72です。
私の言っているのはシングルボタン打ちの頃のお話ですよ。
勿論三和もデジコンも何も無かったです。当時、主流は未だエスケープでした。
やっとサーボが出始めの頃で、其の信頼性は低く特にトルクはゴムに叶いませんでした。
安いサーボが出て飛びついたのがオリエントで確か¥1000だった、(当時の一月分の小遣いでした)
力のあるものは電池を余計に積むので重くなり飛ばないし、電池が2本を売り物にしていたMKのものは
スパイラスを続けることが出来ないほどトルクが弱くて困った物でした。
翼面積20du位の機体に09エンジンが主流でした。今なら平気で15〜20エンジンを付ける所ですが
当時は操縦性が非常に悪いので、(9割がたは勝手に飛んでいるFF状態)オーバーパワーでは飛ばなかったのです
エレベーターが動かせる様になって、ラジコン飛行機が飛躍的に変わりましたね。
その後、国産プロポは当時も無線機メーカーがこぞって発売しましたので、殆ど同時期にいろいろ出ましたね、
日の出、KOは良く飛びましたが、フタバは・・・?その頃からロジテックはあったと記憶していますが、
組み立てキットは旨くできる人は殆どいませんでしたね。少し遅れて三共が高級機を出して、しばらくするとしゃれたデザインのマイクロ、
何年かってから三和電子がラジコン業界に殴り込みをかけてきたんです(初めての販売に当たってご挨拶代わりに大量に同社製品が問屋にばら撒かれて
いました、今で言うハンズフリー電話の家庭版のような機械で、受話器【黒電話】を置いたままで会話が出来ました)
デジコンはもう少し前だったような気がしますが、東京ではマイナーでした。OSもやっていましたが殆ど見かけませんでした
三共さんは本職の金型やプラの整形で今でもいろいろなメーカーのの模型用品をOEMで作っています。
古い無線機は絶対にやめるべきです。何故ならメーカーも保障できないということは事故にも繋がりかねないからです。
実際の問題点はプラスチックの劣化です。特に安物の物は再生プラを使っていますので・・?
飛ばしていたら、スティックがジンバルごと中に落ち込んでしまったのを見たときは驚きました!その晩自宅で古い送信機(その時点で7年落ち)を確認
してびっくり!裏蓋を外して中を見ると、すべてのプラパーツの表面にひびが入っていました。10万以上もしたものも同様でしたので、即効でゴミ箱になりました。
事故を起こしてからでは遅いですよ。無線機も、今は信じられない性能になり、信じられない低価格ですから、検討したほうがいいのでは?
当然そんなリスキーな修理を請け負う所はないと思います。