内府違いの条々は欺瞞と自己撞着の塊なんだが実際徳川家康が好き勝手してるという感覚はあったらしい。蜂須賀家政は毛利輝元に宛てて「家康さまは確かに横暴かもしれませんが」と一応の同意はしてるから。とはいえそれは「だから討伐しよう」には決して繋がるものじゃ無かった。ていうか十人衆の内4人も抜けてる現状で政治が出来るのは徳川家康しか居ないんだし。