もし北条氏政が関白秀吉に臣従していたら Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
信長には媚売っていた北条だから、そのまま秀吉に従うのは自然の成り行き。
小牧長久手の戦で家康からの誘いにも応じなかったので、秀吉も北条に悪感情はない。
一刻も早く大陸侵攻したい秀吉は、関東平定に時間をとられるのを良しとせず、領土は安堵。
よって家康の関東転封はなく、北条が豊臣政権下の最大版図の大名。
太閤秀吉没後、朝鮮の役が大失敗し豊臣恩顧の大名間で内紛の政局下、家康の独壇場とはならず。
関ヶ原は起きないな。
※前スレ
もし北条氏政が関白秀吉に臣従していたら
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300866218/ 上手く秀吉に取り入ってたら実際天下取ってた可能性は十分にあるな >>1
小牧の陣では家康との同盟に基づき、
秀吉派閥の佐竹と戦っているけど? 臣従しても、秀吉死んだら家康と結んで反抗すると思うな。 >>1
北条は、せいぜい相模一国安堵でしょ?
武蔵・上野・下野・上総に陸奥会津などの200〜300万石前後の
「空き地」はどうすんねん?
徳川家康?
蒲生氏郷?
織田信雄?
上杉景勝? >>7
時期にもよるけど小牧長久手の時期に
臣従してたら相模、伊豆、上野、武藏の大部分は残されたかと
既に北条は自力でその辺抑えてたし
関東を軽んじてる秀吉からすりゃそれをまるまる治めてくれて臣従するならこんな楽な事はない
失政で削られるようなことは考えにくいし 関が原までは家康と手を組んで関東を治め続けるだろうけど、最終的には加藤清正や福島正則のように取り潰されただろうな
良くて厳封だな
大藩は徳川にとって邪魔なだけ 氏直の嫁は督姫ってことをお忘れか?
史実で督の再婚先池田を削ぎはしたが潰さなかったから
督と離縁していなければ取り潰しはないと思うけどなあ
氏直死後も氏直を引きずり再婚しても忘れ形見の宝珠院を手放さず
あくまで北条家の娘としていたり北条の遺品も持って行くぐらい
北条を想っていたような督姫のことだから離縁するような感じもしないし >>11
関ヶ原が起こるとしたら、後北条対徳川が軸だろ。
逆に徳川と後北条が手を組んでたら、関ヶ原なんて誰が起こせるんだ? 隣接大国決戦だと、戦国時代の場合あんま一発勝負にならんイメージ >>14
お前の歴史IFの話なら、俺に分かるわけがないし
史実の話では、後北条なんて芥子粒くらいの大きさだから、今のIF話には関連がない 小牧長久手以前に臣従していたら
むしろ潰されるのは徳川
両方残っても国力は北条の方が上 秀吉が北条にした譲歩
・上洛(秀吉に臣下の礼をとりに来るの)は当主かご隠居どっちかでええよ
↓
・下野で戦してるけど宇都宮の事撤退させて渡良瀬川以南は北条の領土にしたるからどっちか上洛しろや
↓
・わかった、足利公方は足利義氏の系統を正当とする、上洛しろや
↓
・家康から話を聞いた。そんなに怖いなら人質として前野長康を差し出す、いい加減にしろ、上洛しろや
↓
・よっしゃ、相模、武蔵、上野半国、下野半国は北条の領国にする、上洛しろや
↓
・そうだ、家康さんと一緒に上洛すればええやん、安心やろ?家康さんの親戚に酷い事するわけないよ、上洛しろや
↓
・わかった、もうわかった、沼田は名胡桃城以外は北条の取り分にする、上洛しろや、どっちでもいいぞ、上洛しろや
↓
・沼田城引き渡しに2万もの兵を出したのに俺はブチギレてるけど不問にしたる。上洛しろや
↓
・もうええ、お前ら滅ぼす
↑秀吉は基本、無駄な争いは避ける男
ここまでされても妥協しない北条だからこそのあの結末であり
仮に北条の当主が家康だったら、蜂須賀党時代からの重臣、前野を人質に出すと打診された時点で
家康に詫びを入れて北条家は生き延びたはず 北条が秀吉に早い段階で臣従して領地を失うことなく豊臣政権内で五大老級の地位を得ていた場合、
秀吉の死後
氏政がいるため家康が国力と年齢を理由に五大老首座の地位を得るのが難しくなる
家康の領地が三河遠江駿河の場合、北条に及ばないどころか前田や毛利も凌駕出来ない
豊臣政権内で家康派と氏政派に分かれた内部抗争が勃発する可能性
家康派と氏政派のけん制しあった結果、互いに動けず天下分け目の合戦が起こらない可能性も
諸大名が力を握ったまま豊臣政権が存続した場合は室町幕府と同じ道を歩むことになったかも知れないな。 豊臣政権的には家康と氏政をどう切り離すかだよなぁ
北条が臣従した場合徳川が5カ国持ったまま居座るのはかなり不味いよな
秀吉死んだあとで徳川北条が組んだらもう他に勝ち目はない >>18
大老になるのは無理でしょ
大老になれたのは、あくまで関白就任直後までに臣従したメンバーだけ
島津や佐竹のように、それ以降の臣従者は、領地が広くても大老にはなれない
前田利家 古くからの同輩、ご近所さん
宇喜多秀家 親父は織田家における羽柴軍団の一員であり、我が子も同然
徳川家康 織田家家臣時代からのつきあいであり、小牧・長久手以降は臣従
毛利輝元 中国大返し以降からのつきあいであり、関白就任後は臣従
小早川隆景 中国大返し以降からのつきあいであり、関白就任後は臣従
上杉景勝 本能寺の変以降からの同盟者(対柴田・佐々)であり、関白就任後は臣従
↑↑↑↑↑↑ 小牧・長久手の戦い以前の臣従者 ↑↑↑↑↑↑
↓↓↓↓↓↓ 小牧・長久手の戦い以降の臣従者 ↓↓↓↓↓↓
四国平定・四国国分
長宗我部
九州平定・九州国分
大友
竜造寺・鍋島
島津
小田原征伐・宇都宮仕置・奥州仕置
北条
佐竹、宇都宮、結城・・・
伊達
南部、津軽、最上、相馬、秋田、戸沢・・・・
氏政の臣従するタイミングにもよるよね
そもそも早く臣従していれば徳川を挟み撃ちか
氏政が小田原征伐直前に臣従していた場合、官位は少将止まりかよくて参議?
