>>69
そもそも平安時代の天皇制の下の政治での納税は租庸調で、貴族天皇の暮らしを支えていたのは農民で、まびろの知る都の民ではない
悲田院施薬院の元は聖武天皇光明皇后の国分寺国分尼寺での国教を仏教と定める宗教政策の一貫なでずっと貧民救済は宗教勢力である寺院が中心
天皇貴族の言う国民とは地方の納税の義務を負った農民であり、まびろがちょろまかそうとした越前の和紙や地方の特産品や稲を作る農業従事者、都に上がり労働力も納税している人達で納税していない都人は民ではない
中世や近世江戸までその認識だから、都人、江戸町民は貨幣経済で潤い、農村との経済格差から田畑を捨てて上京する浮浪者が増えたため帰農令が何度も出されている
民草の定義すらなされていないけど、哀れな納税者って誰の事?たねちゃんちは今でいう脱税Zや川口のインフラに寄生するエセ難民のクルド人みたいなもん