【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】
葵三代の家光役の尾上辰之介観てたら腹立つ 喋り口調が歌舞伎のまんま 違ったか
常山紀談の文を読み直したら、
射伏せりとあるから、彦九郎は敵将朝比奈に射殺されたんだな
家長は、義兄弟の仇討ちで朝比奈兄弟に射返し、負傷させたという話 「弥」右衛門という通称といい「忠」長という諱といい五井松平家臭がすごくするのだが、
寛政譜には松平忠長という人物は見当たらなかった 寛政譜によれば、彦九郎の討死で弥右衛門の系統が絶え、
家長に松平弥右衛門家の相続を勧める命が下ったが、家長が固辞したため弥右衛門家は絶えたようである となると、十八松平には含まれない、
マイナーな枝分かれ松平家だった可能性が高いわ 前述したように五井から分かれた一族かと思うんだけどなー
あと、三方ヶ原で討死した松平弥右衛門がこの人でいいのだろうか 情報少なすぎで一概には言えないよー
息子の諱は不明で、通称は彦九郎で特に「弥」を引き継いでおらず…
「忠」を含む諱は全体に多く、
深溝家でも藤井家でも桜井家でもそれっぽく感じてしまう 「内藤家伝」には家長の妻(馨宗院伝荘誉月庵理慶大姉)を
「御油(五井)松平系 弥右衛門忠長」とし、
「系図纂要」では忠長は五井松平氏四代忠次の弟としている。 内藤家伝、譜牒余録中巻か。翻刻でてないのはきっついな Wikipediaに簡単な伝を立てるくらいの情報は集まりそうですか?
とりあえず、内藤家長縁者としてのリンク先が駿河大納言という
四世代ほどもズレた全くの別人になっている現況は打開すべきかと 夫人の戒名は馨宗院?
姉妹がいた場合に備えて、個人を特定できる情報があるなら入れておく方が良いかも
後々、夫人について誰かが項目を立てるかもしれないし
「妻:馨宗院(松平弥右衛門忠長の娘)」といった記述でどうでしょ 本来なら松平家の本家である岩津修理亮親長って親忠の影に隠れて
存在感薄いけどどうだったんだろう
断絶したというのもあるだろうけど、安祥松平家にとって都合が悪いから
記録が失われた可能性ってあるかな 親長は生涯の大半を京都で過ごしてるから記録の残りようがなかったというのもあると思う 松平一族は数が多いから結構よく分からない人物が多いよね 親長末裔を称する松平親以の家系も本来は五井家っぽいとか 応仁の乱終結後三河守護が置かれなくなったんだよね
幕府の直轄国ってことかしら
それ以前から松平氏が伊勢氏の被官だったのもよくわかんない >>286
松平七人の衆と言うのがあって惣領である岩津太郎を除く、
形原又七郎、安祥二郎三郎、大給源八郎、岡崎大膳亮、
竹谷与二郎、五井弥九郎、長沢源七郎の七人だっけ >>292
二はともかく、通称に七の字が入るのが二人いるのはなんだろう >>293
誤伝。長沢の親則の発給文書では源七郎ではなく弥次郎と名乗っている
大給の源次郎が源八郎になっているのも誤りだな 信光の嫡庶子合わせて分かっているだけで兄弟順どうなっているのかな
太郎って言うくらいだから本来岩津が嫡長子だろうけど >>295
自分が今まで読んだ本だと信光の男子の兄弟順に関しては
親長、乗元、親則、親忠、正則というのと
親長、乗元、親忠、親則、光重というのと
守家、親忠、昌龍、与副、光重、光英、忠景、光親、家勝、親正、親則というのがあったな 江戸時代の系譜ではそういう事になってるけど、
親長は1462年以前から京都での活動を行っていることが確認されるので1438年生まれの親忠の子供とするには無理がある
乗元も1443年生まれだと伝わっているので、親忠の子供とは見れない >>296
通称が受け継がれていたにしろ、
秀忠にしろ家光にしろ元服前に
官位貰っていて使う機会が無かったんだろうね
それにまさか将軍を通称で呼ぶわけにもいかんだろうし >>298
親長の通称が太郎で乗元が源次郎、親則が弥次郎で親忠が次郎三郎なのを見ると
一番上が正しいような気がするな。三男の親則が早世した所為で四男の親忠が
三男扱いされるようになった説もあるらしいし
ただそうなると乗元と親則の通称のどちらにも次郎が入っているのが気になるが 乗元は正室の子じゃなかったのかもしれない
