【権六】柴田勝家 その2
手取川の戦い上杉軍参戦武将※独自調べ
上杉謙信
上杉景勝
上杉景虎
直江景綱
上条織部
河田長親
鯵坂長実
長尾与太郎
河田吉久
吉江資堅
吉江景資
水原親憲
斉藤朝信
本庄繁長
安田顕元 真田と接点全くないし
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った秀吉は〜て
ナレーションで名前がでるだけやろね あんなのは苗字が同じだけで子孫でも何でもないw
プロレスラー(格闘家?)で戦国時代に関係深い人は高坂剛かな
もう20年以上前から高坂弾正の子孫だって取材受けてる 家康が苦手としてたのは、柴田だと司馬氏の本では書いてあったけどね。 こいつが玄蕃に全指揮権を譲っとけば本能寺前に上杉滅亡してたし秀吉にも負けなかったのにな ウィキペの清洲会議に
「それまで織田家臣団の中で最大の発言力を持った〜」とか書いてあるけど
勝家ってイメージほど織田家中で最大勢力ではないよね?
小物ではないけど2の線ってイメージ。いろいろ調べると ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>474
柴田勝敏
言うことを聞かない盛政への使者として
送った。
勝家の言葉を伝えるも既に敵が迫っていて
退却戦に巻き込まれ盛政と行動を
共にした。
敗戦後も盛政らと逃れて民家に逃げこむが、
恩賞に目がくらんだ村人にからめられ
秀吉の前に連れて行かれた。
そのあと斬首に。
まだ若かったためか目立つ活躍はなかった いるにはいるが年齢的にそれなりの年齢だったはずなのに
賤ヶ岳で死んだって連中しかでてこないから実質いないも同然だろ 最後に秀吉に「織田家を頼む」て遺言したらかっこよかったのに 茶々ら三姉妹を秀吉に渡したのはかっこいいと思う
浅井三姉妹が大きく羽ばたいて天皇家にまで遺伝子残したのも、
柴田の親父さんのおかげ 勝家こそ三姉妹の父 サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP★2お市のあずき 権六って結構ズルいよな
信秀が跡取り決めるとき当時の自分の主君の信行を推薦しておいて
拒まれるや後年になって信行に謀反を促して
信長にチクって鞍替え(自作自演じゃん)
こいつ出世したいだけでは 盛政と同時に、賤ケ岳に突撃してれば、勝てたんじゃね?
モタモタしてたから、利家が寝返るんだよ。
決断力が足りないわ 後から退却してきた柴田権六が、府中城に立ち寄って湯づけを所望したエピソードも、江戸期前田家の創作と解してよいのか そこは創作だろう
でも前田家にとって勝家とは悪く言える存在ではないからそういう話ができた >>496
言うことを聞かないって何?勝家から盛政に言うことあったかもわからないのに 信澄を養育したり
元信勝付だった盛次その子供たちの寄親になったり
成敗になりそうな前田利家を取り成してたり
この時期の勝家もなんだかんだ信長評価してたりしないのかね 柴田勝家はかかれ柴田で有名だよね
でも実は攻めの三左の森可成三左衛門とは結構仲良くて戦場ではよく同行していた
前田利家を命乞いしたのも森と柴田だし
はっきり言うと森三左衛門は信長青年期の右腕的な存在
蘭丸の父親なんだけどちょい早めに戦死したけど功績は明智光秀より大きかった
忘れないでもらえるとうれしいな >>520
可成三左衛門ではなく三左衛門可成
森よりは佐久間信盛か林通勝だろう
可成が亡くなってから羽柴同様明智は出世頭だけどそもそも比較する必要はあまりない
忘れておいた方がいいね @林秀貞(通勝)
A佐久間信盛
B柴田勝家
C平手久秀・汎秀
D足軽大将級
お気に入り: 滝川一益、丹羽長秀、森可成、木下秀吉など
中堅・ベテラン: 坂井政尚、簗田広正、蜂屋頼隆、中条家忠、中川重政など
美濃系:氏家卜全、安藤守就、稲葉良通、斎藤利治など
一門衆(織田信包、織田信広など)
E吏僚・旗本、側近(村井貞勝、武井夕庵、前田利家、佐々成政、池田恒興など)
↓
@佐久間信盛
A柴田勝家
B丹羽長秀
C森可成、滝川一益
D羽柴秀吉、明智光秀
E林秀貞(通勝) ※信忠付きへ転出
F足軽大将級
河尻秀隆、簗田広正、蜂屋頼隆、中川重政、前田利家、佐々成政、池田恒興、
氏家卜全、安藤守就、稲葉良通、斎藤利治など
一門衆(織田信包など)
G吏僚・旗本・側近
↓
@佐久間信盛
A柴田勝家
B丹羽長秀
C滝川一益
D羽柴秀吉、明智光秀
E側近衆
F足軽大将級
G側近以外の吏僚・旗本、一門衆
>>521
あんたも人名まちがえてる
林通勝ではなくて秀貞
林通勝は松永久秀の家臣 去年だけでも、中公新書の和田祐裕『柴田勝家』、福井県立歴史博物館の特別展『鬼柴田』、岩田書院の『越前・若狭 武将たちの戦国』と相当勝家研究は進んだのに誰も触れてないか…
和田著は在野研究者の書いた一般著なんでまあまあって感じなんだけど、福井の特別展と岩田書院のブックレットはほんとによかった
特にそん中でピックアップされた織田政権では勝家が最も早く惣国検地に着手、それも今川・北条・朝倉といった戦国大名検地をさらに発展させたものだったていうのは、勝家研究の一つの指針として注目していいんじゃないかな 林通勝云々あるが本当に通勝もしくは通貞だったのかもしれんのよな
だって他の林氏の通字が通だらけ
織田信秀に一字拝領されたら秀を最初につける