スッタニパータというパーリ語の経典について
キチガイがスッタニパータはマガダ語で書かれていると言っているので
晒すスレを作りました .totetu.org/assets/media/paper/t110_125.pdf
三枝充悳氏の論文 「〈原始仏教〉について」P144脚注にも
「本文中に触れたマガダ語は、パーリ語とともにサンスクリット語の俗語であり」
とはっきり書かれていますな。 なるほど
スッタニパータやダンマパダはパーリ語で記述されているわけか
そしてマガダ語はパーリ語の上品さには程遠いほど下品な俗語ということかwww つまりマガダ語とパーリ語はともに俗語だが
経典はマガダ語よりも上品なパーリ語で書かれたということだなwww
大阪和歌山からdion,bbtecでレスしているキチガイ語尾wはそのあたりを全く理解できないようだがwww つまりマガダ語とパーリ語はともに俗語だが
経典はマガダ語よりも上品なパーリ語で書かれたということだなwww
大阪和歌山からdion,bbtecでレスしているキチガイ語尾wはそのあたりを全く理解できないようだがwww つまりマガダ語とパーリ語はともに俗語だが
経典はマガダ語よりも上品なパーリ語で書かれたということだなwww
大阪和歌山からdion,bbtecでレスしているキチガイ語尾wはそのあたりを全く理解できないようだがwww つまりマガダ語とパーリ語はともに俗語だが
経典はマガダ語よりも上品なパーリ語で書かれたということだなwww
大阪和歌山からdion,bbtecでレスしているキチガイ語尾wはそのあたりを全く理解できないようだがwww >>458
>サンスクリット語の俗語であり
サンスクリット語は人工言語なのでヴェーダ語の後継の間違いじゃないでしょうか サンスクリット語のiha(ここに)はインド・イラン祖語ではHidʰá、アヴェスタ語ではidāなので
パーリ語のidhaが最も古形を留めていますね >最古の仏教テクストとされるテーラワーダ(東南アジア系仏教)の仏典は、「パーリ語」で記されている。パーリ語は、アショーカ王の帝国で用いられていた言語に近いといわれるが、現在は使われておらず、仏典や仏教儀式の用語として伝わるのみだ。しかも、パーリ語はブッダ自身が話した言葉ではないことはほぼ確実である。>それゆえに、これはすでに翻訳ということができる。
まあこの辺は最近わかってきたことなんだよね
バラモン教徒が解釈する、カースト内に位置付ける仏教と他の語族が解釈する仏教でもう中身が変わってる ブッダが話した言葉とパーリ語では深刻な誤訳、改変が含まれていて、
何故か漢訳仏典はその誤訳、改変を訂正しブッダのスピリットを回復しているという信仰が日本では根強いよね ていうか上の本がそのまんまそういう調査結果の内容を解説してるじゃんね
インドの文脈で取り込まれて廃れ、他のアジア地域に親しまれた理由 ブッダが話した言葉の文献Xが失われてるのに、どうやってそういう「調査」とか「研究」ができるの??
ていうかそんな研究はじめて聞いたわ 調査っていうか…
釈尊の縁起説っていうのはヴェーダ、神の言葉である神言を唱え祈祷するとなんか因果を加持できる、っていうバラモン教の因果説を成り立たなくさせるものじゃん?
諸行無常、諸法無我なんだから
両方を共存させるなら縁起説の主張を適度に引っ込める必要がある
実際バラモン教の文脈で読まれてバラモン教ヒンズー教の一部ってことにされてるのが現インドでの立ち位置じゃん、その中で日本人の僧侶とか復興テーラワーダが頑張ってるっていう
ヒンズー教の一部として残ったそっちのほうが仏教として正しい、っていうんならそれでいいかもだけど 実際こういうのはそういう言い方するんならアレよ、バラモン教の学者とギリシャ哲学の素養のある者と老荘思想の学者とかが同じ原作を読んでどんな二次創作作ったか、どこで誰に受けたかみたいな話だと思うよ >>474
>釈尊の縁起説っていうのはヴェーダ、神の言葉である神言を唱え祈祷すると
>なんか因果を加持できる、っていうバラモン教の因果説を成り立たなくさせるものじゃん?
釈尊の縁起説がどういう理屈でバラモン教の因果説を成り立たなくさせるの? でもぶっちゃけ、リアル釈尊の説いた教えは
既存宗教の否定だよね
「木片を焼いて(そういう呪術的なことで)清浄になれると思うな」、
なんて、まんま否定してるじゃん https://togetter.com/li/2149544
↑このまとめ、今このスレでの論点とはズレがあるのだけど、
言っている方向性そのものは同じだと思う
釈尊は自国の「殺したり殺されたり」を見てきたからこそ
そういうのから脱して、皆が平和に暮らすには
どうすればよいかってスタンスにおける実践を説いたんだし >>479
SN
すまん、スレタイはSnだったね
まあいいでしょ原始仏典だし >>480
ああ、サンユッタニカーヤか
サンユッタニカーヤの何経? >釈尊の縁起説がどういう理屈でバラモン教の因果説を成り立たなくさせるの?
