戦術で戦略を突き崩した偉人
戦略>戦術
だと思うが、逆をやってのけた偉人を晒してくれ。 >>158
孫子も戦うからには野戦が最高と言ってる。
孫子いわく城攻めは時間がかかって不利益が多いので
10倍近い兵力差がないならやらないほうがいいといってる。
(ただし孫子の注釈書を作った曹操は自分が2倍の兵力で呂布を包囲して捕虜にした例をあげ、
自軍が強くて敵が弱ければその限りではないと説明してる) 保釈は無理と言われたお塩とそれを可能にさせたタニマチの桃下着屋女社長 >>165
メムノンは陸戦だと悉くアレクサンドロスに負けてるから
ギリシャに攻め込んでマケドニア軍を引き戻したとしても
ろくに支援勢力もなく拠点もない状態で
アレクサンドロスに野戦で粉砕されて終わりな気もする
その後アレクサンドロスは東方遠征を再開、と 丹生島城の戦いの大友宗隣は?
島津に圧倒され滅亡寸前だったが、国崩しという大砲を乱射して
島津勢を撃退、豊臣秀吉の援軍到着まで生き延びた。 関ヶ原前哨戦の福島正則達。
濃尾方面は西軍の方が多かったのにもかかわらず、
伊勢で西軍が手間取っている間に反撃に出て、
岐阜城他数ヶ城を調略、強攻を交えて制圧し戦局を逆転した。 国教内戦での古寧頭の戦い の根本博中将。
台湾へ敗走した中華民国を滅ぼすべく台湾侵攻を画策した中華人民共和国軍に対して、
半数以下の兵力で撃滅。台湾の独立を守った。 桶狭間の戦いでの織田信長。
彼は戦術で今川義元を倒し、結果、今川を京に上げなかった。 数で圧倒する朝廷軍の東北侵攻を30年以上耐え続けたアテルイ軍 そういえば西洋は近代以前の戦いも軍事学的に見る本があるけど
日本の戦国期以前をそういった軍事学的な視点から見た本ってある?
いやま、すごいよ信長、秀吉とかはあるけどさそういうのと視点が違うので そりゃ君、義経じゃない?スタンドプレーの神だと思うなあ彼は 一の谷も壇ノ浦も源氏の方が兵力が多い。
義経が寡兵で戦ったのは屋島だけだが、平氏側の
主力部隊は当時、源氏主力との戦闘に行っていて
留守部隊だけだった。
義経は戦略的に有利な戦いしかしていない。 >>183
それがもう戦術レベルの話なんじゃない?
一の谷は守備に強いし京の情勢も伺いつつ攻め込める位置にある
その上瀬戸内を地盤に勢力を盛り返していたし、
事実兵力の上回る源氏方の攻撃に互角以上の防戦をした
そのまま長引けば源氏の方が撤退せざるを得なかったと思う
この状況を作り出すまでが平氏の「戦略」
ガラ空きの本陣に後ろからぶっこんだ義経の戦いは「戦術」レベルを出ない
>>177
あれは単なる本陣を先陣と勘違いした末に偶然が重なっただけのラッキーパンチだろ
桶狭間の実態なんざとっくに知れ渡ってると思ったがな >>1
武田信玄の駿河侵攻
↓
とうぜん甲相駿三国同盟崩壊
↓
対抗で越相同盟成立
↓
示威行動で小田原攻囲&三増峠の戦いで北条勢を粉砕
↓
役に立たない越相同盟解消
↓
駿河ゲット&甲相同盟締結
武力にモノをいわせてやりたい放題w
大義名分とか信義とかキニシナイ!カコイイ!! ベルサリウスは、将軍としては戦略・戦術ともに優秀に思えるなぁ。
ササン朝のホスローとの戦いでは、相手に弱み(補給とエフタル)を想起させ会戦なしで撤退させる。
ヴァンダルや東ゴートに対しては、寡兵ながら戦術上の勝利を積み重ねることで相手を凌駕する。
政治能力の不足が足ひっぱって東ゴートを制圧しきれなかったのは、軍人の限界でもあるが。 >>169
おまえは相手が城に籠るたびに十倍の戦力が必要なのか
第二次長州征伐は大村と高杉の戦術による勝利?
