不登校・引きこもり関連で、好きなようにさせても大きく成長するのは、現実感覚に優れ危機感のある、能力的に頭一個抜けている優秀な子のみの話で、他はただ自堕落な生活に堕するだけです。
30過ぎの高齢引きこもりを抱える家庭を調べてみれば誰にでも分かることですが、そこには、子供のことを信じ続けた、「自称理解のある親達」の、年老いて途方に暮れた姿があります。

彼らの信じた子供達は、家でネットに張り付き、現実逃避一直線で暴力沙汰も日常茶飯事。それでも、彼らは子供を「信頼している」と言いますが、親の「信頼」がもたらした結果の大半は、せいぜいこの程度のものです。ここでの悲劇は、親が「現実逃避」を「信頼」と言い換え、子供の「好き勝手」を安易に許容しただけでなく、「親の信頼に応えるだけの能力を子が持っているもの」と勘違いしたことから来ています。

言い換えれば、表面的に「信頼信頼」と言っているだけで、実情は親の現実逃避が悲劇を呼び込んでいる、と言えるでしょうか。 全面的に子供を信頼して任せておくという選択は、ほんの一部の高レベル層にだけ効果があるもので、それ以外には寧ろ害でしかありません。 無論、ここには親バカも通用しません。最後には、親が本当にバカを見るだけです。

単に、現実にある問題から目を逸らしたいだけ、問題を先延ばししたいだけ、子供と正面から向かい合いたくないだけ。そんな感情がないまぜになり、「信頼」という名の幻想に逃避しているだけなのではないでしょうか?

今もあまり変わりませんが、問題解決能力の乏しい引きこもり当事者や、手遅れとなった当事者程、「心理」や「メンタル」という言葉、「社会批判」といった方向性に逃避したがる傾向があります。 これは、「心理」や「社会批判」というフレーズが、現実を見たくない彼らにとって大変都合の良い、居心地の良い環境を創り出してくれるからであり、同時に絶好の現実逃避先となっているためです。