上杉、徳川とは明確に差がついてしまう 残念ながら北条はどうやっても秀吉と真田の共謀に嵌められて安泰では済まなさそう
秀吉の為の天下の秀吉政権(中央集権、厳しい検地による2公1民、重税、拡大主義)にとって民衆第一の北条(地方分権、状況に応じた4公6民、低税率、和平主導)は生かしてはおけない存在
救われる道は秀吉のお気に入りの北条一族を当主にする、豊臣式の政治を受け入れる、1583年正月時点で全領土を秀吉に委ねる、真田を豊臣に降る前に抹殺する、秀吉に頭を下げつつも信頼すべきは秀長と利休
これだけの条件をクリアしてやっと6カ国以上維持出来るかという所 そもそも小牧長久手の時点で同盟国徳川を切って秀吉に臣従する先見の明とか
もはや北条ではない まぁ末期の武田にフルボッコにされてたのが北条氏政だからね 相模、伊豆、武蔵の三国以外を返上すれば臣従できたかな
武蔵も無理か 相模伊豆だけだな 九州の島津、四国の長宗我部を
思えばそんなもんだろ 2国で我慢できるかどうかだな >>25
そもそも「今やってる戦を止めたら相模、武蔵、上野半国、下野半国は北条にやる」という条件は秀吉から提示されてる
で、代理上洛した氏規が秀吉に謁見して臣下になる段取りの話を詰めて
これで北条は生き延びられると小田原に帰ると…
氏政
「やっぱ猿に頭下げたくない」
国内の反秀吉派武将
「猿に言う事なんか知るかヒャッハーッ!!
どさくさで所領拡大ダゼーッ!!」
ダメだこれは
残念ならがら滅亡も当然 >>25
2国で我慢できるかどうかも何も、
伊豆一国だけ残して。相模も返上するから、と申し出た
が、拒否された
秀吉は既に、何が何でも北条を滅ぼす気になっていた >>28
戦争を始める前と始めてからの区別もつかないのか?
始めてしまったら、恩賞が発生するって常識もないのか? >>28
北条は東国で豊臣政権の武威を示す格好の標的にされたからな
伊達じゃ役不足だし、家康は既に臣従済み
万が一にも氏政に勝ち目はなかった さすがに名胡桃奪取のあとに生き残る術は無いw
やっぱり一番ベストのタイミングは小牧長久手時
家康を挟める最高の時期に秀吉に恩を売れるので
まず間違いなく関東ほぼ全域を手に出来る
伊達も徳川も北条と結ぶしかなくなる >>26
太閤検地高石高
相模 194,304
武蔵 667,126
上野半国 495,377 ÷ 2 = 247,688
下野半国 374,084 ÷ 2 = 187,042
合計 129万6160石
小田原征伐前だと、織田信雄を上回り、毛利一族(輝元、秀元、隆景・秀包、吉家)、
家康に次ぐ大身だな
北条安堵に続いて、奥州仕置で葛西・大崎などを改易、伊達を減封にしておいて、
A その空き地に蒲生氏郷を入れる
B 北条への領地安堵をチャラにして、織田・徳川・北条を加増含みで1〜2国ずつ
東北へずらし、畿内に近い尾張・美濃・信濃を空けさせる
(その過程で信雄が転封を嫌がって改易される)
のどちらかのパターンかな そもそも小田原北条氏は本領安堵で開城したのですが秀吉に騙し討にされた経緯がありまして
勝ち目がなかったのは秀吉サイドなんじゃないのかな?
少なくとも秀吉の圧勝ってより秀吉の辛勝からの騙し討ちってのが大きい 本領安堵が条件だったとしても
開城した時点で北条の方が苦しかったんだろ
北条の方が優勢なら勝手に撤退しろと言えば済むわけで >>26
下総はどうだったの?
上総も一部は北条だろうに >>32
小田原征伐前だと
三河遠江駿河甲斐信濃半国ぐらいだから家康は120万石ぐらいじゃね >>37
検地石高の単純積算だと110〜120ぐらいだね
一般には、東海130〜150万石 → 関東移転後220〜250と言われている
まあ、北条氏政が素直に惣無事令に従って秀吉に臣従したとしても、単独で
最大規模の大名(毛利氏も輝元単独だと120)として残すほどの優遇は
さすがにしないだろう
まずは、豊臣氏の蔵入地を設定したり、北条傘下の国人を独立大名として
領地安堵したりして、100以上120以下まで削って様子見するんじゃないかな
そのうえで、奥州の国人一揆や唐入りで秀吉に従順な姿勢をみせれば、
蔵入地を返したり、陸奥あたりに北条兄弟の誰かを封じたりして150ぐらいまで
引き揚げる感じになると思う 北条は従うつもりだったけど秀吉が真田と共謀してハメたんじゃねえか
大量破壊兵器が小田原にあるみたいなノリで 島津も長宗我部も戦った上で従って本国安堵されてるからな
北条だけ許されなかったのはどの道潰す事情があったんだろう 九州、四国の征伐のときはまだ東に脅威があったからなぁ
伊達が臣従しなきゃまだよかったかもしれんが やはり確実に生き残るなら
小牧長久手で秀吉に味方するしかなかったのでは
それなら秀吉にも恩を売れる
柴田や佐々に敵対した上杉のように
織田に従属したときに冷遇された経験から家康と組んで独立を保つべきと考えたのかもな
上杉や毛利と違って余力があったのが仇になったか 北条ばかり言われるが、島津長宗我部伊達もさっさと従ってたら、とんでもない領地を安堵せざる得なかった事案はあるよな
徳川、毛利しか群雄クラスで引き際成功した奴はいなかった
まあ力ある大名には秀吉は、小早川安国寺、直江とか主要人物を手籠めにしたしな
徳川にも四天王にちょっかい出してたが、失敗したのが痛かったね 四国は石高低いからそこまでじゃ
長宗我部は二か国安堵の条件蹴って戦ったけど >>43
徳川は石川数正が出奔して軍制を改編せざるを得なかったってのがあったからな
もし豊臣政権下で北条がそのまま残ってたとしても、毛利における小早川みたいに氏規か辺りが独立させられたかも >>616
小牧長久手なんて、秀吉的には信雄調略できりゃどうとでもなる戦だから
北条の助けが是が非でも必要ってわけじゃ無いのがなぁ
