1986年2月1日の資料役員名簿を参照すると、この時点で金山政英は統一教会の幹部である梶栗玄太郎氏と共に
日韓トンネル研究会の副会長に名を連ねるまでに出世している

カトリック教徒であり元外交官であるはずの金山政英は、
1976年の全米教会会議や1985年の日本カトリック司教団の呼び掛けに応じる事なく
統一教会の文鮮明氏を称える言葉を述べ、深部にまで関与するようになっていった

さらに、1992年8月12日の産経新聞に「私たちは国際合同結婚式を応援します」とされる全面広告が掲載されたのであるが
この中に、「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」として「世話人・金山政英」の名も入っていた