何度かあげてるけど史料スレより再掲
六月十日付安田能元・甘槽景継・岩井信能・大石元網・本庄繁長宛上杉景勝書状

今度上洛不成樣子、第一家中無力、第二分領仕置之ため、秋中迄延引之趣、奉行衆へ令返答之處、重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、

向當郡可被及行之旨候、就之存分雖有之、元來無逆心筋目之条、 抛萬事可令上洛覺悟落着、倂読人糺明之一ケ條申入候處、

無是非只不相替上洛與計有之而、剩日限を以催促如此被押詰、上洛之儀者如何としても不成候、數通之起請文反古になり、

堅約も、好も、不入讒人之糺明も無之軆、時刻到來無二思詰候条、譜代・旧功牢人不依上下、右之趣、無拠分別仕候者は、

供之用意可申付侯、自然、無分別を以、理不尽之滅亡被述懐を存候者は、何者成共無相違可出暇候、然者、上方勢下候日限聞屆次第、

半途へ可打出候、諸口之儀に候条、領分端々被押破、 地下等心替可仕義必然候、其時節、或在所を無心元存知、

或妻子を難捨心中候者、當座之不覺末代之名をくたすへく候条、兼而肉を切而、可存是候、内々無疑心仕置無二奉公存詰者之糺明直に申出候者、

人により遠慮可有之候条、各以分別急度可被相究者也、

六月十日        景勝

安田上総介殿

甘槽豐後守殿

岩井備中守殿

大石播磨守殿

本庄越前守殿


要約すると上杉としては特段過失や非があるわけではない。
告げ口をした相手側(堀ら)にも取り調べをしてもらえるなら上洛する(条件付き上洛)と
言っているのに、奉行衆は時限を切ってただ上洛せよさもなくば討伐されると言うばかり。
熟慮したが(理不尽な要求を呑むより筋を通すことにした)迎え撃つことにした。
理不尽な滅亡、死にたくない者は帰っていい。

まぁ面子というか筋というか武士の体裁というか、死んでも(討伐されても)いいから
名誉を重んじた結果、ってわたしはかんじる。

この時点だと景勝は子供(定勝)生まれていないようなので(能登畠山の養子はいる?)
この決断は討伐されてほんとに上杉滅亡しかねないと思う。
それほど景勝は名誉を重視したということなのかな?、