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禅譲について語る

2007/05/29(火) 09:16:00ID:zEbaq/mi0
有名なのは魏の曹奐から司馬炎への禅譲
2007/10/16(火) 17:12:14ID:RAWvOk5OO
傭兵集団の鉄の不文律「実力あるものが後継者に」
85名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/05(金) 17:46:58ID:zhiiwxbQ0
>>83
忠誠心を確かめるためのテストみたいなものだったんだろうね。
86名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2008/09/05(金) 22:06:49ID:oWW+D0fCO
天智と天武にも似たエピソードあるよね
2008/09/05(金) 22:07:52ID:aVUn9LIu0
漢の場合は劉協死ななかったんだからまだ良い方だよな

普通皇帝含めそれに近しいのは殺される
2008/09/05(金) 22:15:39ID:alNXvq6B0
嫁と子供は殺されてるけどね。
89名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/21(日) 17:31:01ID:YsqvH2Gl0
>>81
あれ、結構本心だったと解釈したいなあ。
諸葛亮が本当に引き受ける可能性が有ると思ってたかどうかは別として
本心から息子が無能ならお前が取れって言った、と解釈しても良いんじゃないのかと。

あの時代のリーダーの価値観なんて分からんけどさ、
現代人的に考えれば、もう自分は死ぬって状況で、意地でも息子に継がせたいと思うものだろうか。
そういう執着心が薄れるって状況は有るんじゃないかな。

たとえば荊州にいたころ、「荊州を奪え」と言われたのに「忍びない」と言って従わなかったのは
絶対義理云々じゃなくて政治的計算も入ってるだろう、と思うけど
本当に死ぬ直前だったらそういう計算抜きになることも有るんじゃなかろうか。
90名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/21(日) 23:02:38ID:j0insZyY0
周瑜の遺言にもあるしね >人の将に死に之く、其の言は善き也。
2008/09/25(木) 02:39:03ID:138APfB3O
確か、後の時代ほどには忠誠の概念も君主制も発達してないしね。
本気で言ってた可能性はあるかも。
92名無しさん@お腹いっぱい。
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2008/09/25(木) 03:06:40ID:o0LuwoN50
つか、あの状況で劉備が孔明に言ったのはテストだったとして、
分かりましたって言ったから孔明処刑したら、蜀崩壊だろ。
劉備がいくら氏ぬ直前だったからって、それくらいは分かる気がする
2008/09/29(月) 11:25:24ID:VTN2UcG30
>>89
君が子に取って代われと言うのは別に子孫を誅殺しろとか言う訳でもないだろうしね。
なにより漢復興を考えるなら孔明の力は不可欠で、
(もし子に能がなくそれがために賊臣はびこる状態で)職務を妨害されるなら、
いっそ実質的なトップとして子を退けてでも事に当たって欲しいって事じゃないの。
で、事が成ってから劉氏の中で有能な者を建てるかすればいいわけで。
もしかしたら、民が平穏に暮らせるのならいっそのこと諸葛氏に国を奪われても構わないとさえ思ってたのかも知れない。
復古的ロマンよりもより現実的な選択肢のような気もするけどなあ。
2008/09/29(月) 11:53:59ID:+PnNtxzz0
陳寿自身は「劉備は本気だったよ」と評してるし
古代の君主としては失格だろうけど、本気で国取られても良いと考えてた、と思っても良いよね。

まあ推測するしか無いんだけどさ。
劉備も諸葛亮が受けるわけ無いってくらいは判断できた気もするし。
2008/09/30(火) 00:14:39ID:Ty19CgfK0
>>85
司馬懿や司馬師・司馬昭兄弟でも臨終の床で野心を見せるとは思えんけどなw
2008/09/30(火) 06:50:36ID:x8eNc1uL0
遺孤を託されたのが諸葛亮ではなく李厳だったら……
2008/09/30(火) 11:00:51ID:dvScPh/K0
忠誠心を試すというよりは、
諸葛亮から「お前が国取れ」→「取りません」という言質を取ることによって
後々の禅譲という形での簒奪を防ぐ、って感じじゃないかね。
まあどっちかというと、この発言自体が諸葛亮の禅譲に正当性を与えてしまいそうだから違うかね。

