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KaNaシステムにキレそうだ
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0001非決定性名無しさん垢版2021/04/15(木) 10:07:41.29
KaNaシステムにキレそうだ
0952非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:00:58.17
■姜維の心を考える
第一次北伐の中での出来事だから、姜維の意思で運命を切り開いたということはないだろう。その場その場で一生懸命やった、というくらいか。
姜維の行動基準は、血の匂い。
徹底抗戦をしない馬遵のもとを去ったことに、後腐れはない。むしろ逆心を勘繰られたんだから、尽くす義理はない。諸葛亮は戦争をしようとしているから、好き。面白そうな所に流れ着けたな、くらいの気持ちだろう。
気になるのは、姜維が故郷で養った、死士たち。おそらく魏から蜀への投降にも従ったんじゃないか。姜維がまずは故郷に帰った目的は、死士たちとの合流かも知れない。家にデスノートが置いてきちゃったから、車の中じゃ殺せない、分かるだろ、みたいな笑
母と離れたが、まあ、しゃあない笑後世は姜維の孝についてあれこれ言うけど、本人の中では優先順位が低かったのではないか。そりゃ母への愛着はあるだろうけど、何しろ状況が状況なんだ。
『雑記』に言う。母からの手紙を、蜀で受け取った姜維。母は、家に帰れと言う。姜維の返信がすごい。「こっちで厚遇されてるから、実家の財産とか興味ない。ひたすら将来の希望を追うものは、故郷に帰る気持ちは持たないものである」と。
敵の計略(優秀な人材を蜀から引き抜く)の手紙と判断して、こんな風に返したのかも知れない。でも、思ってもいないことは書けないものだよ。姜維の本心が、ぼくには含まれてるように思える。※真似したらダメだね
0953非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:01:13.88
■馬謖の代わり
姜維を迎えた諸葛亮は、最大級の可愛がり方をした。
「仕事を忠実に勤め、思慮精密だ。李邵・馬良の才能も姜維には及ばない」
「涼州における最高の人物である」
「軍事にはなはだ敏達し、度胸があり、兵士の心を深く理解する」
すごい褒め方だね。
よく物語で言われるけど、馬謖を失った後の心理的な穴埋めもあったんじゃないかな。義兄弟とされる馬良の弟で、息子のように可愛がった馬謖を斬った。街亭での敗戦、第一次北伐を失敗させた罪で。
失恋した。絶望した。そこに、良さげな人が現れた。これは運命か。次の恋こそは、今までで最高のものにするぞ。そう思うと、新しい恋に気合がどんどん入っていく。そういう心境かな笑そして盲目になって見誤る。
「姜維は漢室に心を寄せている」
「軍事の教練が終わったら、宮中に参内させ、陛下にも会わせたい」
おおっと!姜維くんはそんなんじゃないぞ。諸葛亮先生、気をつけてね。
好きなのは、戦闘。きちんとマニュアル読んで下さいよ。
0954非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:01:38.93
■姜維の関心事
姜維が漢室に心を寄せている「ふり」をしていた可能性は高い。
漢室復興が、蜀が軍事行動を起こす根拠だからだ。これに同調したように見せることで、信頼を得て出世する。大きな軍を動かせる。
素の姜維は、漢室をどう思っていたか。おそらく何とも思っていない。漢なんて、好きでも嫌いでもない。
姜維の生まれ育った涼州は辺境だ。世が乱れて長い。異民族との関わりが深い。漢の実質的な支配を、姜維は見ていない。関わりの薄い王朝が、魏に代わられようが、姜維は関知しない。
蜀漢の正統性もドーデモイーだろう。劉備は幽州の出身。涼州とは正反対の辺境出身者じゃないか。劉備が国を作ったのは、これまた正反対の益州だ。そんなエリア的に散漫な志など、追いきれない。心底同調しろという方が無理だ。まるで姜維には関係がない。
また、魏に対しても、愛着はない。敵意もない。生まれた場所が魏だった。だから仕えていた。それだけだ。魏から蜀への「寝返り」も、彼の中では大きな意味を持たないだろう。
姜維は別の目で、魏と蜀の対立を見ていたはずだ。
0955非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:01:50.86
○益州は独立勢力を保つのに最適の地だ。
○益州を奪って根拠地とした劉備は、上手くやったもんだ。
彼の観察眼は、そこを捉えていたと思う。
弱小の勢力であっても、天険を活かして強大な魏と張り合える。ここに国を建てた劉備は成功者だ。野心家の先輩として見習うべき点が多い。
劉備は漢室復興という名分で幻惑?して功名を立て、皇帝を自称した。その即位を一定数の人が支持した。これは羨ましいぞ!