諸法に我、アートマンが働いているってのがバラモン教の見解だったじゃんよ
アートマンとは因果を保証するものだ
「おおよそ生起するものは、全て滅する」てのが最初にコンダンニャと釈尊の間で語られたこと
実際の運用では因果には縁というものが常に介在するので、因と果を保証するものは実際には常なるものでは無い。無常である
神言も運用される内容が実情に合致してなければ効果は無い、諸法とは無我にて行じられていくものなのだ、てのがお悟りの内容の一つじゃんよ?
これをインドで主張するのはヴェーダ、神言に力があるとするバラモン教の人たちに証拠見せろ、と喧嘩売ってるのとほぼ同じことなんだよ >>483
うろ覚えで引用しないでね
経典の捏造だよ >>484
>これをインドで主張するのはヴェーダ、神言に力があるとするバラモン教の人たちに証拠見せろ、と喧嘩売ってるのとほぼ同じことなんだよ
(・c_・`)ソッカー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E6%91%A9
仏教では当初、バラモン教のホーマ(護摩)の儀式を迷信的な呪術として否定していた。
釈尊は「もし火によって穢れがなくなるというなら、朝から晩まで火を燃やしている鍛冶屋がもっとも穢れがなく解脱(げだつ)しているはずなのに、
なぜバラモン教のカースト制度では鍛冶屋を最下級に位置づけるのか」と批判し、木片を燃やすという形式主義的な儀式よりも、
人間の心の内面を輝かせる「永遠の火」こそが重要である、と指摘した。
↑
これwwwwwwwww https://hokkekou.com/hasyaku2/mikkyou/
真言宗の代表的な修法の「護摩」は、祭壇の炉の火炎で供物を燃やし、天の神仏に供物を届けるという、バラモン教の儀式「ホーマ」を踏襲したものだ。
このまやかしの儀式を、
「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな」(ブッダ 悪魔との対話 一四七ページ)
と、釈尊はきっぱり否定されている。
拝火バラモンの司祭としてホーマ(護摩)を行っていたカッサバ三兄弟が、自らの行いを深く反省し、
千人の弟子と共に釈尊に帰依した話は有名だ。 https://plaza.rakuten.co.jp/karagura56/diary/202211080000/
「ホーマ」は漢字で「護摩」と書かれ、真言密教に取り入れられている。しかし、実は釈尊はこの「ホーマ」の儀式を否定していたということを忘れてはならない。
火の供犠は、日を燃やすことで過去世からの穢れをなくすことが信じられて、行われていた。
火を神聖なものと考え、火を崇拝することによって身が浄められ、苦から解脱することができるというわけだ。
これに対して釈尊は、「火によって穢れがなくなるというのなら、朝から晩まで火を燃やして仕事をしている鍛冶屋さんこそ一番穢れが少なくて、解脱しているはずである。
それなのに、カースト制度では最下級に位置付けされているのはどうしたわけであるか」と批判している。
大変に道理にかなった常識的な言葉だ。
さらに釈尊は、成立の古さにおいて『スッタニパータ』の若干部分と並ぶといわれる『サンユッタ・ニカーヤ』第一巻において次のように述べている。
バラモンよ、木片(を燃やすこと)が清らかさを定めると考えてはいけない。それは外側のことにすぎないのである。
人が完全なる清らかさを外的なことによって求めるとするならば、その人は実に清らかさを〔得ることは〕ないと善き行いの人たちは説くのだ。 (一六九頁)
バラモンよ、私は木片を燃やすことを捨てて、まさに内面的に火を燃やすのだ。
永遠の日を輝かせ、常に心を安らかに定めていた、尊敬されるべき人(阿羅漢)である私は、清らかな行いを行ずるのだ。(同) 結局は護摩なんて嘘仏教なんだよwww
ハイ論破www スッタニパータにもはっきりと書かれてるんだなあwww
↓ ↓ ↓
例えばある種の修行者・バラモンがたは、信者から与えられた施しの食物を食べて〔生活しながら〕 次のような卑しい術、邪悪な生活手段によって生活を営んでいます。
すなわち、四肢の特徴により、前兆により、自然現象の異変により、夢見により、身体の特徴により、鼠に噛まれた衣服によるなどの諸種の 運命判断、
また火を焚く護摩の術、〔用法の異なる種々の〕杓子を用いる護摩の術、
もみがら・ぬか・脱穀した穀物・凝乳・油を備える護摩の術、
種子などを口から火の中に吐き出して行なう護摩の術、
〔右膝からとった〕血をささげる護摩の術、
また〔指の関節などの〕 身体をみて呪文を唱えて行なう運命判断、
家を建てる土地の相の判断、 畑の相の判断、
山犬の鳴き声による占いの術、
悪霊祓いの呪術、
地の中の宝や金鉱をみつけるために占う術、
蛇に噛まれた傷をなおす呪文、