あの頃、秀吉側から北条関係者にコンタクトとってたりしたんだろうか? 小牧長久手に便乗して長宗我部が臣従申し込んでたら四国安堵はあったんだろうか? >>47
讃岐と阿波丸々は厳しいと思いたいがな
まあ、秀吉って狂ってる所があるから、空手形からの殲滅をやる可能性もあるけど >>47
無理だろう
先に三好・十河が臣従を申し込んでいる >>50
秀吉としては関東に家康を転封したいし、
最初から北条は潰す気しかなかったかと。
北条も臣従の態度は示していたけど秀吉にしてみれば
250万石の勢力を放置するわけにもいかないからな >>51
徳川と姻戚の250万石だからな
まぁ小牧長久手でもし徳川裏切って東から攻めこんでれば
250万石でも駿河と甲斐くらい与えざるえん >>43
長宗我部は四国全制圧しても100万にも行かないし
島津も伊達も沖田畷、摺上原を経過後じゃないと
飛躍的に領土は伸ばせてないがそこまで行ったらもうタイムオーバー
北条だけが神流川で滝川追い出して上野の大部分抑えた時点で200万クラスなので
そこで見極めてたら〜というIfが成り立つ、勿体なかったね 氏政も、意地でも降伏したくなかったのかもなあ
氏政から見れば「下」の徳川家康は、早くから中央の覇者たる信長と同盟していたので
本能寺の変の前には従四位上、小牧長久手の戦いの一か月前には従三位参議
小田原征伐前には、従二位権大納言を経て左近衛大将
上杉景勝も同時期に、従三位参議、清華家の家格に列している
一方、北条氏政は関東の雄といえども、地方の戦国大名の極官とも言うべき左京大夫・
相模守でしかない
出仕すると関白秀吉どころか、自分より若い家康・景勝よりも下座なんだよなあ
有名大学の院卒なのに、気が付いたら高卒や三流大学卒の若い正社員に指示される
高齢派遣社員の立場になってたようなものだろ? >>53
北条は西関東、つまりおおむね利根川・香取内海の南岸しか抑えてないから、
関東開発における最大の懸案である利根川の治水ができないんだよな そもそも小牧長久手の頃に北条が臣従していたら徳川を残さなくていいからな
史実のように徳川を臣従させるために苦労しなくても
北条に背後から攻めさせればいいだけ >>58
徳川消して北条残ると、秀吉がぼける前に史実の江戸徳川が出るようなものか。 石高だけなら豊臣以上の勢力を黙認なんて出来ないだろ。 いや石高豊臣の方がずっと上だから
最盛期は直轄地+秀次+秀長で400万石あったし
それとは別に十万石級の子飼い大名がゴロゴロだし
一族、家臣、与力全部トータルしての数字とは違うから そもそも小田原前に北条の石高を正確に把握できてないだろ
過少申告するんじゃね? >>62
過小申告するまでもなく
秀吉は明らかに東国を軽んじて過小評価してるように思うから
あっさり任せそうに思う 小牧・長久手の戦いで、秀吉に臣従(同盟)して、家康を挟撃できれていれば
大大名
一国支配: 相模、伊豆、武蔵、下総、甲斐
半国支配: 上野、下野、駿河
豊臣政権大老職(関東管領扱い、奥州大名申次役)、武家清華家
一族への分知・諸侯取り立て権限は氏政に一任
九州征伐完了後に、秀吉に臣従していれば、それなりに領地は認められるも
兄弟それぞれへの領地安堵は秀吉から行われ、兄弟分断工作される
さらに、奥州仕置後に大崎・葛西などが改易されて空いた会津への移封を
命じられる
断わったら改易か戦争、断らなければ奥州探題扱い
氏政:相模、武蔵半国 → 相模召し上げで、陸奥会津に加増転封
氏照:武蔵半国、下総ちょっぴり
藤田氏邦:上野1/3
氏規:相模国内で10万石程度 → 相模召し上げで、下野に加増転封
佐野氏忠:下野1/4
氏光:伊豆 → 伊豆召し上げで、下総に加増転封
小田原征伐時に、初戦で速やかに降伏していれば、
氏政・氏照隠居
氏直:武蔵一国
氏邦:上野半国
氏規・氏忠・氏光に下総・下野国内で3人合計10〜15万石程度
>>64
>小田原征伐時に、初戦で速やかに降伏していれば、
>氏政・氏照隠居
>氏直:武蔵一国
>氏邦:上野半国
>氏規・氏忠・氏光に下総・下野国内で3人合計10〜15万石程度
これは無い
小田原征伐宣戦布告時の北条宛書状で秀吉ははっきりと
「必ず氏直の首をはねる」
と書いている
秀吉は最初から北条を潰すつもりだった。 北条が残ったとしても、関東か奥州に抑えの大名は置くでしょ
奥州に氏郷か家康が来たり佐竹・里見・真田辺りが加増されたりしたかも知れない
家康が関東に封じられてから抑えとして喜連川家を再興させたみたいに(役に立たなかったけど) >>61
それは最盛期の話だろ。
小田原の陣の時点では北条の方が石高は上 臣従の意は示してたけど安堵してやるには巨大すぎたってのが潰された理由
あと正当な理由なく減封なんてしたら、他の大名達からも不信の声が出るかもしれない
いずれにせよ潰される運命 >>67
秀次が尾張に移る前でも豊臣家の方が上だろ
蜂須賀竹中黒田宮部とかいった織田時代の与力連中抜いてさえも
畿内大半に紀伊近江丹波若狭、それに山陰山陽北陸にちょっとずつで300万石は軽いだろう 100万石くらいで存続できてたら歴史は違ってただろうな >>67
正確には臣下と言えるか微妙な奴らまで含めた数字と直轄領だけの数字を比較すること自体ナンセンス
直轄領で言ったら北条なんて1/3あるかどうか怪しい 上杉徳川が移動されられてるわけだから当然北条も関東には残れまい。上杉の代わりに会津辺り行ったかもね 東欧で名胡桃事件発生
「クリミアの銃撃戦で2人死亡」露が主張、ウクライナは否定
http://www.afpbb.com/articles/-/3097138 なんか日米戦と同じテイストで出鱈目抜かしてるのがいるな…中卒か? どこの大大名でも直轄領なんてそんなもんじゃない?