無粋な憶測かもしれんがね。
2008/09/30(火) 13:46:11ID:Mfb+rmY10
wikiでも書かれてる内容だけどそれはうがち過ぎのような気もするな。
2008/09/30(火) 19:20:38ID:0FW4RC2N0
うん。
どっちかといえば最近話題だった「劉備本気説」のが自然な気がする。
2008/09/30(火) 19:48:43ID:FvAJyaEk0
諸葛亮を信じてた場合
・本気で諸葛亮に国を取らせようとした
・自分の死後、諸葛亮に先帝のお墨付きという権威を与えるために敢えて言った

諸葛亮を信じてなかった場合
・忠誠心をテストした
・死後、簒奪できないように言質を取った

まあこれくらいかね、解釈は。
2008/10/29(水) 23:47:24ID:4zJd32MX0
んな二人だけの会話を誰が聴いてたんだよ
102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2009/02/10(火) 22:50:45ID:YtSP6OY90
それを言ったら趙高の胡亥擁立の話だって誰が知ったんだよって話になる
2009/02/10(火) 22:52:40ID:la881bsU0
・後から誰かに話した
・側仕えの宦官などが聞いていた

たとえ人払いしたと書かれていても、誰も聞いていないとは限らない
104名無しさん@お腹いっぱい。
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2009/02/11(水) 00:20:56ID:oK6i+AG10
呉が夷陵後に蜀を併呑出来なかったのは李厳の勢力が残ってたから。
となると、あの時点では李厳がヤバイ。

最終的に孔明の漢中軍閥が李厳が勝ったから白帝にいないような扱いだが、
劉備が意図的に実力のない方(孔明)に
お墨付きを与えてバランスを取らせようとしたのではないだろうか。

明確に孔明>李厳という序列が出来たからいいようなもので、
孔明が讒言で除かれ李厳が簒奪する可能性はかなり高いとみた。
2009/02/11(水) 00:23:02ID:TGLQppo+0
あの時点で丞相録尚書事司隷校尉だった諸葛亮が「実力のない方」は無いわ
2009/02/11(水) 02:06:44ID:l/xnQMO9O
>>103
あとよく言われるのは奴婢が聞いていた例だな。
2009/02/11(水) 03:02:17ID:rZNvbkfJ0
そういや永楽帝のインポがバレたのは朝鮮奴隷女からだったな
108名無しさん@お腹いっぱい。
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2009/08/24(月) 22:52:53ID:KFZ5TMmP0
簒奪ではない禅譲は尭→舜→禹を除けば柴宗訓→趙匡胤の一例のみ
2009/08/27(木) 18:34:09ID:sM3v8wuI0
なーなー
劉備臨終の際、諸葛亮だけでなく李厳もそばにいたんでなかったっけ?
2010/07/28(水) 09:45:01ID:WnwH8cBJ0
>>93
漢復興を本気で考えてる人ではないだろ、劉備は
劉備遺言本気説を採るなら、それは漢朝復興という目的ではなく
軍閥の首領としての発現だろ
特に劉備政権は政権として発足して間もないから軍閥としての傾向が強いわけで
軍閥として考えるなら後継者が血統より実力が優先されるというのは考え方としてはありえること
111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/08/03(水) 15:50:15.92ID:igZBP8Or0
蜀の正当性が完全に無くなってしまう
112名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2012/02/09(木) 17:00:07.20ID:w/ePqIKC0
何で趙匡胤を最後に禅譲が行われなくなったの?
113名無しさん@お腹いっぱい 。
垢版 |
2012/02/09(木) 19:58:43.46ID:5wGi7U4O0
>>112
漢民族(南宋、明)と異民族(金。元、清)が興亡を繰り広げたから。
2012/02/10(金) 01:43:14.79ID:Q5Rt4DJr0
ただし清そのものは北元の大ハン位を伝国璽と共に譲られている。
とはいえ既に中原の政権でなくなって久しい北元の帝位だし、どちらかと言えばモンゴル諸民族への権威を獲得したと解すべきだけど。
115名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/01/21(月) 03:42:57.94ID:8tz+jAem0
漢哀帝劉欣から董賢への禅譲は周囲に阻止されて達成しなかった
2017/12/31(日) 20:03:39.61ID:8goY4aK+0
天皇家から安倍さんへの禅譲まだかな?
2019/04/03(水) 15:34:41.46ID:oVuX8H440
演義の皇叔とか史実と思ってる奴多いのは草
2023/04/07(金) 23:30:58.16ID:HD8G9iKk0
いつも思い通りにいくわけでない
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