これが後に、鍾会とにわかコンビを組めた伏線になってると思う。
次回の冒頭で、諸葛亮が死にます。お楽しみに笑
0956非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:02:23.68
■トップ>三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(1)(2)へ
■三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(2)
■諸葛亮の死後
234年、諸葛亮が五丈原で死んだ。
『演義』の寵愛ぶりだと、諸葛亮は死ぬときに「じゃあ後継者は姜維で」と言いそうなものだけど、言ってない。劉禅の使者・李福だったかに答えて曰く「まず蒋琬、次は費禕で、その次は…(無言)」だったはず。この諸葛亮の後継者に関するコメントって「小説」だったっけ。正史でも読んだはずだけど、見つけられない。「蒋琬伝」に、諸葛亮が内密に劉禅に上表して「後継者は蒋琬で」と言ったというのは見つけたが。
なぜ姜維の名前が出ないか。一般に言われるには、こう。連続した北伐で国力は疲弊した。次は、守りを固める人物が指導者に適任である。そういう判断だそうで。正解だと思う。
でも北伐を重視した諸葛亮には、費禕の次は…姜維くんで!と言ってほしかった。本人は、言いたかったんじゃないか。でも姜維くんの教育ん上よくないから、名前は出さなかったのかな。彼が早い時期から付け上がるじゃん。
0957非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:02:51.36
■姜維が孤立した理由
渡邉義浩氏が、諸葛亮の後継者とその後の蜀について、解説をされている。添付された「蜀漢政権枢要官の人的構成」という図もいい。どの役職にいつ誰が就いていたか、一目瞭然だ。渡邉義浩「孔明政権とその人的基盤/荊州人士優遇策から益・荊州融合策へ」『真三國志三』学習研究社1998年に従って、姜維を取り巻く権力環境を見てみます。
はじめ諸葛亮にとって益州は、天下三分の足がかりに過ぎなかった。だから入蜀後は、荊州人士を優遇した。しかし関羽が荊州を失ってからは、益州と荊州人士の融和を試みた。
その証拠は、孔明の姜維評(※前のページで引用済)にも表れている、と渡邉氏は言う。姜維を「李邵」「馬良」と比較している。前者は益州出身、後者は荊州出身。姜維の名士間での立ち位置を示すときに、両州の有能な人物と並べたんだ。
※ともに故人。生きてる人の名を出したら、顔に泥を塗ることになるもんね。さすが諸葛亮さんです。
諸葛亮が後継者にした蒋琬も費禕も荊州出身。でも二人とも、益州人士の間で評価が高かった。※渡邉氏はここでは指摘していないが、費禕は劉璋の母の血縁者。益州人士の協力が得やすいわけよね!
0958非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:03:14.52
一方で姜維は、涼州から流れてきた軍人。まあ鄭玄の学問をやるらしいが、益州人士のとは繋がりがない。だから、益州を固める時期の指導者としては不適格なのです。孔明も安心して後継者に指名なんか出来ない。人脈が弱い姜維は、北伐で戦績を上げるくらいしか、蜀で支持を得られる見通しが立たない。
蒋琬と費禕の亡き後、全権を握ったかに見えた姜維は孤立する。益州は三分した。北伐しまくる姜維、姜維に協力しない荊州人士、益州保全を願って蜀漢から離反しようとしる益州人士。
渡邉氏は、蜀漢の滅亡をこう位置づける。蜀漢は皇帝権力とその体現者により崩壊した。皇帝権力とは、劉禅本人や劉禅が寵愛した宦官。体現者とは、孔明が作った荊州人士と益州人士の協力体制だ。彼らが(姜維の台頭により)離反してしまった。だから滅びたんだ、という理屈です。渡邉氏からの議論の借用は以上です。
姜維、責任取れよ!ってムードになりかねないね、こりゃ笑
0959非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:03:29.29
■蒋琬と費禕の時代
遺言どおり、まずは蒋琬が孔明を継いだ。
諸葛亮が死んで4年後の238年、姜維は蒋琬に従って漢中に駐屯。
この次に、特に年代も記さずに「西方に侵入した」とのみ「姜維伝」にある。しかし「郭淮伝」には、このときのことが詳しい。240年、郭淮は侵入した姜維を打ち負かし、彊中まで追撃したそうだ。※歴史書って面白いね。この戦いは、自国に都合のいいことを書き残したがる好例だわ!