でかくなるほどその勢いに次々に臣従してきてそのまま領国安堵だろうしね >>72
250万石の北条家を移封するとなると最低でも300万石くらいには
加増しなきゃならんし、東北地方を全て与えてようやく200万石だぞ。
東北全て+北関東を与えるくらいのことをしないと移封はできない 覚者より 『彼らの時代はほとんど終わっている。間もなく起こる出来事が政府の力を再分配し、国民を解放するだろう。』 2016、8
【安倍マリオ】 どっちを支持する? 【メロリンQ】
∧,,,∧
(´・ω・`) < 近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
(| |)
し--J
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤはまずアメリカに現れ、それから日本です。彼は日本語で話し、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
矢追純一 「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。
日本国民はどう対処すればいいのか。新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。 森田善明氏の本には、秀吉は沼田裁定の前から、
北条氏武力討伐を決心してて、北条はどうやってもやられてた、
ってかなんにも違反してないのにやられたって書いてるな 大正時代の本なのにちゃんと出典引用してて凄い
徳富蘇峰「近世日本史 豊臣氏時代 乙編」
http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F960830&contentNo=214&outputScale=2
五箇条詰問の中にて、奴隷売買の一件は、最も重大であった。しかもコエリョは、ただ言葉を濁して、申し訳したるのみにて、その事実を否定すること能わなかった。
それもその筈だ。これはポルトガル商人が公々然行うところの罪悪であったからだ。
その詳細の顛末はレオン・パゼーがマドリッド府の歴史学士院の文庫を捜索して得たる文書を、その日本耶蘇教史の付録に採録したるもので分明だ。
その一節に曰く、
ポルトガルの商人は勿論、その水夫、厨奴等の賤しき者までも日本人を奴隷として買収し、携え去った。しかしてその奴隷の多くは船中にて死した。
そは彼らを無闇に積み重ね、極めて混濁なるうちに籠居(ろうきょ)せしめ。
しかしてその持ち主らが、一度病に罹るや ――持ち主の中にはポルトガル人に使役せらるる黒奴も少なくなかった―― これらの奴隷には一切頓着なく、口を糊する食糧さえも、与えざる事がしばしばあった為である。
この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを逞しうして、あえて憚(はばか)るところなく、そのマカオ帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。
予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児濫造――したる、放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。
と。しかしてムルドックの如きは、この奴隷売買を途絶したるは、秀吉及びその継続者の力にして、耶蘇会宣教師の力にあらざる事を特筆している。[ムルドック日本史]
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960830/214 だから秀吉台頭で北条周辺の里見やら佐竹真田とかが即秀吉に従属したわけよ。そして敵対している上杉も。
北条はこの時点ではさすがに動けない。
北条も秀吉に下る意志は確実にあった。でも、タイミングを逃した従属なんて敗北もいいところ
後から従属したら北条は格下の里見やら佐竹の下に付かないといけない。つまり条件が最悪だった。
これはプライドで許されないのもあるが関東の情勢からしてありえないわけね。
北条が生き残る道は、小牧・長久手の戦いで秀吉と組んで徳川と戦わないといけなかったが、ありえない。
つまり北条は最初から詰んでいたのね。 北条はバスに乗り遅れた
ただそれだけの話なんだよね 何で信長の時は素直だったのに秀吉の時は頑なだったの?
同盟と従属の違い? 信長とはまだ直接国境せっしてなかっただけで信長が関東の利権に食い込もうとしたら対決するしかなくなる。
長宗我部のように。
実際、本能寺の直後すぐに手に平返して攻め込んだだろ。
双方、隙あらば仕掛ける関係でしかなかったよ。信長時代も。 秀吉は成り上がりとして格下にみる武家も多かったろうな
それをまた力攻めだけにせず懐柔に動けた若い頃はまだ救いがあったな
晩年はただ粛正するばかり 実際はそう多くもなかったと思うけどね
上杉や毛利がさっさと秀吉方についたし
つうか秀吉のこととやかく言えるほど立派な出自の大名もそう多くなかったからねえ
家康とか100年遡ったらどこの馬の骨か得体のしれない怪しい家系だし >>82
北条は既に従属済み。だけど秀吉の方が頑なになって北条を滅亡させた
秀吉にしてみれば
1.徳川家康の移封
2.200万石超えの北条の安堵は危険
3.東国で武威を示す必要性があった
これらの理由から最初から北条は潰す気だったと考えるのが自然 北条はバスに乗り遅れた
小牧長久手の頃に秀吉と組んで家康を背後から掘ってれば
家康ポジションで豊臣政権参画もありえた。 >>87
徳川と姻戚が致命的ですよね。両家で合わせて約400万石じゃあ潰すしかない。
徳川と組まずにさっさと臣従してれば本領安堵なんじゃないのかね?
