>>350
一般向けのスティーブンソンの小説宝島です…
調べたら青空文庫にあって驚いた 疲れた
もう寝ます
最近本当に何もしてない
音すらわずらわしいおやすみ
地獄先生ぬーべーNEOを今さら読んだけど変わってないなと思った
読者も昔に戻ったような感覚
最恐はブキミちゃん
全巻持ってたから一通りわかるけど
赤いチャンチャンコもステップを覚えてたら助かるとかでチャンチャンコも同じような怖さで調べてたらメリーさんも…
赤いチャンチャンコはみんなで体育館かに避難してる時に自分のところにだけ来るとかでより怖かったような
>>356
都市部に家持ってるけどガチヒキだから引っ越せない ぜんまいざむらいとか味楽るミミカをNHK教育でまた見てみたい
いないいないばあのないしょないしょあのねのねのopも
リアルな園時代特に活発な園児じゃなくなんとなく積木を見てただけな記憶だから今思って落ち着くのも保育園の中でぼんやり教育テレビを見てた時間なんだと思う
場所を平面で考えてるからいわゆる汚部屋ができるんだと思った
立体的に考えてると意識して汚さないと汚くならず自然に整理整頓ができているという考え
なんで立体かというと川端康成の小説で傾斜地の家が出てきてその家の説明が複雑でどんな家なんだろうと考えないと先に進めない箇所が出てきたから
考えてなるほどねと一つの落としどころができた時に立体を考えるのは面白いんじゃないかと思った
多層の建物も自分の中では平面移動をしてたから道に迷う場所がわからないという現象になってたのかな
小説を読んで頭の運動になった、その小説は女であること、面白い
早めに役所の人との面談決まった
自分は馬となら仲良くなって乗りたかったけど機械は自分には難しいと思ってあっただけで案の定原付き免許試験には落ちてた
後に受かって数回乗ったけどクラクション鳴らされて道に迷ってよくわからない通りの町に行ったりこれは無理だなって思ってた
自転車がいいのは仕組みがあるだけで動力は身一つなところ
ガソリンを使って走るっていかにも産業革命みたいで頭がついていかなかった
時間はお金で買えないからどちらが貴重かは時間
毎夜の食事を作る時間を親はお金で買ったと思ってたかもしれないけど全く代替になってなかったと思う
女性であることの期ならずして男女が逢い引きになって一緒に写真展を巡る場面の最後
人の誕生から恋愛、結婚そしてまた出産、そういう幸せの後の死の場面で時が止まった気分
女性であることじゃなくて女であることでした
どういう風に物語が続くのかはまだまるで見えないところ
ずっと読みたいのにすぐに気が散って読めないから余ってるコンサータ飲んでみようと思った
50:02/13(火)13:42 ID:9x5Hfd/C(2/2) AAS
関連スレ
1988年(昭和63年)生まれの引きこもり Part3
2chスレ:hikky
51: 02/14(水)22:26 ID:3rIMCxVz(1) AAS
1人のキチガイが日記帳にしてるだけのスレに誘導しようとするなよ
てか同一人物か
52: 02/17(土)08:05 ID:AiAPw6If(1) AAS
承認欲求のでかい無職って存在がよくわからない
その活力があれば無職になってなくね?
