勘違いされがちだけど内府違いの条々は公的な書類じゃない。小説で「内府違いの条々が送られてきて読んで激怒する徳川家康」なんて描かれる事が多いけど内府違いの条々は九州地方の限られた者達を対象に送ってる。当然「東軍の豊臣恩顧大名に呼び掛ける」モノでは全く無い。とどのつまり内府違いの条々とは発布者すら認める歴とした「怪文書」であってそこでは公儀の法則だの規則だのは無視されてる。三成の名前が無いのはそうした規則とは違った理由がある事になる。