小和田雅子と運転免許

1986年10月28日 東京・目黒「日の丸自動車学校」に通いだす小和田雅子
yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20071022114246.jpg

Q:運転免許証はいつ、どこで取得したの?
A:雅子さんが教習所に通ったのは外務省試験に合格した直後の昭和61年10月28日。東京・目黒の『日の丸自動車学校』で。卒業検定まで規定の27時間を1~2時間オーバーしただけで、年末までに卒業。翌62年3月、免許証を取得したばかりの雅子さんは友人と二人で九州へ旅行を。現地でレンタカーを借りての気ままな旅をした。

外務省内規違反、父小和田恒名義の駐車許可証を流用した雅子マイカー通勤事件

『FLASHフラッシュ』1991年9月3日号
<小和田雅子さんと父親・恒外務次官の内規違反発覚!父親用に発行された「駐車許可証」で外務省にマイカー通勤していた“有力お妃候補”の失点>
imgur.com/2RPUQEY.jpeg

pp.6-8より引用
 ご本人の否定がありながら、いまだお妃候補“本命”記しの消えない小和田雅子さん(27)。思えば写写丸も、ご迷惑とは知りつつ小和田邸への日参組であった。取材陣を完璧無視、毅然と愛車カローラIIを駆って外務省まで通勤される雅子さんウオッチングの日々。そのなかで、写写丸、ふと疑問に感じたことがあるので、虚心にここに提出したい。「未曽有の駐車場難のこのご時勢に、雅子さん、駐車スペースをどう確保しているのだろう」
 確認したところ、雅子さんは愛車を当然のごとく、外務省中央玄関前の駐車場に乗り付けていた。が、しかし、外務省の敷地内にある駐車スペースは来客用も含めて約70台分。職員は約千700人だから、北米第二課勤務の一職員である雅子さんが、ここにマイカー通勤用の駐車場を確保できているのは、まさに僥倖に等しいと考えるのが、ま、一般的な見方だろう。
愛車のフロントガラス内側に置かれた、僥倖に浴した証しともいうべき『駐車許可証』。それに目を凝らした写写丸の頭は“!?”状態になった。そこには「小和田恒殿」と記されていたからである。  
(中略)