φ聖徳太子
わたしも人間だ耳はふたつしかない 曽我馬子は舌が十枚あったが かつてお札の象徴も既に忘れられた存在になりつつある聖徳太子 壱万円への復活ははたしてあるのだろうか? 子供の頃はバアちゃんが聖徳太子とかの話してくれたんだけど・・・・ いなかったの?( ´Д⊂ヽ 辻元清美ですが、憲法9条改正についてどう思いますか? 聖徳太子は存在したと発覚したら大山誠一と谷沢永一はどうするんだろう? 追加 劇団ひとりや聖徳太子はいなかったと主張した歴史研究者や学問者 あいつらのアホなところは 「聖徳太子伝説はウソだ」といわず 聖徳太子がいなかったと言ってしまったことだ。 諡号の法則的に、「徳」が付くのは暗殺された人。「もっと徳が有れば命永らえたのに、ねぇ」って事だそうで。別に悪人だったって意味ではないが。 少なくとも「モデル」はいたと思われる。こちら筋の最有力候補は例の、カレですよ、ハイ。 「太子」と諡された唯一の人。ここから渡来の王族説。 何人でもいいけどさ。慕われてた方だった訳ですよ。後であんだけいい扱いにされたんだから。勿論、「殺した側」が祟られたくないから、褒めて奉ったのだとしても でも奈良に行って聖徳太子ゆかりの寺院に行って聞いたら「いたよ」って言うと思うよ。 心の中にはいまでも太子様はいるんだよ。 >>12 ひとりはまあ素人だからしょうがない。 研究者はなあ……。 なんかネッシーみたいな扱いになってきたな>聖徳太子 もし「実在しない」説が真実なら、まさに不比等の狙いはそこ、フィクションの心象の中での実在化、だったんでしょうね〜。 あ、諡号法詳しい人いない?「聖」の場合の法則忘れちゃった。大学にあった諡号法のコピー、人にやっちゃったから あのすみません、親鸞さんはある女人の体を借りてあなたとやったとか 言っていますが真相はどうでしょうか? まあ、不比等が蘇我氏の事跡を抹消するために 馬子の実施した政策を、学問好きな一皇子によるものと改竄したという オーソドックスな線が一番ありそうではなかろうか 十七条とか冠のやつとかは実際行われていた政策なのかな。 創作だとしてもどの程度まで史実に沿っているのか。 冠位十二階は、実際そういうことをやったんだろうな。 問題は、蘇我氏が大王だったのかどうかだな。 記紀が嘘っ八となると、何を史料とすればいいのか 万葉集か?考古学か? そこらへんの時代の野史みたいなやつって残ってないの? 女性が君主だともっともないから、 摂政の厩戸を外交文書で主君にしたという説は説得力はあると思う ただし、蘇我馬子でも同じことは言えるわけで。 しかし蘇我氏がもし大王だったとしたら あそこまで完全に隠蔽するのは不可能だっただろう。 王統の交替はあったとしても欽明以前だろうな。 >>14 懿徳 仁徳 孝徳 文徳 崇徳 安徳 順徳 こんだけ徳が諡に付いてる天皇いるけど暗殺と確定してるの一人もいねぇ 何を根拠にその説ができてるんだい? 懿徳と仁徳みたいないたかどうか不明な人は除き 孝徳・・・難波宮に置き去り。。。 文徳・・・私は急死しました 崇徳・・・讃岐で鬼になったとか 安徳・・・海中には都がありまする。。。 順徳・・・佐渡は寒いです 暗殺はどうでも、悲しい人たちではあるね 上宮王家というもったいぶった家は、日本初の宮家だったのではないだろうかと思ってる。 >>33 鎌倉期の岩倉宮ぐらいからじゃ と軽く反論してみる 聖徳太子は厩戸皇子をリーダーとした政策集団(チーム) 聖徳太子という個人はいない 小野妹子もこのチームのメンバーだった説は濃厚 じゃ俺は 矢立肇や八手三郎と食事の約束があるからこれで 捏造ばっかりの朝鮮人が在日として日本にいる今、日本の始まりをの聖徳太子をなかったと捏造してもおかしくない いないと言った学者をよく調べてみないと、日本の教科書も捏造の嘘ばかりになる。 …不安 聖徳太子はいない 厩戸皇子はいる そういうこと ハヤタ隊員「ウルトラマンは誰なんだろうね?」 それって聖徳太子はいるってことなんだが・・・ 政策立案のスタッフの総称だから聖徳太子はいないとか言ったら、殆どの歴史人物はいなかったことになる 厩戸皇子が存在しないなら聖徳太子は存在しないよね でも厩戸皇子をリーダーとした政策集団として厩戸皇子は実在してるんでしょ? おかしくない? 