ひらけ!ポンキッキを語り合うスレ
>>308
丁度その年代にポンキッキ見てたわ。
幼稚園から帰ったら毎日見てたな。 >>305
お前みたいに貶す奴って必ずいるな。
幼稚園児や小学校低学年が効くんだから安いテープ、チープな音源でも別に良いと思うがな。
だが当時昭和40年代後半から50年代前半はカセットテープ自体が高価だったがな。
音がチープかどうか再生して聞かせて欲しいな。 >>305
後昭和40年代から50年代前半はホームセンターなんてまだまた少ないし地方ではまず見なかった。
俺は大阪市住みだが当時の大阪市にはホームセンターなんて無かった。 小さい頃レコード聞いてたカンフーちゃんの演舞した人、松田龍智。
大人になってから調べたら、ナントこの方醍醐派の坊主で、さらに武道全般の達人だったと知って腰が抜けた(話が飛ぶが、初見良昭も)。 >>336
続けてゴメン。東寺だった。
でも同じ真言宗系ね なんとなんと……
そういう人が小さい子向け番組に出演とは。
子供たちにいい影響があるなら、とノリよくやってくれてたんなら
嬉しいねえ 動画であさっても全然でてこないトラウマコーナーがあった
なにもない空間でひよこがぜんまい式のロボットの鳥を親と勘違いして
おいかけてるだけのショートコーナーがあった
当時は子供だからそのなにもない空間で生まれてずっと生活するんだなと子供の知能でおもってた
ひよこがロボットの親鳥を延々とおいかけてものすごくかわいそうで見てた
覚えてる人いませんかね 当時5さいか6歳くらいだったしびみょうに記憶違いしてるかもしれんけど とんねるずのみなおかのイメージが強いモジモジくんも、元はこの番組から
黄色いセットはそのまま流用(ポンキッキもみなおかもセットデザイナーが根本健二氏) トラウマって程じゃないけど確かにあったのに誰も覚えてない番組
ってあるよな
NHK(多分)教育で、割と誰でも知ってそうなクラシック音楽と共に
画面上で模様というか、特に意味もなく色分けされたグラフィックが
ただうねうね動くだけっていうコーナーだかなんだかがあった筈なんだけど
誰かに聞こうにも説明しづらくてどうにも >>343
おかあさんといっしょ の中では?
おもちゃの交響曲にアニメがついてた 教えて下さい。
恐らく40年近く前になる、ひらけポンキッキだったと思いますが
鼻に骨が貫通しているような原住民?だったような人が踊って、「何とか何とかコニャニャチマーヤ」みたいなフレーズを連呼していたのをご存知の方はいませんか?
歌ではなかった気がします。今朝から突然頭に浮かびエンドレスで流れ今夜は眠れそうもありません。
ネットで検索しても該当するものは出てきませんでした。
よろしくお願いします。 おしりぺんぺんコンピューター最後ミサ曲になるが
子供の番組でよくあれをやるなとね
あれDボウイのスペースオディテイからヒント得てる
ボウイ2001年宇宙の旅を見て、あの設定を思いついたのだが
ポンキッキの音楽センス異常だった >>348
ありがとうございます。
この曲です!スッキリしました。
今夜はぐっすり眠れそうです。
こんな曖昧な記憶から答えを導いて下さり
本当にありがとうございました。 今聴いてみたら、いろいろ凝ってるのに気づくよね
当時はまだ全面的に打ち込みじゃなくて生演奏もあっただろうから、
自分のクラシック好きも実はポンキッキからきてるのかもしれんな…
あとよく聴いたら哀愁ある感じのも意外とあったり そういや、いくつくらいからポンキッキーズになるんだろう。
自分は84生だが、ポンキッキーズになっても暫く見てた。
しかしメインは狭義のゆとり世代だと思う。 93年10月からがポンキッキーズだよ
2006年に一度タイトルをポンキッキに戻してるけど製作陣はポンキッキーズ時代と同じだから実質的にポンキッキーズ
1971年〜1976年頃 フジポニー
1976年〜1987年 日本テレワーク(フジポニーから独立)
1987年〜1993年 日本テレワーク、FCC
1993年〜2000年 FCC
2000年〜2007年 フジテレビKIDS(FCCから独立)、FCC
2008年〜2018年 フジテレビKIDS
日本テレワークはフジポニーからポンキッキを担当していたディレクター達が独立して立ち上げた会社
日本テレワークから三輪道彦、濱野明子らは更に独立してリトルスタジオインクを設立するけど、
リトルスタジオインクもポンキッキーズ終了まで協力としてクレジットされてた。
FCCは設立時はフジテレビプロジェクトという名前で、制作実績を残すためにという理由で
1987年頃からポンキッキに介入することになるが、
これが後に派閥争いを引き起こすことになり、ポンキッキーズへのリニューアルへと繋がった。
ひらけ!ポンキッキ→ポンキッキーズへのリニューアルは、
主導権が日本テレワークからFCCへ移ったということ。
2000年にFCC内のポンキッキーズ制作チームが独立しフジテレビKIDSが設立された際には、
番組もリニューアルしポンキッキーズ21となったが、以後特にFCCが協力から外れて以降は
凋落の一途を辿っていった 三輪道彦、菅野温夫、森田倫代、平松滋、峰一郎らひらけ!ポンキッキの
黄金期を支えていたスタッフ達がポンキッキーズ以降で淘汰されたのが痛いところだった
2000年代には東京キッズクラブという番組で過去のコーナーを大放出していたが
今では見る術がないな 昨日のガチャムクではキミとボクが流れたな
