地元の城跡、史跡を語れ!!
どんな町にだってひとつくらいはあるはず・・・ッッ!!
いかにマイナーであろうとも臆面もなく語れッッ!! ここの皆さんはご存じでしょうが
全国津々浦々にある城跡の全てに
あの白亜の壁、荘厳な瓦葺きの天守閣があった訳ではない。
天守閣があったのは全国にある城跡の1%にも満たないと言われている。
また、天守閣は殿様の居住スペースではなく、普段は城郭内の屋敷に居住していた。
この2つの「常識」は、歴史に興味があったくせに、
恥ずかしながら社会人になるまで知りませんでした。
小中学校の社会の授業で、上の2つについては歴史の常識として生徒に伝えてほしいです。
地元の城跡に昔、天守閣が建っていたのだと勘違いしている人は大人でも案外多いと思います。
その無知さが嵩じて、かつて天守閣が建ったこともない城跡に
町おこしのためにハリボテみたいな天守閣を建ててしまうような
恥を晒してしまう結果を招くことになるのだと思います。 >>243
古城に漂うある種の感覚、これを味わうことができる人はまれだろう。
土の構造物が長い年月風雨にさらされ、古雅ともいうべき風情を見せる。
古城に伝わる記述を脳裏にかすかに浮かべつつ、歴史的詮索を離れて純粋に古雅の美を味わう。
ただの土くれを美しいと感じる境地は、なかなか理解されまいとは思う。 >>161
だからか、安土城作ったりするのは。
姫路城作っちゃった人もいるよな、伊勢市。 お城好き声優さんの「竹田城」ガチトーク
画像も多くておもしろい
遠近孝一PRESENTS「戦国ネットすきらじ」
http://www.suki-radi.com/ 淡河城
何もない田舎で、三木城攻めの時に、申し訳け程度に出てくる城 地元市内北区の引佐協働センター裏の山が井伊ノ谷城
井伊氏という地元の国人領主の居城 玉縄、大庭、長尾、そして富士塚城(城というより居館程度だったのかな) >>271
同郷かな?
横浜、藤沢にまたがる広い箇所になるけど。 近くに佐脇城址がある。今は跡形も無く児童公園になってて、歴史的にも何も価値は無いと思う。
隣町には伊奈城址があり、徳川家臣の本多氏の一族が居城だった。いまでも土塁が一部残ってて、城址公園として整備されてる。 地元の街にあったのは、
岩剣城跡、平松城跡、建昌城跡、
帖佐平安城跡、帖佐御屋地跡(島津義弘→娘御下居館)
です。 笹川御所
ttp://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/kooriyamasi3.htm 有岡城
なんであんなところに天守を構えたかわからん
当時いったいどういう地形図だったんだと首をかしげるような場所 名古屋の人間だけど、国宝5城のうちで宿泊するほどの観光地ではない犬山城、彦根城を日帰りで行けるのは助かる 名古屋城は戦禍で焼け落ちたけど、同じ規模の城として焼け落ちなかったのは姫路城。
地元民が空襲の的にならないように白鷲の城を暗幕?か何かで包まって、空から
見えないように守ったらしいね、テレビでやってた。凄いな、姫路の人たちは築城の
際の池田家による重税と働き手を築城に駆り出されて苦しい思いもしてるのに。
400年後に地元民に守られるお城。名古屋城も現存していれば本当に美しい、壮大な
お城として世界遺産になっただろうにね。おしいよね。 城壁の一部とか門くらいしか残ってないけど末裔の人間が今でも住んでるパターンが割とあるんだよね愛知って。俺はそう言う方が好きだな。 >>296
赤目城跡とか石河陣屋跡辺りかな?