政権担当者・蒋琬は諸葛亮の北伐コースではなく、荊州(孟達コース)から魏を攻めようとしたが、243年病気で引退。費禕がトップに。
姜維は、鎮西大将軍・涼州刺史に昇進した。
244年、曹爽と夏侯玄が漢中に攻めてくるが、費禕と王平を中心に撃退。247年、隴右の羌が反乱したが姜維が平定。あの俄何焼戈(ガカショーカ)が姜維に味方した。兀突骨と人気を二分する人物です。※名前の珍しさが笑
同じ年、郭淮・夏侯覇と戦った。姜維の作戦は、涼州を分断して羌を味方につけること。彼は涼州出身だ。魏を攻めるときに武器になる。同時に、これは他の蜀将に対するアドバンテイジでもある。荊州や益州出身の将軍に、同じ芸当は出来ない。
0960非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:03:50.39
249年も郭淮と決戦し、敗北。やはり「姜維伝」には1行しか記述がないが、「郭淮伝」は違う。廖化と姜維を翻弄して破る郭淮の様子が、ちくま文庫1ページに渡って記されている。姜維がボッロボロだ。
250年にも姜維は西平に出撃して、敗れた。
費禕は姜維にブレーキをかけた。姜維が大軍を動かしたがるたびに、わずか一万の兵を与えるだけだったという。
ここで有名なセリフがお目見えする。「丞相(諸葛亮)ですら北伐をミスった。私たちじゃ無理なんだ。能力ある者の出現を待とリョーシカ。僥倖で勝とうとするな」こう費禕は言った。
姜維の心中やいかに。下手をすると殺意まで覚えたんじゃないか。諸葛亮に劣らない有能者こそ、自分だとおそらく自負してたんだから。
0961非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:04:04.80
■郭淮のカベ
どうやら郭淮は、姜維にとって因縁の人物だ。姜維が馬遵に捨てられたとき、その査察団を率いていた長が彼だった。その郭淮が、姜維の軍事行動をことごとく阻んだ。
こうなったら、姜維と郭淮に一騎打ちでもしてほしい。一騎打ちはさすがに笑止の沙汰としても笑、書簡の交換なりで郭淮と昔話をしてほしいなあ!
その伏線として、姜維が故郷で小役人をしてたときに、郭淮との絡みが必要だね。郭淮の有能に、姜維が劣等感を持っててもいい。
場面はこうなるかな。馬を引きながら、夏侯淵の思い出話をする郭淮。
※郭淮は夏侯淵に従って、漢中に残った経歴がある。
夏侯淵と郭淮に尊敬の眼差しを向ける、20代の姜維。郭淮から夏侯淵の遺品の弓をもらっちゃったりする。郭淮は夏侯淵の死後に、弓を収容したんだ。それを血気溢れる姜維を見込んで、渡していた。姜維はこの弓で郭淮に挑む。しかし到底、叶わない。夏侯淵が言い残した教訓みたいのを絡ませたら(諸葛亮の死後は詰まらなくなると言われている)物語が前時代とリンクするよね。
0962非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:04:22.34
郭淮の軍事行動は249年で終わっている。以後は記録がない。それまでの功績を讃えられて、ご栄転という感じだ。その去り際にも、毛を逆立てて威嚇してる姜維に、一声かけてほしい。「オレの見込み違いだった。お前はその弓を引くのに、全く値しない将だな」みたいな。ますます闘争心を掻き立てられる姜維!と。完全な妄想ですが。
諸葛亮の弟子と言っても、姜維の成分の半分しか言い表した気がしない。郭淮の弟子でもあったんだ笑
郭淮のルックスは『蒼天航路』でしか見たことない。厚めの上唇と巻き毛。あの顔に年季を加えたら、けっこう味が出そうじゃないか。
0963非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:04:49.57
■夏侯覇の劣等感
夏侯覇は夏侯淵の息子だ。夏侯覇って、専用の伝がないんだね。『演義』や柴田錬三郎で、姜維の無二の親友として活躍してるから、この扱いに驚き。夏侯淵伝の続きが途切れてるのかと思った笑
坂口和澄『正史三國志群雄銘銘伝』光人社2005年の記述を見ると、『魏氏春秋』、「夏侯玄伝」注『魏略』、「鍾会伝」注『世語』、「張嶷伝」注『益州耆旧伝』を繋ぎ合わせるしかなさそうだ。
彼は249年の司馬懿のクーデターで、蜀に亡命した。
姜維との絡みが確認できるのは、255年に狄道に出て、魏の雍州刺史・王経をさんざんに打ち破ったという1回のみ。
0964非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:05:09.69
でもさ、魏からの亡命という経験は似てるから、きっと姜維は、夏侯覇と気持ちを共有できると期待したよね。『演義』も根拠がないわけじゃない。
姜維の心の師匠は夏侯淵だ(とさっき決まったところだ笑)。姜維は、夏侯覇に父のことをたくさん聞いただろう。夏侯淵の息子として、いきなり敬ったかも。
夏侯淵の息子という出生が、夏侯覇の中でどういう位置づけだったのか興味深い。
あくまで仮説だけど、郭淮や夏侯玄と対立してるっぽいから、血筋に恥じてそう。夏侯淵の話をしたがる姜維。それに快く応じる夏侯覇。でも本心では、父の話をしたくない。姜維は後腐れない投降だったけど、夏侯覇は苦渋の投降だし。
投降の過程でも、かなり道程は厳しかった。予約なしの亡命だからね。秦嶺山脈。自分の馬を解体して食べながら、険阻な山中で星を見上げ、何を考えたんだろう。覇なんて輝かしい名前を付けられちゃってさ、オレは何者なんだ、と。屈折してそう!最高!
