三成と西軍首脳部では構想してる戦略が違う。
三成は西軍戦力を東進させ上杉と連携して徳川領を攻撃する事を志してる(七月三十日書状、八月五日書状)三成からすると親しい真田昌幸も上杉景勝も何方も東軍勢力に包囲されてるので早く打破しないとマズいという危機感がある。しかし上杉とは連携どころかまず連絡が取れてない。
対して西軍首脳部は東進よりも西での勢力拡大を狙ってる。主力は伊勢に向かわせた上で輝元に預けられていたという大友義統を豊後に送ったり大坂城で軟禁した蜂須賀家政を脅迫して阿波を毛利軍が支配、蜂須賀軍を毛利軍の支配下においたりしてる。また九州勢には「西軍に城を明け渡せ」という命令書を送ってる。