39の定義だと、その政策集団のリーダーが実際には厩戸皇子ではなく 蘇我馬子だった場合、 聖徳太子=蘇我馬子だったという言い方になってしまうので それはそれでまぎらわしい問題がおこるのではないか 居ないということ自体が紛らわしい…。 正直、スレ立ててスマンかった。 「厩戸」という諱の人物の諡が「聖徳太子」なのに、諱の「厩戸」は実在で、諡の「聖徳太子」は「架空の人物」とか「いなかった」って理屈は変だよね。 諡って没後に贈るもんでしょ 没後の何年後に贈るかは人により違いがあるが、贈る時期が早かろうが遅かろうが実在性とは別の話し 大友皇子に弘文と水戸学の連中が贈ったところで、架空にはならんでしょ ただ、大友皇子を弘文天皇と呼びましょうって話しなだけだから 諡号や大師号、戒名で故人を呼ぶのは近代以前において常識なんだから、厩戸や空海の伝説が没後に形成されれば、聖徳太子や弘法大師の名前で伝説が語られるのも当たり前だし 伝説や文飾を学術的に批判するのは結構だけど、贈られた名前を取り上げて架空とするのは、厩戸や空海を架空の人物だと誤解させるだけで不適切な表現だよ 弘文天皇は本当に天皇だったのか? と話は横道にそれてしまうが 没直後に贈られる場合と 没後相当の時間が経ってからでは考え方が違うのでは と言いたかった 仮に太子の業績が架空のことだとして 厩戸皇子と業績を結びつけてしまえという恣意さえあれば でっち上げることは可能であったと思う 書記自体が非常に怪しい書物であるわけで 不比等の作為で虚像がつくられた可能性はある 諡がある=業績も含めてた実在とは言えないと思う >諡がある=業績も含めてた実在とは言えないと思う 別に諡があるから実在って言ってるわけじゃなくて、斑鳩に寺を建てた厩戸の実在を認めるならば、その厩戸皇子を指し示す聖徳太子という名前だけ取り上げて架空と主張したら、読み手が厩戸皇子も架空と誤解するだけで不適切ってこと 聖徳太子の事跡に架空のものが含まれるなら、個々の事跡を取り上げて架空と主張すれば済むだけだし、別に「聖徳太子」じゃなくて「厩戸皇子」の架空の事跡と主張したっていいわけでしょう 書紀には「聖徳太子」とは書かれていないから、厩戸皇子でもOKなはず 厩戸皇子も聖徳太子も同一人物を指す名前なんだから、一方を実在とし、もう一方を架空と分けて主張するのは混乱を招くだけだと思うし、誤解されるのを承知で主張してるようにも思える どうも話が噛み合わないので やめにするけど >書記に聖徳太子とかかれていない 確かに推古紀にはないが 用明紀の出生逸話部分に聖徳の割注 敏達紀菟道貝鮹皇女の部分に 東宮聖徳の記述 書記のこの部分が聖徳の初出である ここは訂正させてもらう >同一人物を指す名前なんだから・・・・・・・ 見解の相違で まあ、「聖徳太子はいなかった」という言い回しは 出版社が本を売るためのキャッチコピーかなんかだから それを議論の対象にしても噛み合わないということさ 個人的には厩戸の事績は、あったかもしれないが、なかったかもしれないとの立場 十人の話を聴きわけるとかではなく、摂政とか十七条の憲法とか官位十二階の話 書記に信用がおけない以上、信じられなくても仕方ない 厩戸がいたかいないか?それはいたんでしょ多分 >十七条の憲法 中に出てくる単語の登場が、厩戸の時代より後だと、津田左右吉先生が。 摂政の存在についても、疑義が出されていたはずです。 >厩戸がいたかいないか?それはいたんでしょ多分 いたのでしょうね。「いなかった」で厩戸まで存在しなかったと思う読み手 はいないと思いたいですが。 厩戸王を後世がどんA聖人化してったのが聖徳太子でしょ それは書記作成を命じた人が、箔付けに必要としたから、かな? 今日、聖徳太子は、いなかったという話を聞いて、このスレを見つけました 聖徳太子は実は蘇我入鹿では、なかったのかという話でした 太子の息子に山背大兄皇子がいましたが、この山背もフィクションではないのでしょうか というのは、この皇子一族を自殺させて滅んだのですが普通、こういう場合は 祟りを恐れて祀られるものですが、まったく、その形跡がない。 