マシン構造と密着した独自OS(MSDOS)とその対応ソフトにより市場を独占(支配)してきたが、
低価格モデルとマシン構造に依存しない95OS登場により、
その支配性は一気に取り払われて、残ったのはローカルマシン構造のみと
いう恥ずかしい結末で消えていったのが98だろ。
いままでのソフトやその前提マシン構造はこの転換期では足かせでしかないのも一因だろね。
早い時期にDELL路線のような方向性をとっていたら名前だけは残れたかもしれんが、
低スペックマシンを高額で売り、極小変更でモデルチェンジと称して
殿様商売していたNECにそんな危機感も、対応する柔軟性もなかったように思える。
いずれにしろ98以前の98の歴史自体、世界的に見れはうん十年送れたももので、流用する勝ちすらなかったってことだな。