勿論その場合、徳川は完全に潰し、尚且つ里見や佐竹や北関東の小大名は独立大名
として残す条件だろうけどね。
それでも150万石以上安堵なんじゃないのかね? そりゃモンスター大名を東国にいくつも置いとくわけにはいかんわな
徳川か北条で臣従の椅子は一つだった
早い者勝ちで徳川 徳川だって強いまま置きたくなかっただろ
だけど徳川は駿府から離されてもまた増強した
それを咎めることができなかったのはやはり軍事力
北条も確固たる軍事力があればな 関東兵ということで中身は同じだろうが
北条は民に優しいから兵が少なかったのか 例の年貢率が本当なら暮らしやすい土地柄だったかもね
でもうそくさい >>91
その判断が豊臣政権を終焉させる原因にもなったけどね
信長も晩年は北条に冷たくあしらう等、関東の雄の北条は
いずれ滅ぼそうとしてる
個人的には何故秀吉が自身の直轄領を超える石高の
250万石を家康に与えたのかが非常に不可解 姻戚(だった)北条を攻めさせて、しかも占領間も無い土地に国替え
相応の領土与えないと徳川だけじゃなくて他の大名にも不信が募る
あの領土でも徳川カワイソスな声はあったんだから 秀吉の直轄領と徳川家全体を比べるのはおかしいだろ
重臣や子飼いの大名を含めての豊臣家だろ >>95
関東武士団は独立心が強いから善政敷かないとすぐ反乱されちまう >>95
関東武士団は独立心が強いから善政敷かないとすぐ反乱されちまう >>96
大封与えて移封ってことはある意味罠仕掛けるようなもんでしょ。領土削減or改易を狙うために。
織田信雄のように移封に抵抗するか、肥後に移封させた佐々成政みたいに失政するのを狙ってたはず。
でも家康は秀吉の意図見抜いて抵抗せずに関東移封を受け入れた。
関東の国衆の独立心強いし、前支配者の北条が善政してたから治めにくく、湿地帯だらけで水害も多いとこだったから家康が国力疲弊or失策するをじっくり待ってたけど、
北条時代の統治システム継承して利根川治水もしっかりやって、上手く関東経営できたからなぁ。
あとは家康が秀吉より先に死んでくれたら丹羽蒲生みたいに領土分断・解体したかもしれんけど、
お迎えが来たのは秀吉が先だったし。 >>98
そもそも家康の石高は別家扱いの秀康や徳川家臣じゃない与力大名の分も含んだ数字だしな
家康関東移封当時は秀吉直轄地に秀長、秀次で豊臣一族だけで400万石持ってたし
傘下の子飼い大名の分含めればもっと >>101
なるほど。佐々成正や木村吉清みたいに
嵌めようと考えてたとすれば納得 ボロを出さなかったら出さなかったで無理やり難癖つけてでも取り潰しにかかるだろ
やらなかったのは秀吉のハリボテ政権にその力がなかったからだな >>101
中国の五代の乱世なんかにその例は多いですよね。
より条件の良い節度使に栄転の辞令をだして、本拠地から引き離す奴です。
だけど手口が有名に成り過ぎて、辞令を出したらそのまま都目指して謀反とかが
起きる様になるんだよね。
漢の高祖が韓信を斉王から楚王に転封した直後に改易したみたいに、寧ろ即攻かけ
た方が良かったかもですよね。
何にしろ、野戦で太閤を破った名声付きの男はどんな手でも消すべきでしたよね。 結局のところ秀吉が唐入りに集中するには東国を丸投げできる家康という存在が必要だったという話
全ての元凶は唐入り。国内の平定をほっぽりだしてあんなもんに熱をいれてしまうから。 変な話神流川で負けてたら逆に存続できてたんじゃないか >>107
かもね
滝川が史実通りに反羽柴なら、だけど
ただ、滝川が勝ってると清洲会議以降の歴史が大幅に変わる気もする 滝川は勝ったら勝ったで戦後処理で清洲間に合わない気がする 北条氏直 255
徳川家康 130
上杉景勝 120(氏郷が史実通り早死と仮定)
毛利輝元 112(隆景が史実通り早死と仮定)
織田信雄 109
前田利長 81
伊達政宗 58
宇喜多秀家 57
島津義久 56
佐竹義宣 54 やはり北条が大きすぎか
徳川・上杉・毛利・織田・前田が百万石前後で横並び
その下に伊達・宇喜多・島津・佐竹の
豊臣六大将クラスが五十万石台 毛利は実際は防長だけで50万石以上あったからかなり鯖を読んだ数字だけどね
逆に上杉は実高だと100万石もいかないみたい 徳川もそうだけど北条も250万石なんて実際は持ってない
影響下にある国人領主とかの領地も全部トータルしただけの数字だから
実際の支配率でいうともっと低い。200万石もなかっただろうね。 防長だけで50万石もあったのだろうか
上杉の領地は幕末にかけて開発が進むからあのまま維持してたら凄いことになってたは 関ヶ原の後に幕府が毛利に命じて正式に検地させたらなんと50万石以上もあったから
石高相当の賦役課されたくない長州と西軍の大将だった毛利に50万石の格を与えたくない幕府の利害が一致
約2/3の37万石が長州藩の表高になる。なお、幕末には百万石あった模様。 なぜ防長なんかがそんなに豊かなの?
毛利が無理して石高を叩き出したのでは 仙台に引っ越したら実質100万石と言う人が多くて驚いた
ずいぶん新田開発したけどさ
お墨付き反古にされた話もよく聞かされた 上杉の米沢(置賜)・福島(信夫・伊達)も
表高30万石に対して検地したら51万石
(毛利と違い高直しはしなかった)
秀吉に臣従時の越後五郡(下越は揚北衆)・越中半郡(宮崎、天神山など)
の約40万石より多い。 新幹線を北から南まで乗れば分かるが、西国の豊かさは明らか >>116
太閤検地のときに毛利が鯖読みまくって過小申告してた
そんな例はあちこちにあって長宗我部は20万石あるのを半分の10万石で申告してたし
黒田も25万石近くあるのを12万石で過小申告してた 北条氏政が政子を秀吉へ人質として出せば助かったのか >>122
タイムパトロールにより後北条家取り潰し >>114
越後新発田藩の溝口なんて大した広さない8万石ほどで入ってきのに沼地を開発しまくってしまいにゃ40万石以上の実高だからなあ。
上杉が越後佐渡丸々なら越後で120万石、佐渡で10万石、+金銀山と港や貿易収入でヤバいことになる。
会津を主とし庄内米沢を領したとしても庄内、福島方面の大開発ですごい石高になる。 土地が広くても東北・新潟は冷害で3年に一度は不作だろー
やっぱ西国がいいわー 徳川より大きい外様大名か・・・ 意外とうまくつかえば徳川潰しに使えたかも >>111
他の勢力に比べて北条は大きすぎるし
しかも関東に根を張ってる勢力だからな 秀吉服従前なら島津もほぼl九州飲み込む勢いだったし
適当なサイズに削ればいいと思うけどね
北条本体が直轄してる領地はそこまで多くないし 御家取り潰しをされても文句は言えないレベルの葛西大崎一揆を扇動した
政宗は転減封で済ませる寛大な処置だったのにな