また法隆寺に山背を祀っていますが、それは江戸時代からのこと つまり殺されたのは聖徳太子[蘇我入鹿] 聖徳太子は、あらゆるところで祀られていますよね 蘇我稲目から見て。 入鹿は曽孫。 聖徳太子も曽孫。 天智天皇は来孫。 いたとかいなかったとかじゃなくて、ただ聖徳太子像に虚像が多分に含まれてるってことでしょ。 こんなことは大山説以前からいろいろ指摘されてたことで、今更って感じだね。 近代の歴史書と違って、正史と呼ばれる史書でも現代人から見ればマユツバなエピソードを持った人物はいっぱい書かれてるからね。 ただ、聖徳太子は日本仏教の父として尊敬・崇拝されてきたので、国学者や神道家からは皇族の癖に仏教に嵌まりやがってと批難され難癖までつけられ、反天皇の連中からは皇族で聖人のイメージがある故に、そのイメージを剥ぎ取ろうと狙われてる。 要するに、右からも左からも都合の悪い存在として付け狙われる可哀相な人ですね。 劇団ひとりがさかんに言ってた。「聖徳太子はいなかった」 劇団ひとりの経歴は? たいしたタレントでもないのに、なんでテレビに出てのかな? 不思議でしかたない? 王子は超能力があり同性愛者で毛人をあいしていたという事が学会では定説になっていますね。 日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや。 小野妹子 藤原不比等がわざわざ敵対勢力であった蘇我氏の血縁者を英雄に仕立てる理由がない 聖徳太子不実在説など個人の妄想の域を出ていない >>77 世界史板で、山野さんをはじめとして太子不在説にほぼ傾いています。 ネット右翼は史実を素直に受け入れ、太子の不在を受け入れるべきではありませんか? >>78 太子不在説にほぼ傾いています 実際の傾向は逆だろ。 明日香の発掘などが進むにつれ、 a 日本書紀等の記述が 概 ね (基本的な枠組みなど) 正しいこと、 b しかし地位や呼称などの用語は必ずしも 厳 密 ではないこと などが、明らかになってきている。 トンデモの多くはbの齟齬をつついてaを否定しようとするものだが、時代の流れに逆行している。 聖徳太子虚構説は、今となっては、古臭いアンチ皇国史観とか唯物史観などの先入観や偏見の遺物。 それに、団塊世代の日教組系の馬鹿教師などが食いついているだけ。 (ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010714.html) 講談社の日本史概説書でも大山説は批判されてたね。 一般人や大学一年生などが対象の概説書で批判されてる時点でマユツバな感じがプンプンするね。 >>78 実在説を支持すると右翼にされる理屈がわからん それは左翼的に実在されると困る。との自白に等しいのではないか? 右寄りで保守論客である谷沢永一は、大山説の焼き直しで「非実在説」だけどね。 あと本居宣長などの国学者や平田篤胤などの神道家の流れをくむ者は、だいたい右寄りよりだが、「日本仏教の祖」として崇められてきた「聖徳太子」には批判的だ。 あと、アンチ天皇の左寄りの人は、もちろん皇族で偉人・聖人扱いされてきた「聖徳太子」が嫌いみたいだ。 だから、単純に右や左で一まとめにして論じるのは無知を曝すだけ。 >>78 不在というか、「聖徳太子のイメージ」がどういう流れの中に形成されてい たのかを探ろうとしている所でしょうか。 事実存在したか否かということで言えば、考えにくい点が多いが、それより もその「人物像」からいかなる文化的背景を想像しうるのか。 私も世界史板で大袈裟に言い過ぎたかもしれません。 私個人の立ち位置としては、『仏教史学研究』の特集の藤井先生あたりで。 この史料からどんな思想が読み取れるのかに関心があります。 >>79 にしても、aやbなどは個々の発掘調査の結果から見えてきたもので、 その結果ごとに確認することはできても、「だからこれも正しい」と発掘 結果とは直接関係ない事件にまで敷衍はできないでしょう。 aだとかbだとか、右だとか左だとか原理・原則を先にして解釈すること は、あらかじめ答えを用意して挑むことに繋がりかねません。 