播磨赤松氏について語るスレ
>>655
嘘をつくな
浦上は政宗・清宗父子は死んだけど、誠宗は生き延びたぞ。
黒田の場合は官兵衛の妹のみだし。生存説もあるし。
あと、職隆(職高)だぞ。
赤松が族滅しかけたのは嘉吉の乱〜1455年までだぞ 晴政と義祐の不和って
過去の流れから三好派の晴政と
現在の勢力的に尼子派の義祐の対立なんですかね
当時の三好対尼子の冷戦の最前線? 松ばやしが元々赤松ばやしから来ていたのにはちょっと驚いた 俺もお父さんと不和だった。
高校出てからずっと別居してたのもあるけれど、
仲直りできないまま父が他界しました。
「親孝行 したい頃には 親はなし」
ごめんなさい。 うーん。
ここにも詳しい人いないか…。
当時の尼子の東征が
「三好を牽制する為に義輝が望んだ(それ故の守護職大盤振る舞い)」
みたいな構図を最近知って
それを踏まえて考えるとこの「三好VS尼子」の最前線が播磨になって
戦国期によくある家中がA派B派に分かれるってのが
晴政と義祐の分裂抗争と考えると新たな視界が開けるんだけど
そこんとこそのものずばりの論説が書籍でもネットでも見つからないんだよね 赤松の元々の根城は佐用だったよな
播州といっても岡山に近い相当辺鄙なとこか
と考えると、播州制覇だけでも凄いのに、近隣数カ国とは凄い出世だ 円心が播備作を斬り従えたわけでなく
室町幕府創世の褒美としての三国(一瞬、摂津も含め四国)守護だから 満祐の弟?は播磨を脱出して九州少弐氏を頼り、はては朝鮮でも一旗あげたそうではござらぬか。 >>667
そんな大きい話ではない。尼子はもう当時撤兵している。
家中の主導権争い。
晴政を推す龍野赤松氏ら対して義祐、小寺氏のクーデター。
一説では義祐の弟である政祐が赤松春日部家、永良家を継承したことなどから兄弟間の軋轢からとも
春日部家、永良家はどちらも惣領家を継承できる格にある上、政祐は晴政政権下では重要な軍事力を担っていたことを思えば嫡子であった義祐は危機感もあっただろう >>668
赤松は、商人的性格の強い武装勢力が元って説が有るらしい。
治安悪いから、大規模な交易やる商人は用心棒軍団を雇ってたんだし。 >>673
元々悪党説が言われてたけど
途中から関東御家人説が唱えられらけど……
出自に関してはあまり詳しくないけどなんとなく関東御家人説のほうが有力だった気がする…… >>654
赤木性に変えた可能性はあるけど領国である美作に逃げたってのは違和感ある。
美作は赤松春日部家の所領もあるけどむしろ赤松上野家の本拠。赤松上野家の分家とかならわんちゃん……
赤松春日部家の分家は伊豆、剣持、塩田、稲田とあとなんか1つあったと思うが覚えてないが赤木ではなかった筈。
戦前戦後位まで使用人を抱えてた家くらいなら中小地主でも普通にありえるから武家由来ではない可能性も。それこそ大庄屋だとか家ではコメを作ってないけど莫大な小作米が舞い込むような大地主なら武家由来だろうけども >>671
おお!
詳しくありがとう!
晴政がかつて阿波三好を頼って播磨落ちからの帰還やってたり
浦上兄弟が親尼子と反尼子で割れてたりだったんで
晴政と義祐も?と思ったんだが。
お話の辺りに詳しい書籍やサイトってございます?
>惣領家を継承できる格
赤松はがっちり嫡流となってないから
この辺がどうしても難しくなっていきますよね。 >>674
御家人説が有力みたいだけど、出自が関東かというと異を唱える研究者も結構いるような
赤松氏の祖先と伝わる宇野則景に関する史料が存在しないので、関東御家人説を唱える研究者の間で、この人物は実在しないのではないかと言われていたけど、何年か前、この宇野則景が実在し、播磨の鎌倉幕府御家人だった事を証明する史料が発見された
宇野則景と赤松氏、赤松円心との関係は確定的なものは出ていないようだけど
存在しないのではないかと言われていた人物の史料が出て来た意味は大きい
関東御家人説を唱えていた研究者も「関東御家人説は見直さなければならないかも知れない」と書いている 軍記物には宇野則景が関東に「下向」し手柄を立て、源頼朝から播磨に地頭職を賜ったと言う記述があるので、上に書いた史料の発見はこの内容の裏付けになる可能性があるし、則景が赤松円心の先祖と言う事になれば、円心が御家人だった可能性がより強まる
実際に円心が御家人だった事を示唆する史料もある >>676
置塩城発掘調査報告書内収録の 依藤保「播磨置塩城主赤松氏の動向」
渡辺大門『戦国・織豊期 赤松氏権力構造』岩田書院、2014
あたりが比較的詳しいかと。
格云々については『赤松家風条々録』という史料からわかっている一族分類で
そのうちの播磨殿(赤松大河内家)なんかは惣領家の家督を狙って何度か蜂起し成敗されているし
義村の養子入り前には赤松家臣団は政則が敗戦からの生死不明に陥った際、新当主として有馬殿から人を迎えようとしてたりも。
実際義村自身も七条殿出身であるし。
把握しているサイトだとふーむ氏運営の「落穂ひろい」というサイトが比較的戦国期赤松氏に詳しいサイトかと思います。
赤松以外にも浦上氏関連も詳しいです。運営されてる方は研究者なので情報自体ある程度信が置けるかと思います。 >>679
重ね重ねありがとうございます。
渡辺大門氏はとりあえず漁ってたのですが、依藤保氏はまだ手付かずだったので手を付けてみます。