毒物に対する呪文、
蠍に噛まれたときの呪文、
鼠に噛まれたときの呪文、
鳥や烏の鳴き声による運命判断、
これから人の生きられる寿命の予知、
矢から身をまもる呪文、
動物の鳴き声による運命判断〔などを生活手段としている〕。
しかしこのような卑しい術を行なわないのが、また修行僧の戒めの一つです。 >しかしこのような卑しい術を行なわないのが、また修行僧の戒めの一つです。
>しかしこのような卑しい術を行なわないのが、また修行僧の戒めの一つです。
>しかしこのような卑しい術を行なわないのが、また修行僧の戒めの一つです。
↑これ!wwwww
つまり真言坊主は卑しいクソ坊主ってことよwww
ハイ論破wwwww ヘイト荒らしはやめなされ、あんたは真宗すら分からなくなっとるやんか 真宗???www
護摩の話と真宗と何の関係があるんやwww
このキチガイ毎度毎度意味不明すぎて草www >(・c_・`)ソッカー
まあでも、この時もすげー控えめな言い方なんよ
一切空!とか言い出すのは釈迦滅後のずっと後の方で、この時は無我ではなく五蘊は非我である、くらいの言い方をしている
バラモン教に凄く気を使ってる、と言ってる人もいたけど >>495
>一切空!とか言い出すのは釈迦滅後のずっと後の方で、この時は無我ではなく五蘊は非我である、くらいの言い方をしている
1124. Suññato lokaṃ avekkhassu mogharāja sadā sato,
Attānudiṭṭhiṃ ūhacca evaṃ maccutaro siyā;
Evaṃ lokaṃ avekkha'ntaṃ maccurājā na passatiti.
モーガラージャンよ、常に念ある者として「世界は空である」と観なさい。
我に関する見解を取り除いて、死を乗り越える者はこのようにありなさい。
このように世界を観る者を、死王は見ることがない。 >>496
ありがとう
そんで、スッタニパータに空が出てくるのは確かその一箇所だけなんだよね
ダンマパダにも空への言及は3箇所くらい
一切空、とか大乗ほど連呼してない、てのには同意して欲しかことなんだけど いつのまにか随分とマトモなスレになってたんだね
いや、褒めてるというか感心してます なるほどwww
つまり論破王の俺様がイケメンすぎるということかwww 世間に三種あり。いかなる三か?いわく五蘊世間、衆生世間、器世間なり 世界、サンスクリットのlokamは例えば三界のことだわね
単数形だけど複数のものを指す
欲界、色界、無色界、つまりは自分たちが数えられる人間の世界
そんで一切はsarva
一切世界ってフレーズあんでしょ
「自分たちの計測できる、知ってる世界」と、「一切世界」の意味に含まれる内容は違う
ニュアンスとして、一切ってのは自分たちの認識外の世界がある、ということを前提にした言葉になるんでないかね
世界は空である、一切は空である、言いたいことはほぼ同じだと思うけど、数えられない記せない無量、無記のものに対する視点の差は感じる
まあ翻訳する人の匙加減でもあるんだろうけど >認識外の世界がある
だからその認識外の世界があることを証明しろって話なんだよwww
生前に釈迦は証明できなかったら口にしなかっただろwww
身業説法や比喩はその証明の結果だwww
阿弥陀や浄土や大日の存在をどうやって釈迦が証明したってんだよwww
ちなみに大乗嘘仏教の釈迦は偽物なんでそこんとこヨロシクwww
ハイ論破www >>503
>サンスクリットのlokamは
lokaは男性名詞だからlokaḥ、パーリ語ならlokoだね
>世界は空である、一切は空である、言いたいことはほぼ同じだと思うけど
ここでは違うと思うよ
lokaは五蘊、生命(単数)を指す用法があるからここでは五蘊世間の意味で使ってると見るのが正しい
大乗みたいに一切空を言ってないというのは正しいと思うよん >生前に釈え迦は証明できなねかったら口にしなかっただろwww
>身業説法や比喩はその証明の結果だwww
いや、それって例えば苦集滅道、での一切皆苦が比喩だと思ってるってこと?人間の十二行相全てが無明、思い込みと勘違いから始まっていて、 shz先生のbb学説批判、完全にbb先生が間違ってるんだけど難点を挙げるとすれば
「chandas」を韻律とすると有部がウダーナを韻文にした理由が意味不明になるんだよね
「有部のchandas解釈」は「雅文」、「美文」くらいにしておくと部派の『法華経』批判とも平仄が合う
あと非難されてるのはジャータカ誦者だけであって、韻文の誦者、たとえばダンマパダ誦者(?)が軽んじられてるわけではないと思う
ここらへんは小部、雑蔵の伝承自体が謎に包まれててよく分からんけど ジャータカに釈迦滅後に流行った物語が普通に「これ釈迦の前世の話なんですー」つうて採用、つーかパクられたりしてんだよね