仏教では供養のことをプージャっていうんやけど、これは敬いって意味なんよ。

元々は釈尊やその教えに対して敬いの行為をするんやけど、日本や東南アジアでは自分の身近なもんにもするんよね。

漁師さんが○○供養ってするんやけど、これはお祓いや大漁祈願や本来ないんよ。
供養とはお魚に対して敬いのお経をあげるだけでは供養にならん。
お魚のいのちをいただいて生きとるから、
取った魚を粗末にしない
魚をとりすぎない
魚の生きる環境を汚さない
魚の生きる環境を守っていく
って行為を供養って言うのね。

お経あげてもやりっぱなしだと全く意味のない行為になる

命濁中夭刹那にて
依正二報滅亡し
背正帰邪まさるゆえ
横にあたをぞおこしける

末法の世ではいのちを粗末にする行為が横行し
私のいのちも私のまわりの環境も粗末にしていまう
欲に溺れてますます煩悩につき進んでいくので
私もまわりの環境も傷つけあってしまうのである

って親鸞聖人も言ってる

大谷派に身土不ニの会ってのがあって興味を持ったんやけど、今読んでる山下惣一の身土不ニの探求なんかほんま頷けるもんがある

ワイ自身で言ったら生活が劇的に変わったってのはない。
ただ世の中に流され過ぎないように色々考えたり
粗末なことはせんように心がけるようになった程度やなあ