厳密に言えばひらけ!ポンキッキの曲ではないが
ところでママの右手は魔法の手はいつ頃流れるんだ? ________
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ヽ \____/ / シラネーヨ 大きなヲ友達
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今朝もプ×キ×アで、この後もち×ま×子ちゃんでヲ×ニーに勤しむ痴葉のスカトロリコンポークビッツ、降臨w 故三輪道彦ディレクターはやはり偉大だったな
亡くなられていなければポンキッキーズの未来も違ったかもしれない 潜在能力テスト 昭和レトロ!時代が動いた瞬間SP【驚きのクイズ47連発!】 ★4 パタパタママの「パパの靴を〜」の部分も今じゃアウトなんだろうなぁ… おばけのうた
動画も音声もどこ探しても無いので寂しすぎる
代わりに全く思い入れが無いおばけなんてないさばかりヒットする 45年ぐらい前の放送時期で、餌を食べた動物がレントゲン写真のような内臓を通ってうんこになる
オチは人間で、最後にトイレへ駆け込むショートがあったのですが、探しても全然見当たりません
あれは幻だったのでしょうかそれとも著作権の関係で動画が削除されているのでしょうか この番組の放送作家で、NHK「おかあさんといっしょ」の『にこにこぷん』とのコラボの際に橋渡し役を務めた高見のっぽ(当時は高見映)さん 死去
88歳 小1〜小3(1993年度〜1995年度)の時ビデオに録画して何度も繰り返し見るぐらいポンキッキーズ
が大好きだった。
特に夏休みのP-キーズのワクワク感は半端じゃなかった。子供番組にしては大人っぽい雰囲気の所が
いいんだよね。米米CLUB、森高千里、大江千里、矢野顕子など普段は大人向けの音楽番組に
出ていた大物ミュージシャン達が曲を提供したり。
「さあ冒険だ」のように、曲のPVに無声映画を使ったりするセンスもお洒落で良かった。
ミミクリーチっていうロシア(?)のパントマイム集団が出るコーナーが一番好きで毎回楽しみにしてたなぁ。 プロデューサーの野田昌宏
構成作家の高田文夫、高見映ことのっぽさん
作詞の高田ひろお
作曲の藤家虹ニ、越部信義、佐瀬寿一、小山田焼
音楽ディレクターの小島豊美
音響効果の長谷川龍
美術の根本研二
番組ディレクターの前田利博、三輪道彦
初期のポンキッキを支えたのは錚々たる面々だったなぁ
のっぽさんが言うには構成作家は10何人もいたなかで、自分が一番序列が低かったらしいし
また報道局の取材班の協力でVTR素材を集めていたとも話している辺り
あそこまで番組を大きくできたのは熱意のある無名のスタッフが集ったことで実現できたんだろう。
名簿のようなものがあるのならば、一度ちゃんと見てみたい。 >>370
根本さんはドリフ大爆笑のコントのセットデザイナーでもあった >>369
70年代を見てたイメージで90年代を見ると
騒がしいな芸能人(芸人)ってイメージしかない
逆に、15年、時代をシフトして考えてみれば
70年代のポンキッキも、不良の聞くような
チャラチャラした洋楽ばかり使いやがって
スキャニメイトみたいな電子技術の
やたら派手な映像でごまかしてる
みたいな印象だったのかも 初期だってペギー葉山にはせさん治に谷幹一と
今思えばよくこんな大物引っ張ってきたなって出演者だったけどな
確かかまやつひろしの歌もあったはずだし >>371
そうそう、ドリフの番組で美術やってた。
放送美術関係では偉大な人だった >>372
本当に初期はひらけ!ポンキッキも芸人使ってたんだけどな
三波伸介や伊藤四郎も出てたらしいし
お兄さん枠も元々は喜劇役者使ってたんじゃなかったっけ? ポンキッキスレあったのか
昔(20年前くらい)はよく来て盛り上がったもんだ
今でも一番好きな歌はジャブジャブロックだな。
ほいでもってブーンもなんか好きだったw 午後2時からの放送を毎日見てた年代です
朝の番組は幼稚園や小学校始まると見られなくなるからね
こういう番組は他にも欲しいところだ 創価・公明板スレッド
もう組織内の少女にしか興味モテない学会三世
主題歌
ロロリロリコン ロロリロリコン
ロロリコン ロロリコン ロロリロリコン
小さくかわいいお嬢ちゃん お茶目で無邪気なお嬢ちゃん
真っ赤なリボンの胸元 見つめる学会三世
会館に来ては声掛ける 女子中高生声掛ける
たまには幼女に声掛ける それでも見向きもされない
俺ら婚活カツカツ あっちこっちダベる
苦情すぐ来るすぐ来る 大騒ぎさ
ますます逃げ出すお嬢ちゃん ズルズル過ぎ去る時間
真っ赤なリボンの胸元 見つめる学会三世
俺ら婚活カツカツ あっちこっちダベる
苦情すぐ来るすぐ来る 大騒ぎさ
なかなか彼女ができない このまま一生独身?
真っ先に浮かぶ最期は 孤独死学会三世
ロロリロリコン ロロリロリコン
ロロリコン ロロリコン ロロリロリコン ペギー葉山さんは昭和末期までは
しつけのコーナー担当だったが
初期の2年ほどは実はメイン司会者で
歌もやってたそうな。相方も三波伸介で
昭和50年からはメイン司会からははずれて
しつけのコーナーに別撮りでの出演となったわけだが、そのしつけのコーナーも
ペギーさんか三波伸介のどちらかが
やるという話になり、最終的には
ペギーさんがやる事で落ち着いたけど
これでもし三波さんがしつけのコーナーの
担当になってたらコントみたいになってしまっただろう。