歴史で有りがちなこと
>>100歩逃げた香具師が>>50歩2ゲトの香具師に生暖かく藁われる。 愛国とか革命とか立派なことを謳っている組織はどうしよもないことしかしない 国名に人民とか民主とか入ってる国は大概民主的ではない 「民主主義」と一口に言っても多種多様なのに
「民主的では無い」とか 右翼は「国家」のために!と言って人を殺し
左翼は「人民」のために!と言って人を殺す >>44
桂昌院やお七は・・・実家だから駄目か。
落ちぶれていた頃のちょっとした親切でも忘れない者は、ちょっとした恨み
も忘れようとしない。
・韓信→洗濯女と股をくぐらせた男に、それぞれ恩と恨みを返した
・源頼朝→池禅尼の恩は終生忘れなかった
・テムジン→タイチウトの人間を殺しまくる中、ソルカン・シラは助命して報恩
・羽柴秀吉→地下人時代になぐってきた徳川の家臣が死んで家も断絶したと聞き、くやしがる
・徳川家康→自分の鷹をつき返してきた今川の家臣に腹を切らせる。佃村の住人を呼び寄せる。
・西太后→父親の葬式代を出してくれた人を四川省の長官にした スターリンもユダヤ人を迫害する中、幼い頃資金援助をしてくれたユダヤ人の一家は迫害しなかった 階級が下の人物が成り上がってトップに立った人物は
自分の出身階級を裏切るような政策をすることが多い
豊臣秀吉、スターリン、ディズレーリ 歴史を振り返れば『歴史は繰り返す』と戒めつつも結局言ってる世代も繰り返す。 >>61
「ここは元々ネタスレなんだよ!」ってのもあるからなw ぶっちゃけ右翼も左翼もやってる事はたいして変わりがない 大国に攻められたときにありがちなこと
・漁民が諜報で活躍する
・老将は討ち死にする
・君主はヘタレ
・スパイと間違えられ、やむなく城を去る名将
・最後は降伏する
・結局君主は助かる 覇権を握った勢力が短命政権に終わり、
その次の勢力が長命政権になる。
例:楚→漢 隋→唐 平→源 豊→徳 1.鉄道・道路を通してもらえなかった
→実際は三島県令が当時日本でも稀な大規模道路整備を若松を中心に行い、
恩恵が少なかった会津以外の人々が一揆を起こした。
→鉄道が通らないのは当然。仙台へ伸ばすには会津は経由させるべきではない。
また、磐梯山噴火などがあり若松より北へ伸ばす路線は危険が多かった
2.産業育成を阻害した
→実際は産業博覧会で三島県令が盛んに会津漆器などの産物を販売し、陶器産業も復興させている
清酒も明治以降の導入で、江戸時代はどぶろくだった
3.県都を郡山に移さず会津を引き裂いた
→郡山は新政府が開拓した都市。そこに移すのは新政府偏重と言う福島市の意見が強かった
4.学校を作ってもらえなかった
→会津高校を作ったのは明治初期、しかも三島県令と明治新政府の重役たちによる寄付だった
5.賊軍の遺体埋葬を禁止された
→「彼我の戦死者一切に対して」遺体確認作業の為禁止されていたのを作家が捻じ曲げて解釈しただけ
かなり早い時期から遺体処理を指示する民政局の達し書が出てる
会津藩士の遺体もちゃんと埋葬された
6.「白河以北一山百文」と侮辱された
→言いだしっぺは東北、わざわざ新聞タイトルにしてスローガンにしたのも東北
つまり、会津人が涙ながらに叫ぶ「被差別」話は、どれもこれも根拠がない。
新政府の援助をたらふく食った末に、貰った先を罵って、恩義はないといって済ませようとするのが会津。 ○○が攻めてくることなどあり得ない
攻めてきても△△を突破することは不可能
この要塞は○○年の包囲にも耐える
↓
あっさり城下の盟 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめと口裏合せと口封じの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ >>121
「笑ってる場合ですよ」の後の「笑っていいとも」、山本コウタローの後のみのもんたみたいなものか。 明は元に勝ったように思えるが
北元は皇帝の印璽を持ち去っており
後元が滅んだのは1688年で
既に南明も後明(鄭氏台湾)も存在していなかった