なのに名胡桃城事件では弁明さえさせない非情さ >>116
山代慶長一揆とかも起きてるし50万石ってのは
相当農民に負荷を掛けて叩きだした数字だろう
幕府としても流石に農民が潰れると思い37万国に改めさせたのかと >>130
それまでの貫高制は、領地を金銭収入で評価してる分、まだ公平かもですね。
石高だと、実質的に殆ど米が取れない島津が77万石だったりして変ですよね? >>131
石高は測量だけじゃなく、その地域の兵士動員可能数も加味するらしいぞ
そこらへん仕切ったのは三成だから、文句は三成に言え 毛利といい島津といい松倉といい何故か西国は年貢率が高いな 北条は馬鹿か なんでさらなる領土を求めるんだよ
自国の領土、半分差し上げますから家来にしてくださいって言えよ >>134
この時代の大名に自分の裁量で自由にできる領地なんてほとんどない
そんなことしようとすれば傘下の国人にそっぽ向かれて寝首をかかれる
おおむね外敵に殺されるから身内に殺されるかの違いでしかない >>133
江戸幕府の目が届きにくいから過剰な手伝普請をやらされていたことと
参勤交代の旅費を賄うために重税を課すほかなかった 北条が滅亡するかどうかのターンニングポイントのひとつは天正壬申の乱だな 徳川家が滅亡してるかもよ
理由を丁稚あげて徳川を全方位から攻撃し、家康首テヨンパー
北条・毛利・前田の天下を望まない家の三頭体制にすれば
豊臣政権も安泰だ 武蔵・相模・伊豆と下総半国のみ安堵なら
北条氏直 135
徳川家康 130
上杉景勝 120
毛利輝元 112
織田信雄 109
前田利長 81
伊達政宗 58
宇喜多秀家 57
島津義久 56
佐竹義宣 54 織田→徳川→北条の移封が起きないから
織田信雄と徳川家康の旧領に入るはずの
堀尾、中村、福島あたりを
下総、上総、上野(50万石はデカいので真田と分割)でどうだろうか。 (豊臣秀頼・中納言) 220←上にこれがあるな
北条氏直・参議か左中将 135
徳川家康・大納言 130
上杉景勝・中納言 120
毛利輝元・中納言 112
織田信雄・内大臣 109
前田利長・中納言 81
伊達政宗・左少将 58
宇喜多秀家・中納言 57
・
・ 徳川〜北条って婚姻関係なのに、家康もそんなに真剣に説得してないよね
伊達にはいろいろ懇ろにしたのに。 北条が生き残れた可能性は、あるが
東国大名が近世で輝くのは難しかったと思う
上杉、伊達、佐竹、南部、津軽を見ればわかる
信長秀吉が「金本位制」で天下統一し
徳川が「農本主義」に、わざわざ戻して時計の進みを遅くした
幕末の伊達上杉南部丹羽を見れば一目瞭然 外様なのに賊軍 >>147
要するに織田と豊臣は重商主義だから日本にとって善、徳川は重農主義だから悪と>>146は言いたいんだろ
ただし前者は強引な中央集権化と無理な外征を回避しない限り開祖(信長と秀吉)が死ねば室町幕府中期以降の様な不安定な政情になりそう
それに重商主義を正しく理解し実行していたのは秀長と利休で、これを徹底的に妨害したのが秀吉と言うことも考慮しなければならない 頭良いね
金本位制ってそう言う使い方するのかしら
だいたい兌換紙幣とかああいうのに使うと思うけど 江戸幕府が後に農業重視に傾くといっても、家康の経済政策とは別問題では?
大久保長安事件あたりがターニングポイントにも見えますが、どうなんですかね。 信長には臣従てか媚売ってた北条家がなんで秀吉には従わなかったのかな。
農民上がりのサル顔が嫌いだったのか、単に反りが合わなかったのか。 信長の時は150万石(上野を取られたので120万石)、秀吉の時は200〜250万石
こういうこと なるほど、でもそのぶん秀吉側も信長のときより強大な勢力になってるけどな。 氏政の頭の中では北条・徳川・伊達の500万石連合軍だからな 婚姻関係のある北条徳川を隣り合わせのままにする危険性を放置するとは思えん
どの道どちらかを転封する処置をとるだろう まさか逆らって勝ち目があるとは思わんでしょ〜〜
関東といったって徳川と上杉の隣国と思えば遠くない
秀吉の情報バンバン入ってくる みんな歯向かったら即死って進言するよ
信頼おける知識人が正確な情報言うよ 勝てると思うわけがない
北条は臣従したいと望んだが、秀吉が自分の都合で潰しちゃった 信長のときは武田と上杉と関係悪化していたし、関東の大名とも敵対、伊達も勢力を伸ばす前
秀吉のときは徳川とは同盟関係、関東の大名に対しては優位な状況、奥州では伊達が勢力を伸ばし友好関係、さらに北条自体も支配地域を増やしていた
これだけ状況が良くなっているのに、あっさり屈服するのはもったいないと思ったんだろ
織田に対して裏切った前科があるから、織田政権を継承した秀吉が北条に対して北条に対してよく思ってないのではないかと疑ったかもしれない
小牧長久手あたりで秀吉とパイプを作っておけばよかったな 小牧長久手の頃はもう徳川と同盟してませんか?(小声) 同盟を破棄するか、そもそも同盟しなければよかったのでは 北条と徳川、という事であれば、
どちらも「今川関連」ではあるよね。
氏真は徳川の旧主だし、
正室の早川殿は北条の嫁だしね。 後知恵だけど北条にとって当時もっともベターな選択は
小牧長久手のときに徳川との同盟破棄して後ろから襲いかかること。
同時に秀吉への根回しもしてれば毛利・上杉と同程度の待遇は受けられただろう >>162
もしくは徳川と手打ちをしなければよかったね
そうしたら上野の真田領の問題もなかったし >>162
まず、同盟破棄するのは良いけど、小牧長久手のときは、
北条は関東の対北条(具体的には佐竹と里見)と戦ってるから。
徳川へ援軍が出せるようになったのは小牧長久手が終わったあと。
関東での軍事行動を一時的に止めてしまうと佐竹の勢いが止まらない。
天正壬午の乱がど初期に真田が北条に一時的に属してたけど、
これを何とか離反を止められたのなら戦況は北条有利になったと思うけど・・・。
そもそも信州は元武田の領地で、御館の乱の影響で北条と武田が物別れしちゃったからな・・・。 200万石を越える大勢力を秀吉が安堵するわけがない
まして100年近く根を張ってる関東をそのまま任せるなんてあり得ない 240万石で関東に家康おいているんだから問題ないよ。
秀吉は自分に忠誠を誓って、朝鮮征伐の軍役をこなしてくれたら何もせんよ。 北条攻め起きなかった場合、家康は江戸に移動にはならないかな? 移封ぐらいはするのかね
それとも臣従の見返りして北条の領土は安堵?
なら徳川が関東に入ることないよな
そもそも北条が臣従してたら徳川はそこまで重きを成し得ただろうか。 >>168
北条関係なく伊達が暴れているなら奥州征伐→奥州で蒲生領+伊達領ぐらいの大領?
