その慶長5年8月10日付真田昌幸・真田信繁宛石田三成書状より抜粋

一、菟角早々會津へ使者を被立、公儀無御如在、拙者と被仰談候由、可被迎合候、
  不及申候へ共、國ならひにて物のそかどを申方?候間、
  如此御入魂上は、少々出入りはいらぬ事候間、
  物やわらかに、彼方気に入候樣に被仰越、御入眼此時候事

>國ならひにて物のそかどを申方?候間、

ここね、「物のそかど」は原文ママとある。
訳が難しいんだけど、学者・研究者は「変わり者とか気難しいひと」あたりで訳してる印象。
言うまでもないがと言ってる以上、景勝がそのような人物であるというのは
知れ渡ったいたと思われる。
ただ肝心の訳が難しくてどのような人物だったのかがわからんけど、
普通ではないのは確かだと思われる。
前田利益が心酔してるんなら傾奇者とかかもしれないw

だれかこの訳わかります?