正室の子供だけだと太郎親長、弥次郎親則、次郎三郎親忠に 形原は彦太郎と又七郎の二つの通称があるのは何だろう
あと岩津庶子の通称に六、七、八も持つ家はあるけど
四と五がいないのは何でかなぁ >>305
岩津弥四郎信守という人物が実在するからこの人の系統が家康以前に絶えたせいで
四郎がいないように見えるのかもしれない
五郎系は何故か五井家に二人いる(源五光則・八郎五郎親勝) >>307
岩津なのに太郎じゃなくて弥四郎って事は
岩津家の庶流の人なのかな? >>307
五井系も岩津を名乗っているので、岩津を名乗っている=親長の子孫というわけではない
というか信光が岩津家だから太郎左衛門家以外全員岩津家の庶流だし >>258
ほぼ間違いないでしょ。それ以外にあり得ない。
家康は大岡弥四郎事件をうやむやに終わらそうとした。
この事件をつつくと、徳川家が分裂する恐れが高いからだ。
しかし、信長が許さなかった。大岡弥四郎の後ろにいた築山を、
断じて見逃さなかった。信長の言い分は、長篠で多くの兵を出し、
戦死者も大勢出しているのに、うやむやに済まされてはたまらん、
というもので、信長側も筋はそれなりに通っている。
なお、長篠後に武田と通じることはない。武田家は長篠で事実上
滅亡し、ゾンビと化していたからだ。家康も信長の意図を組んで、
わざと戦線を動かさないようにしていた。本当ならあっという間に
滅ぶ相手にも関わらずにね。 応仁の乱は東軍
↓
明応の政変による将軍廃立は新将軍足利義澄(この派は義晴・義輝・義昭)派
↓
永正三河の乱で義材(この派は義維・義栄)派の今川に負ける
↓
同派の斯波義達が織田達勝に追放され達勝は義維派に鞍替え
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織田今川に挟まれるも清康打開のために今川氏輝が若年で家中を掌握できてない隙に
美濃三人衆や武田信虎と連携しながら尾張出兵
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守山崩れ
↓
桜井松平による広忠追放
↓
今川家において栴岳承芳は家督の正当性を得るために義晴から偏諱を受け義元に
甲斐武田家とも和睦するなど安祥松平と同じ義晴派に鞍替え。反対する福島氏が玄広恵探を担ぐ(花倉の乱)
↓
東条吉良家を通じて今川の支援を受けながら岡崎復帰を目指す
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広忠死去後松平の他一族を今川が直接統治する
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義元が桶狭間で死後独立を目指す 和牛受精卵、中国へ4回流出 徳島の牧場経営者逮捕
産経ニュース-2019/03/20
「新たに受精卵などの流出元の牧場経営、松平哲幸容疑者(70)=徳島県吉野川市鴨島(かもじま)町=を逮捕した。」
↑
徳島の松平ってどの系統の松平?
同じ徳島には「松平養蜂場」というのもある 今日は楽しかった(笑)
豊臣患者へ(笑)
愛を込めて徳川ファンより(笑)
アッハッハ! 安祥松平、松平郷松平、竹谷松平、形原松平、大草松平
五井松平、深溝松平、能見松平、長沢松平、大給松平
宮石松平、奥殿松平、滝脇松平、福釜松平、桜井松平
藤井松平、三木松平、矢田松平、岩津松平、東条松平
鵜殿松平、本目松平家、鴛鴨松平、丸根松平、牧内松平
下屋敷松平、松平主殿家、松平主馬家、岩村松平、府内松平
伊賀守松平、山城守松平
こっから江戸時代さらに分かれていくし外様もいる訳か 深溝松平家当主の
松平忠承さんが今何やってるかわからん
検索したら大蔵省とか出てきた(笑)
1965年生まれらしいんで
2025年ぐらいに活動なさるのか?
あと松平浩一さんがんばって下さい >>317
忠をつけるのはさすがにと思ったのかな
名が浩一なのは 嫡流じゃないんだろ
うちの家だって
「景」とか「虎」だしね通字っぽいの 現代松平家になるが、ツイッターで見つけた@hideyasu0915これはどの系統の方なのだろうか 子沢山なのは水戸徳川が有名だけど他も加賀の松平大弍家とか子沢山の家がそこそこあるんだよな
隔世遺伝なんだろうか