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金曜夜席〜桂歌丸司会の笑点(1965.3-2016.5.22)其之睦

2020/01/02(木) 20:10:06.26ID:???
金曜夜席〜桂歌丸司会の笑点(1965年3月〜2016年5月22日)について語りましょう。

・笑点のタイトル名の由来は?
歌丸:氷点というドラマのタイトルをもじった
談志:サントリーの公報誌に柳原良平が連載してた1コマ漫画のタイトルが笑点
   笑いのポイント(点)という意味のタイトルを気に入り柳原に使用許可をもらった
の2つの説があるが、命名したのは談志である。

・金曜夜席の読みかたは?
歌丸:きんようよるせき
談志:「きんようよるせき」と書いて「きんようよせ」(寄席をもじったタイトル)
の2つの説があるが、命名したのは談志である。

※前スレ
金曜夜席と昔の笑点 其之伍
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/natsutv/1488266752/
2020/01/06(月) 00:05:08.24ID:???
昭和42年10月8日の若手大喜利のメンバー
柳家さん治(小三治)、柳家小きん(つばめ)、春風亭栄橋、林家木久蔵(木久扇)、三笑亭茶楽

談志司会末期のメンバー
かゑる(馬風):談志の弟弟子(談志が呼ぶ)
栄橋:若手大喜利から昇格(談志が呼ぶ)
好生(一柳):圓楽の弟弟子(圓楽の身代わり)
さん吉:談志の弟弟子(三平の紹介)
勝二(小勝):三平の預かり弟子(三平の紹介)

掻き集めた感は否めない。
談志の誤算は、次期メンバーのエースと考えていた小三治に断られたこと。
それで圓楽に「辞めるな」って懇願したけどダメだったこと。
元々談志は、笑点では司会者兼構成作家。視聴率低下の責任は歌丸たちと揉めた談志にあるとされた。
その談志が笑点を去るということは、番組の構成も見直すということを意味する。
さん吉と勝二は、三平からの紹介で「最低1年は面倒見ること」という条件があった。
他の3人が半年ほどで降板だったのに残れたのは、そういうことなのだが。
火中の栗を拾いにいった状態の前武司会の大喜利はかなりグズグズだったそうだから、残れて良かったのか悪かったのか・・・
2020/01/06(月) 00:27:52.93ID:???
小痴楽は下ネタとブラックユーモアが秀逸だったから、談志に気に入られていた。
一応こん平も、談志のブラックユーモア路線には乗っかっていたという。
だが「ブラックユーモアは嫌だ」と歌丸が言い出し小圓遊も即座に同調し、談志との確執が勃発。
圓楽は仲裁しようとしたが、歌丸に「本当はどう思っている?」と問い詰められ圓楽も歌丸側に付いてしまう。
この内輪揉めに小痴楽は「笑点はもう終わりだ」と思い、師匠の出演する新番組に乗り換えること決意。
だから小痴楽は笑点に戻ってくることが出来なかった。
こん平は当時20代前半の若輩者のため何も言えず、師匠の三平に委ねた。
三平が身代わり(さん吉と勝二)をメンバーとして談志に紹介。結果、歌丸たちと共に辞めることができた。
単に多数派の歌丸側に付いたとも言えるが。
こん平と小痴楽、命運が別れた。
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