>>627
完全版があると主張しているのはコーラン。

もしも福音書が不完全なら、そんな不完全な物でキリスト教徒に向かってモハメドかイスラム教徒が福音(新約聖書)に基づいて裁けと言える筈が無い、ユダヤ教がミシュナ(律法書を更に細かく、安息日にどこをでては行けないのか、体の一部だけか?とかの説明が細かく載ってる宗教法大全)2世紀半ば、アラビア半島にもキリスト教徒とユダヤ教徒はたくさんおり、モハメドもユダヤ教的な律法には慣れているから、その発想を基にコーラン(アラブ版律法書)を作った訳で、現代でも例えばイスラム園の多くではイスラム教徒はイスラム法(シャリーア法)に基づいて裁き、キリスト教徒はキリスト法に基づき裁き、ユダヤ教は律法書(モーセ五書及びその注解書のミシュナ(イスラムだったらシャリーア法に該当)によって裁く事になっている、食物とか服装とか細かいルールがある。

モハメドのコーランには福音には導きと光明があると書いてある、それは宗教法に基づく明確な導きがあるという事。

新約聖書は4世紀には正典化している、旧約聖書もユダヤ教徒が2世紀ほどに正典化している。
正典化にはキリスト教もユダヤ教も時間がかかり、徐々に出来上がってきたから、直ぐに正典化出来なくてもおかしくは無い、旧約聖書、ユダヤ教の伝統からみたら、別に新約聖書の正典化のスピードはおかしくない。

更にコーランが言ってる、福音書は確実に新約聖書の事、2世紀初頭から既に大体が使われており(クレメンスの手紙、イグナシウスの手紙、バルナバ書、ヘルマスの牧者、ペテロ黙示録など現代では外典となった、初期キリスト教徒間では流行った書物)4世紀には大体、今の形に正式に正典化され、モハメドのいた7世紀には確実にアフリカでも中東でもヨーロッパでも新約聖書27書が正典とされていたのは確実。

だから新約聖書27書を捏造書と言うのは科学的、歴史的事実と矛盾するし、何より、お前はコーランとモハメドは嘘つきと言う事を認める事になる。