姜維は夏侯覇に、郭淮からもらった弓を渡すんだ。※妄想
「これはキミが持っているに相応しい。お父上の弓だ。返すよ。共に功名を立てよう」姜維は夏侯覇の肩を抱いて、親しげに弓を握らせる。しかし夏侯覇はカゲに隠れて、この夏侯淵の弓を叩き折ってしまう。夏侯淵が若き曹操と一緒に野を駆けた日の弓が、真っ暗で底の見えない漢水に投げ捨てられる。誰にも知られることなく。無情だ。いいねえ!
弓を手放した姜維は、郭淮へのコンプレックスを乗り越えて自立する。次はケ艾戦をやってもらわなきゃ、だからね。
※夏侯覇は史料が少ないと知ったので、早めにキャラ伝を作っちゃいたい。
次回からは姜維の独壇場。
いきなり、彼がトップに登りつめるため?の暗殺劇が起きます。
0965非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:05:37.10
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■三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(3)
■費禕の死
253年正月、費禕が殺された。下手人は魏の「降伏者」郭循。
いつも疑問に思う。250年以降、正史に残る戦はないはず。蜀が勝った戦は、244年まで遡らないと無い。郭循が降伏したのなら、そのときか。もう蜀に10年弱は留まっている計算になる。何をしてた人なんだ。かつ、一介の降伏者が、重臣の正月の宴に紛れ込めるものなのか。
費禕の死は、姜維のしわざじゃないか笑※ぼくの勝手な推測
0966非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:05:54.61
費禕は前年に幕府を開いて、権勢の絶頂。わきまえた費禕のことだから、無茶な政治はしなかった。だが、そりゃ有頂天にもなる。大宴会で、気持ちよく泥酔してた。費禕は姜維を快く思ってないから、席上で軍事行動をたしなめたのかも知れない。
蜀の廟堂で降伏者と言えば、筆頭は姜維。次点に夏侯覇。
彼らはどうしても益州・荊州出身者とは馴染めないから、きっと群れていた。従者も同類で固めていた可能性がある。郭循は姜維の従者として(あくまで推測)すぐ隣に侍っていた。姜維の密命を受けて、グサリと。でも姜維には類が及ばぬように片付けられた。
姜維が培養している「死士」が、いかにも喜んでやりそうなことじゃないか。死に場所が得られてハッピー!みたいなノリの連中だから。
「姜維伝」は言う。
253年春、費禕がなくなった。夏、姜維は数万の軍勢を率いて(以下略)っておい!費禕は一万しか与えなかったのに、彼が死んだ3ヵ月後には、もう最大積載量オーバーしてるよ。こりゃ、黒幕は姜維で決まりでしょう。
※この出兵も失敗。言わんことはない。
0967非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:07:02.11
■輝かしき?戦績
254年、隴西に出陣、徐質を斬り、三県の住民を拉致する戦果。
255年、先に書いた夏侯覇との出兵。王経を破るが、陳泰にビビり退却。
266年、胡済が待ち合わせに来ず、ケ艾に大敗。戦死多数。
257年、諸葛誕に呼応して出兵。司馬望とケ艾と対峙。
258年、諸葛誕の敗退を受けて、撤退。ダメじゃん。
この辺りから、郭淮に代わってケ艾の名前が出てくる。
姜維のライバルとして描かれることが多いから、要チェックですね。
しかし、毎年戦争をしないとダメなのか。お前はサメか!諸葛亮の北伐は5回(カウント方法によっては6回)です。それぞれにドラマがあり、それなりに惜しいから物語になる。国家を上げての感動ドキュメントになる。ここまで頻繁に北伐されると、価値が下がるよ!
