9月12日付三成書状は心情的な表現の問題もあるが「遠慮深く候」の用例が気になる
「加遠慮」とか「致遠慮」は当時よく使われる表現だが、遠慮深いは見たことない

白峰氏は他にも「はいくん」をわざわざ平仮名で表記せず漢字で「敗軍」と
書いたはずと、疑義を呈し偽書である根拠の一つとして挙げてる
しかし天正9年7月29日付家族宛吉川経家書状に「はいくん」が使われている
子供宛の書状だからという見方もできるがこちらは根拠としては少し弱いか