赤目城跡は厳密に言えば近くだけど >>297
ウィキより赤目城
明応2年(1493年)地元の豪族で北条時行の末裔、横井時永が築城し一族を率いて現在の元赤目に居住し、延宝3年(1675年)この地に移住した。
鎌倉北条氏の末裔とは立派です。
それと石河陣屋跡は尾張藩家老の陣屋だとあり、岐阜にあるんですね。
岐阜も愛知も沢山お城関係の建物や風景があって羨ましいわ >>293
姫路城は焼夷弾が命中したけど不発だった
名古屋城は金シャチを下ろす足場に引っかかって炎上
とか聞いたけど・・・ 姫路城ウィキより引用
太平洋戦争中、姫路城の白壁は非常に目立ち、また陸軍の部隊が置かれていてかつ軍需産業の拠点でもあった姫路はアメリカ軍の爆撃対象とされることは明らかであったため、
黒く染めた網(擬装網)で城の主要な部分を覆い隠すこととした。しかし、1945年(昭和20年)7月3日の姫路空襲で城下は焼き尽くされた。
城内にも着弾したが本城跡にあった中学校校舎が焼失しただけで、西の丸に着弾した2発は不発あるいはすぐに消火された。また大天守にも焼夷弾が直撃したものの、
最上階南側の薄い窓板を貫通して横滑りするように、最も衝撃が小さく、爆発しにくい角度で城内に入り込んだため、不発であったことなどにより、城郭建築の焼失は免れた。
翌朝、焦土の中に無事に建つ姫路城を見て、姫路市民は涙したという。
この空襲の罹災者を西の丸に避難・収容した。擬装網は終戦後に撤去された。
かつて、姫路城は貴重な文化財なので爆撃対象とはされなかったと言われていたこともあるが、獨協大学の四宮満の研究によって否定されている。
城内にも実際に着弾したものの、運良く破壊を免れただけのことであり、事前に爆撃対象から外されていたわけではなかったと考えられる。
当時のB-29の機長だったアーサー・トームズは戦後50年に来日し姫路を訪れた際に「私は城があることすら知らなかった。上官から城について何の指示もなかった。
レーダーから見れば城も輝く点の一つであり、それを歴史的建造物と認識するのは難しい」と語っており、実際の空爆時刻が夜間だったこともあって上空からは姫路城とは視認されず、
レーダーには外堀の水が映ったことから姫路城一帯を沼地だと思い、沼地を攻撃しても意味がないと判断したため爆撃しなかったと回顧している。
結局市民の努力もあったが、なによりいろいろな要因と偶然があって、姫路城は助かった!
市民は涙したんだね!本当に日本の宝物! 最近城跡に興味が出てきてそういうの好きな人のコミュニティ探してるんだけどなんか緩く覗けるようなとこあるかなあ
探すとかなり身近なとこにも公園になってるようなちっちゃい城跡があってそういうのの記録がちゃんと地図にも残されてるのが興味深い >>17
アイヌ【12−13世紀に成立した新参民】が他の民族を侵略したので
先住民「オロッコ(※アイヌによるウィルタへの蔑称)」 がアイヌに虐殺された、「オロンコ岩チャシ」がある
(元HP):〔北海道斜里町オロンコ岩チャシのドローン写真測量と3次元モデル作成の予備実験
2.オロンコ岩チャシの概略〕
> アイヌに伝わる伝承が残されている。
> 昔この島の上にオロッコ族(トナカイ遊牧を生業とするサハリン北東部の先住民族5))が住んでおり,
> 下を船で通るアイヌ目がけて石や木を投げて邪魔をしたが,
> 急崖で囲まれた島の地形を利用して防ぎ,なかなか追い払うことができなかった。
★> そこでアイヌはオロッコ族をこの島から下りさせるように,
★> 海草や魚を鯨のように積み重ねておき,見に下りてきたオロッコ族を皆殺しにした6)。 八王子城。自分もそんな詳しい訳じゃないが何故か地元民近づこうとしない人が多い...w 日本の三名城といえば、
風雲たけし城、あき竹城
と、あとなんだっけ。 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担