ただ北条が降ると伊達もおとなしくしそう
そうすると奥州征伐もなくなるから移動先がないね
九州が最後になって九州、ってはあるのかな? そもそもなんで沼田問題であそこまで突っぱねたのか疑問であるがなあ。
秀吉の差配は飲めないものではない。真田も徳川もそれなりに損をしているし、
三方の面子をそれなりに立たせる意味でも妥協点としては妥当だろう。
上洛に対しての人質要求はまあわかるし、家康よりも重要人だせというのもわかるんだが、
沼田城攻撃がね。妥当な差配したのにそれを無視したわけで、これは秀吉の面子を潰す事になる。 北条が臣従していたら徳川の国替えはなかった感じかね
以後どうなったか
刀語みたく尾張幕府になったかな 沼田城攻撃の当事者の猪俣が戦後消息不明
で、特に探した形跡も無いのはなぜ? 山手線の中で「なんで関東は電車内がこんなに静かなんや?みんな病気か?大阪は賑やかで楽しいで〜」とかいった内容を、延々と周囲に聞こえよがしに言ってる若い兄ちゃんがいた。
大阪行くと老若男女みんな、いかに自分が東京に詳しいか、東京に親戚や知り合いがいるか、東京に行った回数が多いかを大声で自慢合戦してる。
東京にいるときは関西出身であること、関西にいるときは東京に詳しいことを必死にアピールする。たまたま周りに居合わせた赤の他人にも必死にアピールする。
関西人の東京コンプレックスはもはや一種の精心疾患である。 森田善明『北条氏滅亡と秀吉の策謀 』(歴史新書y)は、「北条は臣従していたのに
でっち上げの名胡桃事件で潰された」説。 森田善明といえば資料的根拠の乏しい妄想新説を乱発して本を売ってる御仁
言うならば劣化井沢 天正壬午の乱で徳川相手に和平してしまったのも大きな影響があったな 『北条氏滅亡と秀吉の策謀 』 読んだけどおもしろかった でもまあ、コジツケ本ではあるかな
開戦する何年も前から兵糧とか集めて戦争準備してたのをだまし討ちの証拠としてるけど、
和戦両面で準備してただけと思われる 江雪斎を上洛させ、国境線確定作業をしてるときにすでに、
罠を張って大義名分を作ろうとしてたって言うけど、国連加盟国同士の戦争じゃない
秀吉は天皇を擁する関白、いつだって臣従してないという理由だけで朝敵死ねと開戦できた
苦労してややこしい開戦理由をつくる必要なんかなかった 北条家は臣従を前提に交渉し、話も纏まっていたのは周知の事実だから
臣従してないという理由で征伐することは出来ない。 北条が無駄に大きかったのが仇になった
一国に収まれば存続出来た
アメリカ(徳川)が拡大戦略は正義で日本(北条)はダメ
駆け引きが上手かったかだね、毛利も狙われているのがわからなかった 秀吉の策謀では、北条は遅参してないって書いてたけど、
やっぱり上洛が遅れたのが最大の原因じゃね?
とっとと上洛してりゃよかったんだよ 山ほど催促されてたんだからさ
もたもたしてる間に秀吉の気が変わってしまった BMWでは7割以上、いや、ほとんど全部に近いドライバーが傲慢運転手であることが多い。
しかもBMWドライバーは、女性でも男勝りな傲慢な運転をする。
大抵はサングラスを掛けていたり、ちょっと気負っている感じがする。
これらの事からなんとなく解ることは要するに貧乏金持、成り上がり、コンプレックスから少々小金を稼いだ者たちの一種の精神疾患ではないかと私は分析する。
ハッキリ言おう、別にBMWに乗ったからといって、道路の優先権があるわけではない。
ましてや人間が偉くなったわけでもない。あなた方は思いっきり勘違いしている。 >>183
北条は年内上洛で話が纏まってたのに土壇場で来年にしてくれとか言い出して秀吉を激怒させてるよな
それに対する氏直の返書(一般的解釈)
氏直「年内上洛しないのを遅延とかつまらん言いようだ。上洛は来年でもいいだろ」(開き直り)
「秀吉の策謀」の解釈
氏直「上洛遅延とか言うけど約束を違えた覚えはない」
「秀吉の策謀」は、こんな感じの意図的な誤読でムリヤリ北条無謬論を展開してるよな 当時の戦国大名の権限はそこまで大きくない
例を挙げると徳川家康は秀吉への臣従に反対する家臣達の意向を
無視できずにずるずると引き延ばしていた
秀吉が色々と懐柔策をしてくれたおかげで家臣団も分裂せずに
臣下の礼を取れたしな つまり臣従で話が纏まっているいうのは北条の嘘だった訳だ
北条は臣従で家臣を纏める事が出来なかった
すでに西国を平定した秀吉には徳川の時ほど北条を懐柔する必要がなかった
そういった時勢の読めない北条家がアホだった訳だ 5大老の内徳川と北条で400万石レベルだから
もう前田が頑張ったところでどうにもならんな 功績の大きい氏照、氏邦は臣従に反対してたらしいからな
そういった叔父たちを氏規と共に説得して臣従で纏めたが時すでに遅し
氏政はどっちだったのかはわからんが 氏政は織田にはあっさり土下座してたのに
日本をほぼ統一した秀吉に逆らったのはなぜなんだろうな?
