>>820
木曽渡河は博打でも何でもないよ。当時から「木曽川は何処からでも渡れる」と見られていて岐阜城攻撃は用意と東軍は踏んでいた。それに拍車を掛けたのが織田秀信の状況で秀信は軍勢を集める事に苦慮していてそれは東軍も掴んでいた。
それで岐阜城は簡単に落とせると思っていたらしい。あそこまで鎧袖一触とは思ってなかったのかもしれないけど。