雄へ、作北野藤四郎。織田三七信孝公へ、
作しのぎ藤四郎。何れも御名物代過分の由候なり」

安土城において3兄弟に信長から脇差が与えられたときの記録。やはり兄弟で
差があるのが分かる。ちなみにこの時(上の騎位も同じだが)信忠25歳、信雄24歳、
信孝24歳で、年齢にはほとんど差がない。