b型作業所に通う予定
先日体験してみたけど両面テープを使って物を接着したりそんなに簡単じゃない作業もあったし、施設向けの袋詰めとかは決まり事があって少し難しそうだけどやり応えがありそうだった
自分は釣りも不可能だし子供の時の図画工作はゴリ押しで変な置物を作ってたけどその時点でやばいんじゃない?という時代じゃなかった
作業所の仕事は簡単な工作という感じの仕事だけど働いてまた社会参加できるのが楽しみ
adhd気味に動きたがるとの合わせ技だったけど自分にも確かな場所ができれば十分ちゃんとやってるぞと満足できると思う
昔テレビドキュメンタリーレベルの10年引きこもりだったが
スレを覗くと実家に帰ってきたようだわ
0381(-_-)さん2024/03/06(水) 13:47:57.79ID:DE4njVQE0
死にたいですね
本読んでたら温度計が三十一度、三十二度にのぼり、今年最高の暑さだったって書かれてた
0384(-_-)さん2024/03/06(水) 21:40:48.70ID:DE4njVQE0
もやすみ
福祉面接終わったけどレキソタン飲んで心が落ち着いてたから子供の時からの本来の喋りすぎがでて鬱
adhdの診断書渡してるからそれは典型行動にしてもその先に知的障害が続いてるかもってことうまく言い表せなかった感触
とは言え本式の知的診断は受けてないから自分が境界知能なのか軽度知的障害にまでかかってるのか今の時点ではわからないけど
作業ができないってのは伝えられたしバスの乗り方がわからず遠方から延々と歩いて帰宅したエピソードは言えた
喋りが多いってのは知能が低いから喋りでその低さを森の中に隠してるって考え方もあるけどそうなんだろうな
喋ると言ってもいたずらにクラスでうるさくする感じじゃなく授業で手を上げてそこから喋るのが好きな子でその喋りすぎかなと思った
でもいたずらにクラスでうるさくしてた子なんていなかったか
よく考えたらそれもイメージ
そんなイメージ妄想が飛び交う特にやることもない空間が学校だったような気がする
大人になって仕事ができないと社会不適合になるのは当然で場所がなくなるつらさを福祉でこれが福祉なんだろうなと思った
確かに感じたことはこれだったんだけどもっと短文でサラっと書きたかった
喋ること自体はウィズダムとは関係がないんだから言葉を重ねることは言葉の森じゃなくてただ野を燃やしてるだけだった
昨日変な経験したから今日は高校卒業後にまた高校選択してもう一回次は違う高校に行こうとしてる変な夢見て起きた
昔はその高校選択失敗の後悔があると思ってたけど第一次ヒキ期間から回復して働いたら今度はそもそも働けず免許とったのに車を動かせないという違う終わりがやって来たのもまた思い出した
だからそろそろ作業所に行かないといけないと思ったんだけどまだ少し交付まで時間がかかるらしい
今思えば小学校の卒業式で流れてたハッヘルバルのカノンとかショパンの別れの曲とかは義務教育の中に入ってたのかも
儀式として小学校の卒業式が一番儀式だった思い出。他の儀式ってあったっけかなと思うぐらい別格だった記憶
0394(-_-)さん2024/03/12(火) 17:48:48.34ID:Q7xehn1J0
燃えすぎじゃね?
オタでもあるかもしれんよ
0395(-_-)さん2024/03/12(火) 18:57:00.77ID:NapX1jtG0
仕事柄
アトモキセチンに薬変わって飲んでるけど無心になれて集中できる気がするけど、そこでそもそもやっぱり自分は確かになんらかの知的障害はあると自己認識してつらさが増した
ふわふわと自分は何もできないと思ってたのに、少し集中力が増してそれがクリアに何もできないに変わった感じ
気付いたけどこの薬の影響で気分に浮き沈みができて結果ちゃんとうつ病にもなってる気がした
何もないのにパロキセチン飲んで落ち着いたしこれに今気付いてよかったのか薬の効果が不安定な時期なのか基本傾眠傾向なのは良いけどうつも出るし作業所関連の連絡はまだ来ないしこの対処薬はたくさん欲しい薬飲めば落ち着いたけど薬たくさん出す先生か分からないけど7、8年前は今この患者に薬を量的に出す状況にはないと思われてただけと思いたい
パロキセチンじゃなくレキソタン
読書だけは丁寧に読めるようになって何回もページを読み返して都度内容理解を深めながら読むのが楽しい
前の一回読んだ文を読み返さない一回きりの読み方は内容というよりあらすじがなんとなくわかったという程度の読み方で、だからそんなに読書は面白くないと思ってたんだろうなと思った
20ぐらいの時はやることないけどとにかく本を読んだら何か成長すると思って本をたくさん消化するように読み飛ばしてたけど、それでも少しは意味あったのかな