本人も切腹前に「こんなことなら武田と一緒に織田と戦えばよかったな
と思ったんだろうか?」 >>186
天正地震があったからな。あれがなかったら
長宗我部、島津同様大幅な減封されて
天下取りは難しかった可能性が高い 一番の原因は名胡桃城の奪取でしょうが。
それまでに氏直か氏政が上洛してれば、どうにかなったかも知れんが、
あくまでも直接の原因は名胡桃城の件。 もし、5代目当主である北条氏直にそれなりの器量があったなら、250万石の大大名でも良かったのでは😌? 秀吉は北条にかなり譲歩しとるやん
これで城奪ったらそりゃ話にならん まあ、北条氏直の申し開きの手紙をそのまま信じるなら、沼田領の返還は、
かなりぐちゃぐちゃした状況で、北条が一方的に悪いとも言いにくい 氏直が言うには、
真田は百姓を拉致連行したり、いくつかの領地は明け渡さなかったり、秀吉の命令に
きちんと従ってない しかも上杉景勝が、どっかと沼田の領地が国替えになったとか、
わけのわからんこと言って軍勢を出してきたらしい そんな中で名胡桃城の事件が起きた
「秀吉の策謀」にある、名胡桃の前に討伐は決心してて、良い口実に使われたってのはあると思う 北条も豊臣も本人たちは井の中の蛙で
いざ戦争始まって負けそうになったら命乞いってなぁ 秀吉は何度も上洛要請したのに
北条が家中で揉めて上洛先延ばしたせいだから
素直に上洛してれば国替えはされるが大大名としては残れたはず
多分、東北あたりに入封だろう 織田に臣従した北条がなぜほぼ日本制圧してる豊臣に逆らったのかだよな
やっぱ織田による酷い扱いのトラウマだったのかな? >>1
臣従してたら家康の関東行きもアレだから、これは面白いね。 豊臣的には徳川、北条、伊達をそのまま残すと500万石レベルの大同盟になるから
どうしても北条は潰さざるを得んよな
かと言って明白に敵対してる訳でもない大大名を潰すと他の臣従大名も疑心暗鬼になる
そういう意味で名胡桃城事件は渡りに船だったと
さすがに鈴木が討ち死にしてるし真田使って挑発したってのは嘘くさいが >>199
逆らってはいない。ただ北条の様に250万石の勢力ともなると
家中の意見を纏めるのにも一苦労
氏政にせよ氏直にせよ家臣たちを説得せずに
上洛したら下手すれば謀反を起こされる 氏政は昨日今日家督継いだわけじゃなく
大御所にまでなってるのに家臣を抑えきれないってっことはないだろうw 大勢力になるほど戦わずに降伏というのは難しい
長宗我部も島津も家臣を説得できずに秀吉と戦う羽目になったしな その長宗我部と島津を見た後だからなw
徳川も臣従した後だし
ある意味伊達に騙されたとでも言うべきなのか 伊達を同盟国とみれば勝機ゼロって訳でもないからな。
苦しい事にはちがいないが。 >>203
実弟の北条氏照、氏邦が臣従に反対してるんだが・・・
>>204
そういう意味じゃ家康は幸運だったな
天正地震で秀吉が武力討伐を諦めて懐柔策をとってくれたから 地震がなければ北条と同盟している徳川を攻め潰せたとでもいうのかね 毛利と上杉は従属し、四国平定も完了してたからな
天正の大地震がなかったら徳川は滅亡か大減封は確実 信雄が和睦しても徳川潰さない理由にはならんしなw
むしろ大義名分失った徳川やばいw 一度織田に頭下げて武田攻めの時に領地が増えた訳では無かったし
徳川や伊達がいたから何とかなるとでも思ったんではないの?
どのみち本能寺の変が無かったら先ず上杉が潰されて
その次辺りに織田に潰されていた可能性もある 島津は九州国分で素直に従っておけば薩摩・大隈・日向・肥後半国・豊前半国で120万石くらい安堵されてたのに勿体無い
九州制覇しそうな勢いだったから九州の3分の1じゃ満足できなかったのかね
秀吉が北条を滅ぼしたのは子飼いに与える褒美が不足していたからかな(?)
朝鮮出兵も南蛮貿易や国内貿易で経済力のある西国を疲弊させたかったのと、国内の外様を移封させたかったのかなぁ その子飼いに与えた東海道と甲信が全て東軍に付くという皮肉 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 巨大領地ながら中小豪族の顔色伺いながらの統治、常陸南部は佐竹にくれてやればよいのにちょっかい出して戦線無駄に拡げる
まああと10年あれば伊達とで佐竹を潰せたかも知れないが一国一城がトレンドに成りつつあった時代に逆らった >>185
「上洛遅延之由、被露御状候、無曲存候、当月之儀、正、二月にも相移候者尤候歟」
これを「上洛遅延なんてつまらない事です。1月でも2月でもいいではありませんか」
みたいに訳すのはどうかと思う。
無曲の「つまらない」は「風情が無い」というニュアンスで、この書面の用法には合わないと思う。
「無念」という意味もあるのでそちらの方がしっくりくる。
「相移候者尤候歟」は「者」が仮定、「歟」は反語を表す助詞だとすると
「上洛遅延だとのお手紙、無念なことに存じます。当月のところを1月、2月に
移したのであれば尤もで御座いましょうが(そうではない)」
という意味になる。
どちらかというと森田氏の解釈が通りが良いのに対し、通説は何故ここでこんな事
言い出すのって理解に苦しむ。 秀吉征伐軍発動前の事前の勧告(国分案)
長宗我部 → 滅ぼして阿讃は羽柴、予土は毛利とする
島津 → 薩摩、大隅、日向半国、肥後半国、筑後3分の1を与える
北条 → 相模、伊豆、武蔵、上野半国、下野半国を与える
戦うしかない長宗我部
好条件にも関わらず何故か蹴飛ばして戦う島津、北条 武家はそういうもの。
家康も当初は徹底抗戦するつもりだった。
しかしまさかの天正地震で秀吉軍の前線基地が壊滅したことと
秀吉が懐柔策に転換したことにより面子を守ったまま臣従できた。 >>224
>北条 → 相模、伊豆、武蔵、上野半国、下野半国を与える
秀吉から北条氏にこんな条件が伝えられた事実があったなんて聞いたことない。
どの史料にでてくるのか教えてほしい。 北国勢 前田18,000 上杉10,000 真田3,000
東海勢 徳川30,000 織田17,000 蒲生4,000 池田4,000、森2,000
近江勢 秀次20,000
越前勢 堀8,700
水軍衆 加藤嘉600 脇坂1,300 九鬼1,500 長宗我部2,500 来島700 毛利6,000 宇喜多1,000 秀長1,500
これは豊臣軍のほんの一部です
見事蹴散らしてみろ >>227
これ、別々に集まってきてるので、各個撃破できなくはないわな。北条にも兵力はあったわけだし。
氏政の地位にナポレオンがいたなら勝てたと思う。
結局小田原城に篭れば何とかなるという過去の成功体験が北条を滅ぼしたな。 仮に北条が旧領をすべて安堵されて臣下になっていれば
豊臣傘下の大名としては石高筆頭
家康は五か国領有のままなら毛利より下で三番目
秀吉没後の歴史はかなり違ったものになったはず >>229
面白い、その手があったか。
家康の婿である氏直の跡取りに秀吉の身内を入れられれば
家康は勢力圏を挟まれてしまうし、上手くいけばオセロのように勢力図が変わるな。
家康の関東への転封が悪手だったことを思うと、こっちのほうがマシだったかも。