結局の所、根本的に器が地方大大名程度だったとしか思えない、輝元は
勿論天下取れたらいいな程度の思いはあっただろうけど、逆に言えばその程度
ただ、だからこそ奉行が輝元に接近したってのはありそうだがね
輝元が大局観を持つという事は、要は天下というものを強く意識するのと同義だから
必然的に家康と思考回路が近くなる、というよりならざるを得ない
そしてそうなる事が三成をはじめとする奉行たちにとって本当に喜ぶべき事なのか、
というのは関ヶ原を考える上では必要だとは思う