https://news.yahoo.co.jp/articles/fe4743db91098e8d4db27995c72f2fdfc7d2e94e

 しかし、経営は順調とはとても言えない惨状となった。“失敗”の理由は分かっている。一番の理由は店の立地だ。小田急線・成城学園前から徒歩12分ほどの世田谷通り沿いにある。かつて近くに全日本の砧道場があったことから、川田にとってなじみ深い土地だった。「いい場所でも通えなかったら何もできないですから」と通勤のしやすさを考えて決めた物件だったが、人通りはまばら。コロナ禍が明け、世の中的に人流は戻っているものの、「それは駅前とか繁華街だけですよ。ここなんてもう戻らないでしょうね」とため息をついた。
 牛丼店、コンビニ、バイク買取店……近隣の店舗は続々とつぶれた。それでも場所を変えることはできない。いや、もはや引っ越すことができないほど、資金をつぎ込んでしまっている。
 オープン時からとにかく金がかかった。「最初の6年間は本当よくやったなって。いろんな調理器具だのリース代とかもずっと払い続けていました」。家賃をはじめ、業務用の冷蔵庫、エアコン、食洗機、券売機、駐車場代……。開業資金だけで1000万円が飛んだ。
 初期投資が想像以上に膨らんだ川田は、愛車にも手をかける。
「俺はベンツを3台、スープに溶かした……」
 ベンツはトップレスラーの証し。「プロスポーツ選手は会場入りするときに、ちゃんとした車を何台か持ってなきゃとか、そういう自分のプライドはすごくあった」と、乗っていることがステータスでもあった。開店前にはGクラスのAMGをはじめ、大中小のベンツ3台を所有していたが、背に腹は代えられなかった。1台、また1台。「売れるもん売って金にして続けるしかなかった。プライドも何もない、食いつなぐしかないんだって」。赤字続きの運転資金を補填するため、生命保険を解約。私財を投げ打ち、窮地を乗り越えてきた。
 著書では数千万を投入したと明かしているが、総額いくらなのか。
 ベンツ売却後は国産車に乗っている川田は「いや、考えたくないです。いろんなものが自分の周りからなくなったし」と言った。
 プロレス界には嫌気がさしていた。05年に全日本を退団し、フリーとして各団体に参戦するも、「あっち行っても未払い、こっち行っても未払い」とファイトマネーの支払いはずさんだった。「金にならないものをやっててもしょうがない」と意を決してラーメン業界に転職したが、待ち受けていたのは、さらに過酷な道だった。「未払いどころか自分の金をつぎ込むだけ」と天を仰いでいる。