雑賀衆・根来衆
「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける―。」
鉄砲を使った先進的な戦術で、周囲にその名を轟かせた紀州の傭兵集団を語りましょう。
湯川衆についての話題もどうぞ。 智辯和歌山に根来って選手がいるけど、和歌山で根来と聞くと
どうしても根来衆と何らかの関係があるのかと思ってしまうな 448 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/12/07(日) 06:10:52.23 ID:2wmkS6dc
天正十二年(1584)に徳川家康とよしみを結んだ
雑賀衆の棟梁であり根来衆の泉職坊の頭首でもある土橋重治が
家康の命を受け雑賀衆・根来衆ら三万の軍勢を率いて
岸和田城と大阪城を攻撃している
そのよしみで天正十三年(1585)の秀吉の紀州討伐の後
五十数家の根来衆が徳川家康に召抱えられている
名前は津田、田中、赤井、井沢といった感じだが
江戸時代に入るとほとんどが根来姓に改名した
近所の根来さんはそのとき家康に帰順した根来衆の末裔だろう 加賀・滋賀・慶賀・参賀・祝賀・年賀ぜんぶ「が」なのに
雑賀だけ「か」なんだよな 筒香は昔は「つつが」と読み元は筒川(筒河)という高野山を守る地侍の一家だったが戦国時代に一部が根来衆や雑賀衆に入りこんだ
名前や在地を推察するに鉄や丹を産出する冶金業従事者か関連組織の出で冶金業で雑賀地方に進出した可能性もアリ >>446
> 新宮堀内氏
信長の野望・全国版で紀伊の大名として出てくる人だな。 当家は鎌倉時代から武田菱の紋ですが、戦国時代石山本願寺の顕如から手柄があったので、寺と家紋下がり藤、を貰いました。
武田菱の紋は湯川氏が使用していました。
何か関係あるのでしょうか? >>479
湯川氏の初代は武田家の人と自称していた。 そう言えば海南市にある鈴木屋敷が新しく立て替えられますね。
いつの時代のものになるのでしょうか。 賀田氏、中村氏、木本衆、貴志氏、土橋氏は室町時代から姻戚関係があり、つながりがあったように思います。 >>448
そうそう賀田氏の自宅の庭に、源平合戦時落ち延びた平氏の武者が、そこで亡くなり墓が造られています。
そこから田辺に平氏を賀田氏の水軍で落ち延びさせたと聞いてます。三つ墓があります。 六ヶ郷は平家の荘園があり雑賀衆と呼ばれる小領主はそこの警護をしていた家も多いです。
賀田氏は足利義輝の家来でもあったみたいです。 この前、テレビで國友衆が一丁売る代金が
40~50万。で当時は米で売ってたらしいね。 鈴木佐大夫
鈴木重意
鈴木重秀
鈴木重朝
この辺りの主従や血縁関係がいまいちわからん
孫市(孫一)の通称は市川団十郎みたいな雑賀衆の頭領に与えられる名前? 長篠合戦にて、雑賀衆が連合軍側に従軍していたとは真実か? 真言宗智山派の根来寺は傭兵で有名だけど、豊山派の長谷寺にも僧兵はいたのかな? 雑賀衆の大河やらないかな。
あまりにも資料がなさすぎるみたいですね。 雑賀衆で浅野家の家来になり、浅野家が国替えの
時浅野家について行き最後赤穂浪士で討ち入りしたものがあります。
中村勘介です。 >>495
大河は無理でも司馬遼太郎の作品を単発ドラマにするくらいはできそう。 質問です。
雑賀衆の中に武田菱の家紋の家がありますが、湯川氏と何か繋がりがあるのでしょうか。 雑賀衆には書いたものが少ないので、興味はあるのですがわからないですね。 日高町にある湯川氏と雑賀衆について詳しく知りたいのですが。 日高町にある湯川氏と雑賀衆について詳しく知りたいのですが。 和歌山県内で探す覚悟があるならここから探せば
https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/search/
それでは不親切なら
雑賀一向一揆と紀伊真宗 法蔵館 武内善信著
中世後期畿内近国守護の研究 清文堂出版 弓倉弘年著
和歌山の群雄と城館 戎光祥出版 和歌山城郭調査研究会 編
ちょっと思いついたのはこんなところ 根来衆は子供の頃「隠密剣士」で知った。その時は忍者集団として描がかれていたが、後に
根来寺を拠点とする鉄砲衆と知った。雑賀衆は大河ドラマで雑賀孫一の鉄砲衆が印象的で
織田の大軍を破った鉄砲スペシャリスト軍団として感銘を受けた。 去年観光で和歌山市に行きました。紀の川河口に新日鐵住友金属があったので土地の利を活かしあの辺りで雑賀衆は製鉄し鉄砲を量産していたのかも知れないと思いました。 根来衆は火薬調合に長けてた
徳川の命だけど怖れたので粛正にされた。生き残りは名を変え全国に散らばった
あまり表に出てこないのはこのせいだろね
資料もないだろうし 硝石は越中五箇山にて、ヨモギの粉末と人間の小便とカイコの糞を混ぜ、
床下で寝かせて作っていたのだ。