言うほど政権として振る舞った結果かな?
内府違いの条々は全国の諸大名に宛てたものじゃなくて九州地方に向けて出されてるものだから理論的正当性は二の次に作られてる。しかも三成は結局奉行に復帰してる事を考えるとここで除名してる理由としては薄い(特に条々で家康の悪事の一つとして取り上げてるのが三成への扱いなんだし)輝元への大坂上洛要請文に至っては公的な要素は無い訳で三成が一枚噛んでるなら省く必要性がこれまた薄い…