家康は島津を潰したかったけどやむ無く諦めたって
何か史料的な根拠のある解釈なの?
単にその必要を認めなかっただけじゃないかと思うんだが

当時の地政学的にも西南の地の果ての田舎大名なんてはじめから島流しされてるようなものだから
佐竹みたいに転封する必要もないし地生え大名に恩を与えてそのまま統治させときゃいい話
それで250年以上内乱起こさせてないんだから世界史的に見ても十分政治的成功でしょう

当時の一次史料に家康が島津を滅ぼしたがってたが泣く泣く諦めたことが明らかな出典があるなら不勉強で申し訳ない