アリーナ・ロックとAORの分水嶺がTOTO

――金澤さんは、TOTOの作品にリアルタイムで接してこられたと思うんですが、デビュー当時、日本ではどんな受け止められ方をしていたんでしょうか?

「ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』(76年)がアメリカで大ヒットして日本でも売れていたので、そこに参加している人たちがバンドとしてデビュー
するらしいということでかなり話題になっていました。あの当時、僕はまだ高校生だったんですが、自分でも楽器をやっていて。
そうすると、期待の凄腕プレイヤーたちとしてメンバーの噂も自然と伝わってくるんですよ。
ジェフ・ポーカロもスティーリー・ダンに参加していたり、セッション・ミュージシャンとしてすでに売れっ子だったしね。

――実際にファースト・アルバム『TOTO(宇宙の騎士)』(78年)を聴かれてどう感じましたか?

「今でこそAORの文脈で語られたりするけど、当時はボストンとかフォリナーとか、いわゆる〈産業ロック〉といわれたバンドが活躍していて、
TOTOもそういう流れで受け止めていたように思います。ポップ・ロック的なんだけどプログレっぽさもあるから、そういう受け止め方が一般的だった。
他方で、16ビートの黒っぽいノリの曲もあるので、それまでの商業ロック系のバンドに比べて初めからとても幅広い音楽性を持っているなと思っていました。
今になると、アリーナ・ロック的なものと、AOR的なものの分水嶺というべき存在がTOTOだったんだろうな、と思います」

――確かに、初期の作品から曲によってカメレオンのように表情を変えるイメージがあります。

「スティーヴ・ルカサーのギターが全面的に出てくるとロック色が強くなって、ジェフ・ポーカロとデヴィッド・ハンゲイトのリズム隊が前に出てくると
他のバンドにはできないファンキーさが強調される。例えばジャーニーとかだと、彼らも一時期ジャズ系のドラマーを迎えていたとはいえ、
バンド全体でああいうノリを出すことはできないんですよ。そこはまさにスタジオ・ミュージシャン集団ならではの音楽性の幅広さってことだと思います」

――そういうファンキーなノリというのはどういうルーツから来ているんでしょうね。

「たとえばジェフ・ポーカロにしてもデヴィッド・ペイチにしても、両親とも有名なジャズ・ミュージシャン※2で、若いときからLAのいろいろな音楽の現場に出入りしていた人でしょう。
そうすると、ポップスやロックはもちろん、ソウルなどの黒人音楽にも当然のように触れていたんだと思いますね。
ポーカロが尊敬していたドラマーは、ジェイムズ・ギャドソンやバーナード・パーディーなど、黒人プレイヤーが多いですしね」

――膨大なディスコグラフィーを持つTOTOですが、金澤さんのフェイヴァリット作品はどのあたりでしょう?

「やっぱり1枚目と4枚目の『TOTO IV~聖なる剣』(82年)が好きですね。もっと範囲を広げるなら、ジェフ・ポーカロが存命で、
特に3代目ヴォーカリストとして入ったジョセフ・ウィリアムスがいったん離脱するまで、アルバムでいうと『The Seventh One』(88年)までがやっぱり特別な存在かなと思います」