「落穂ひろい」は少し覗いたんですが濃厚ですねw
こちらも熟読させて頂きます。
当方、岡山者で故に宇喜多を掘り下げてたんですが、そうなるとどうしても浦上が絡み、浦上を知るためには赤松がと泥沼ですw
赤松に限らず嫡流がしっかり繋がらないとどこも衰退してしまいますね。
足利しかり三管領しかり近くでは三好も。
養子となるとどうしても派閥がそれぞれを担ぎ出し。
政則が男子を持てれれば妻は洞松院だし、嫡流の柱をしっかり固めれたんでしょうが。
そうなれば則宗、村宗という梟雄も押さえれたのかも。 >>678
は、
「播磨国宍粟郡広瀬宇野氏の史料と研究」
より。 >>678
>>677
のレスは
>>681
を読んでのレス >>681
情報感謝です。
購入したいと思います。 >>680
岡山の方でしたか
でしたら図書館に年報赤松氏研究が置いてあるかもしれないですね。
あれ美作大学の関係での出版なのでどの程度置いてあるかわからないですが >>684
年報赤松氏研究置いてありました。
ただ持ち出し禁なんで今度時間が取れたときにゆっくり読みたいと思います。
「備前(美作)の赤松」はあまり印象なかったのですが
踏み込んで行くと、さすが御館様の痕跡が随所にあり興味深いです。 年報赤松氏研究にせよ論集赤松氏・宇喜多氏の研究よ
また再開という訳にはいかないのかね 姫路の網干に赤松塚ってあるね、母方の実家か上郡だけど白旗山の落武者の墓が何墓かあるね、何時の時代の物か分からないけど先祖代々供養してるな 姫路の夢前にある本郷氏の居跡は赤松氏と繋がっているという文献どこかありますか?
ネット上のブログ等で跡碑からわかった程度でその他の情報ご存知ないでしょうか >>694
すでにお調べになってご存知かもしれませんが、
本郷氏は赤松範資の3男・直頼に始まった家系で、
このことは赤松氏の系図にも載っています。
直頼の後どうなったかは曖昧なのですが・・・
直頼の子・頼兼が多可郡比延荘(現西脇市比延町)の比延山城を築いて代々居城したことになっています。
「赤松 本郷」「比延山城」などでネット検索すると情報が出てきます。
下記サイトにまとまった情報があります。
播磨黒田氏根本地 史跡ガイド 5
http://kurodazensi.siritai.net/606.html
ここの「比延氏は赤松庶流本郷氏で・・・」の辺りから読まれるとよろしいかと。
系図も載っています。
ただし、この系図がどこまで信用できるのかは不明です。
西脇市としては、黒田官兵衛が多可郡黒田庄(現西脇市黒田庄町)出身であるとPRしたい
ためにこの系図(黒田氏と本郷氏(比延氏)の領地が隣同士だったために血縁関係がある)
を重視したいのだと思われますが・・・
西脇市側の情報では、赤松氏分家の本郷氏が西脇市の比延山城主になって「比延氏」を名乗ったということのようです。
ところが、いろいろ調べると、赤松氏分家の本郷氏は比延山城で3代くらい続いて絶えたか、
他所へ移って行き、その後に京都方面から移ってきた一族がいて、その一族が比延氏を名乗ったとなっています。
つまり、本郷氏と比延氏は別の家系だというわけです。
比延氏については、地元にも伝承が残っており、また山を越えた播州清水寺にも比延氏の
記録があるそうで、実在したことは確実です。
いずれも記録が断片的であり、今となっては真実は闇の中です。 >>694
(続き)
そして、夢前の本郷氏居館と西脇の比延山城の関係ですが、
本郷氏もいくつかに分かれて、播磨国内に飛び地を持っていたのではないかと思います。
西脇市比延町は、丹波・摂津との国境近くのため、国境警備の任務を負いながら、
西の方(赤松の本拠の近く)にも領地を持っていたのでは。
まぁ想像ですが。 仮面ライダー本郷猛は改造人間である。
彼を改造したショッカーは世界制覇を企む悪の秘密結社である。
仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ! 赤松政秀と浦上宗景って同盟組まなかったのかな?
政宗を共通敵に互いに利害一致してそうだけど… >>669
組んだよ。
浦上政宗、黒田重隆一族を結婚式を襲撃し皆殺しにしたとき、
この両名は同盟を組んでいた。
生き残った黒田官兵衛による徹底的な復讐で仲良く根絶やしに
なったが。 特に、赤松一族を族滅するために九州半分取って人質にし、家康に
強引に認めさせる徹底ぶりだった>黒田官兵衛 >>658
赤松は久留米藩主になったり旗本になったり、結構子孫が続いているよね
京都仏教会の会長だったか理事長の有馬頼底さんも有馬氏の分家の出身で、赤松の子孫だよ 義則 性松
満祐 性具
政則 性雲
義村 性因
晴政 性煕
義祐 性延
そこは統一してるのね 斉村政広が御家再興を掛けて亀井慈矩についたが、鳥取城下町焼き討ちの罪を着せられ、ここで赤松は終わった。 御家再興こそ叶わなかったが子孫はたくさんいるんだよな赤松 胸が躍るぞ!足利還俗将軍を弑逆し、赤松家を、西国一の雄藩にのし上がらせるのじゃ! REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 >>706
斉村は赤松の傍流すぎる。龍野赤松こと赤松下野家は一族衆ではあるけど惣領を名乗れる家じゃない。赤松家中じゃ別所氏とかと同格程度。むしろ有馬の方が御一家衆だから家格的に赤松惣領になれる資格がある