なんで三奉行が謀反の中心人物と掴めなかったかと言うと内府違いの条々にある。内府違いの条々には二種類あって、宛名署名が整ったものと無いものとある。宛名があるものは九州の諸領主に宛てられている。だから九州の大名は「毛利と三奉行が謀叛した」と掴んでる。三成の名が出てこないのはソースが条々だからだろう。これには三成の署名が無い。
対して宛名の無い物は署名も無い純然たる怪文書になる。掴まれたところで証拠にはならない。
尤も三奉行の偽情報は毛利軍入城までの時間稼ぎが第一目標だから入城した時点で目的は果たした事になる。後は西軍配置が間に合えばいいので徳川がまんまとハマってくれて助かったというところだろう。