虎屋の羊羹に感心してる若者は、藤むらの羊羹食べたことないんだろうな。
秀吉が伏見駿河屋に作らせた紅い羊羹に対抗して、加賀候が城下の職人に作らせた黒い羊羹。本郷の加賀屋敷前で暖簾を重ねて鴎外や漱石の作品にも出てる。
8代目文楽は、自分の師匠の芸がどれだけ凄いかの喩えで、羊羹を食べる仕草で藤むらのか、駄菓子屋のか演じ分けたと書いた。
戦前の東京で上等の羊羹は虎屋じゃなくて、藤むらだった。
教育環境が良すぎて、息子が皆、東大出て店を継ぐ人がいないまま、自然消滅のように消えて20年。
伏見駿河屋の古代羊羹は復活したが、藤むらの羊羹と田舎饅頭はもう食えない。