>>300
そんな文化がなかったからと言えばそれまでだが。
戦国時代に無数に城が生まれても、城下町を囲む城壁の存在は小田原城以外にはなかった

ただ中先代の乱の時期になぜなかったかと言えば、鎌倉時代には一国全土を支配するような大大名はおらず、中小の御家人、他国に本拠地を持つが、飛び地を諸国に点在させる御家人とバラバラだった上、御家人が治める領地でも名義上の領主は京都の公家や寺社だったりしていた

なので土地を大きく改変するような土木工事は、現実的に難しかったかもしれない
それに鎌倉時代では訴訟を鎌倉殿が裁くので、実力行使はできなかったと言うのもあるので、城をわざわざ築く必要はない