>>291
親戚の「禿髪」姓が、見た目も表しているとすれば
相当広く剃り上げていたかもね。
ただ鮮卑族の辮髪姿は見たことがなく、よく分からない。
北魏時代の人俑が残ってはいるが、みな大きなフード帽みたいなのを被っていて髪型は見えない。

一般的に辮髪は前頭部から頭頂部まで広く剃り上げて
満州人は後頭部で1本髪を垂らし、契丹人やモンゴル人は側頭部で複数本髪を垂らしていた。
鮮卑族は後者に近かったんじゃないかと勝手に想像。

ただ、胡語禁止!胡服禁止!胡姓廃止!と、あれだけ漢化を徹底した孝文帝が
「辮髪禁止!」とは言ってないから、少なくとも5世紀末の朝廷レベルでは
すでに辮髪はなくなり、胡人でも漢族と同じく髪を結っていたと思われる。
もちろん漢化に反発していた地方の軍閥では根強く辮髪が残り、北魏王室の衰退とともに復活した可能性もある。