結局は自分の思想用の歴史しか出てこないでしょう。 個々の事象を扱うのであれば、史料そのものをそれぞれ明らかにすべき。 ちなみに、『仏教史学研究』ですが、大山説に対する批判もあります。 石井先生、一寸挑発的であったように見えましたが。 「聖徳太子は存在しない」って、玉ねぎの皮を全部剥いて玉ねぎが無くなったから玉ねぎは存在しない と言ってるようなもの とりあえず聖徳太子を讃える行為と創価を切り離してほしいもんだ。 最近の大山は、用明と崇峻も怪しいと言いだしている。 それが、「聖徳太子非実在説」から導かれる論理的帰結なのだ。 もはや、トンデモ認定でよかろう。 少なくとも、まともな学問の場で評価されることはあるまい。 聖徳太子の功績はともかく太子の元ネタになった人は存在するんでないの 書紀だっけ聖徳太子の初出は。 書紀自体あやしい書物だからな。 ウマヤド王がいてそいつが大兄だったらそれでいいんだろな。 法王帝説の一部には、書紀成立より古い資料が使われてる 一万円札と五千円札から聖徳太子の御真影が消されたのはCI(ヱシュロン検閲済) しっかし、なんでこうも「聖徳太子」の虚像部分を執拗に取り上げようとするのかなぁ? オイラみたいな戦後30年生まれにとっては、それほど「聖徳太子」が偉いとか凄いとかを刷り込まれた覚えがないんだよね だから、ことさら虚像部分を得意げに指摘したって「ふーん」って感じでインパクトが乏しいんだよなぁ 教科書に詳しく書かれてたわけでもなかったし、歴史に興味を持っていろいろと本を読むようになった時は、既に太子の虚像部分には学術的メスが入ってたから、ある意味「常識」として受け入れてたからね それを大山って学者は、先人達が指摘してきた虚像部分を「聖徳太子」って名前でひっくるめて表現して「架空」だとかぬかし、いたずらに世間を煽ってるのがね・・・ 「聖徳太子」ってこんなアホなマネしてでも売れちゃうほどホットなネタかなぁ? 聖徳太子はいたよ いないと力説してる奴らの素性を調べればいない説の嘘が解るよ 聖徳太子の伝説 我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。 Wikipedia 引用 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90#.E8.81.96.E5.BE.B3.E5.A4.AA.E5.AD.90.E3.81.AB.E3.81.BE.E3.81.A4.E3.82.8F.E3.82.8B.E4.BC.9D.E8.AA.AC 聖徳太子が実在したとすれば、歴史上の天才であることに間違いなさそうだね。 中国の正史の筆頭に挙げられる『史記』 当然、書紀も編纂時には参考としたのは確実だが、この『史記』にはこんな記述がある >高祖は、沛の豊邑中陽里の人なり。 姓は劉氏、字は季。 父を太公といい、母を劉媼という。 その先、劉媼かつて大沢の陂に息い、夢に神と遇う。 この時、雷電して晦冥なり。 太公往きて視れば、蛟龍をその上に見る。 すでにして身有り、ついに高祖を産む。 (高祖本紀) さて、高祖(劉邦)は蛟龍の子だと堂々と書いてあるが 「そんなことは現実にありえないから高祖は架空の人物だ」 と言ったところで何の意味があるだろう? 仮に、本名とされる「劉邦」と死後の呼び名である「高祖(正確には太祖高皇帝)」とを別けて、マユツバなエピソードは「高祖」という名のキャラクターで表現して 「劉邦は実在したが高祖は架空の人物」 といったところで、どれほどの意味があるだろう? ただ、いたずらに誤解を招くだけでしかない 馬子のどこが悪者なん? 大老みたいなもんと違うん? 蘇我氏の横暴というと馬子より孫の入鹿のほうがひどい書かれようのような気がする だけど、馬子には崇峻暗殺があるから、道鏡・尊氏らと共に天皇(朝廷)に仇なす逆臣として悪者にされてたけどね 当時はなんとも思われてなかったと思うんだ崇峻暗殺。 「みんな我が婿」だわな。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる