日本の荘園の歴史は複雑なので簡単には説明できないけども
雑に言うと摂関期の荘園は国司の権限拡大により
公領私領を国司の裁量で決められるようになってしまい
さらに国司が私領の免税を狙って権門に保護してもらうために
領地を寄進していったことにより
どんどん権門の荘園が拡大していくという状態になっていて
そして道長頼通は父子で長期間政権トップに座り続けたので
寄進された領地も膨大な数になっていたわけよ
つまりそれは道長頼通が意図的に作った状況ではなく
日本の摂関期の荘園制度の必然的な結果だったわけね