関ヶ原に突入した島津・毛利・長宗我部軍21000は徳川軍を牽制しつつ
東軍左翼の藤堂・京極・福島隊を背後から攻撃(午前10時頃)
この瞬間、笹尾山に初めて狼煙があがる
小早川への徳川軍への攻撃と宇喜多・小西隊の総攻撃の合図となる
小早川が動いた時点で大谷吉継は自隊と脇坂ら四将に石田隊と戦う東軍の背後を攻撃するよう下知
以後の戦いは家康の決断次第ですが、私の考えでは関ヶ原の合戦に見切りをつけて
南宮山警戒隊を翼側援護と殿にし、東軍諸隊を捨て石にして撤退して秀忠との合流を目指すと思います
そうなれば、徳川軍と南宮山警戒隊は損害を出しつつ撤退に成功しますが
残った関ヶ原の東軍諸隊はカンネの戦いのように殲滅されると思います
徳川軍にはまだ大きな戦力が残ってますが
ひとまず関ヶ原の戦いは西軍の完勝となります

>>211
家康に入る情報は何一つ変わらないのになぜ方針が180度変わるんですか
>>212
杭瀬川の戦いで士気は幾分回復しただろうし
史実では急な真夜中の関ヶ原転進も三成の指示どおりに動いてますよね
まあ水掛け論をする気はありませんが