桂の外交による戦略的勝利?
黒木為禎帝国陸軍大将。
奇襲とは有り得ない、想定外の絶妙のタイミングで不意を討つ!これは武士の真骨頂である。
正に夕張巌の夜襲は敵の寝込みを銃剣、刀を用いたまさかの想定外の奇襲だった。
銃が剣の時代を凌駕したと思い込んだ世間の常識をあえてそれを用いて敵の意表をついて勝利した、発想の奇抜さたるや…。
脱帽。
※実際に一時的にではあるが弾が尽きた為に苦肉の策で敢行されたのが現状の様だ。
2ちゃんも怪しくなってきたなあ。
需要は、あるし需要が絶えることはなさそうだけど★とそれを取り巻いていた層が
いなくなってるな。
世代交代のセンは薄そうだからじょじょにpink化かなあ。
スレ違いすまそ。
牟田口だと…?
牟田口は敵にとってはある意味敵の肩を持つ迷将だったんだろうなぁ。
迷将な!
>>195
黒木さんはヤバいよなあ。
写真みたらフツーのじいさんっぽかったのでびっくりした
雷親父のイメージだったからw ↑奥保鞏の写真と勘違いしてた
黒木さん画に書いたような雷親父だったわw
既出だったらスマソ。
江戸幕府を倒した倒幕派の新政府軍の戦い方にそんな奇跡的なシーンは沢山あるのでは?
うむ。幕末の新政府軍の戦いは実に興味深い、奇想天外な戦いだったのだよ。
大村益次郎の指揮した戦いは正にそれだろう。
分かりやすくいったら、正に初めから敵を喰った戦い方というのはあった。
囮の小隊を使って敵を誘き寄せ、当時最先端だった精度の高いゲベール銃等を使い、効果的にかつ確実に敵を撃滅していったという。
敵はどの様に反応するかという事を、常に想像力をいかしながら、的確に動きを読んでいたのは、事前の深い下調べが必ずあったからだ。
それには必ず事前に地形をしっかり読んだ、科学的根拠があり、全てを把握した上での根拠ありきの作戦なのであった。
大村益次郎はシーボルトの下で学んだ医者である。奇想天外かもしれないが、科学的根拠として評価されている。
なんせ生粋の学者だったのですから。 訂正
科学的根拠を重視した、学者肌の戦術家でもあった。 >>204
具体的にはどうしたの?
一つの例でもいいから不利な状況を効果的な戦術によって勝利したシーンを解説して! 幕末、新政府側にはちゃんと戦略あっただろ?
それになんで戦略の父と言われるハンニバルがあげられて誰も突っ込まないのかが謎
兵力差ひっくり返した戦闘なんていくらでもあるじゃん、それをここでは戦術で戦略をひっくり返したっていってるの?
クラウゼヴィッツがいっているように戦略は物量の計測だけではなく、目標に向けて戦闘を秩序だてて行う技術のことでしょ 桶狭間・・・信長記では
沓掛の峠の松の元に二階三階の楠、雨に東へ降り倒れる。
余の事に、熱田大明神の神軍なり、と申し候なり。
分析すると、
信長軍は、沓掛の峠に布陣しているはずの今川軍哨戒部隊を蹴散らし、
後方霍乱を行うつもりであったが、彼らは大嵐を避ける為、
沓掛城に緊急撤収してしまっていたので、今川軍陣地に散乱していた
白旗を拾い集めて掲げ、自軍の赤旗は丸めて隠し、
奥三河方面からの後詰め部隊を偽装して今川義元本陣に接近、
本陣脇の太子ケ根にそれらしく布陣した。・・・
ということになる。 戊辰戦争の新政府軍は戦術でまったくといっていいほど負けなかったのが大きい。
開戦前〜開戦時の幕府は江戸の薩摩藩邸襲撃といい、鳥羽、伏見といい戦略以前に戦術でことごとく下手を打った。
会津も冬まで粘る戦略が新政府の戦術の前に冬までもたなかった。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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