0968非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:07:14.84
■姜維の建議
要旨は、防衛線を後退させましょうだ。
漢中から中原には、放射状に経路が広がっている。それぞれの経路に兵を分散して守るのではなく、経路が集中した場所で一気に守ったらどうか。
そうしたら兵力を増やすことも出来るから、持久戦で勝ちやすくなる。敵を集めるから、遊撃隊を出動させやすくなる。補給に苦戦して敵が撤退を考えれば、諸城から出て叩けばいい。どや!と。
0969非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:07:43.77
一見素晴らしいが、怖いことだ。建国以来の大変革を、姜維は言っている。これは、劉備が作った漢中防衛方針を覆す提案だ。「姜維伝」にある。劉備は漢中に魏延を駐屯させ、外敵を防ぐために充分な兵力を置いた。王平が曹爽に対抗できたのも、そのおかげだ、と。それをご破算にする、姜維の改革案は通った。姜維の提案どおりに兵が配備された。
なぜこの時期に、防衛線後退になるのか。
姜維が蜀の兵力を消費しちゃったからだろ!お前のせいだろ!と言いたい。「姜維伝」をもう一度注意深く見てもらうと、「充分な兵力を置いた」とある。それが出来ていた。曹爽撃退の成功から15年、蜀の軍事に変化があったとすれば、その要因は姜維の連敗記録だけだ。
0970非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:07:55.66
本音はこうなる。「オレが蜀の兵力を大幅に減らしてしまったから、現状の人数じゃ防衛線が保てないんすわ。ごめんやけど、国を小さくまとめて守るしか手がないんよ」と。
結果から歴史を断じるのは禁じ手だが、これは亡国の策となる。
防衛ポイントを限定したせいで、ケ艾の回り道を許してしまう。主戦力が鍾会と戦っている間に、脇をすり抜けて成都が降伏してしまう。じゃあ、この建策は間違っていたか。いな。これは仕方ない決断だった。問題は、その前段階だ。兵力を減らしてしまったことだ。
0971非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:08:21.63
■蜀からの独立
262年、姜維は侯和でケ艾に敗れた。沓中に駐屯。
成都では黄皓が劉禅に侍り、大将軍・閻宇と結託した。黄皓は姜維を廃して、閻宇に軍権を委ねようとした。姜維ピーンチ。まあ、自業自得な気もするけど。宦官・黄皓の人格は見下げたものかも知れないが、兵力をいたずらに消耗させる姜維は、国賊に等しいもんね。
『華陽国志』にいう。姜維は劉禅に上言して、黄皓を殺させようとした。
劉禅は断った。「黄皓は使い走りに過ぎない。君が気にかけるほどの男ではない」と。そうそう、男ではないよ、宦官だよ笑
0972非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:08:39.01
劉禅は黄皓に騙されて、忠烈の義士・姜維の注進を跳ね除けたという印象がある。でも実は、劉禅自身が姜維を廃そうとしてたんじゃないか。黄皓が姜維失脚を画策しているように見えるだろうが、彼は使い走りをしてるだけだ。情報元は朕なんだよ。黄皓を気にかけても仕方ないよ。違う宦官・文官を立てても、方針は変わらないよ。そういう謎かけじゃないか。
姜維は失言するのを怖れ、退出した。沓中で麦を植えて屯田したいと申し出て、成都には戻らなかった。
これは「沓中で、独立ミニ国家を経営させて下さい」と言っているに等しいんじゃないか。地盤を独自に持って、成都に仕えないのなら、もう一蜀将じゃない。モデルとしては、魏王となった漢の曹操、晋王となった魏の司馬昭に近かろう。本体の蜀が衰退してるから、ショボいけど。
たびたび魏の投降者であることが、引き合いに出される姜維。居心地がいいはずがない。ついにその因縁を断ち切るときがきた。お気に入りの死士だけが集まる理想郷を、姜維は作った。立地は、蜀と魏が激突する山の中。彼にとっては最高の立地だろう。姜維はついに、死王になった。とか笑
0973非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:08:52.91
■孔明の弟子なんかじゃない
姜維が功名より孔明を志すのなら、ここで成都に居座って廟堂の一新に努めただろう。『演義』の雰囲気なら、それが出来そうなものだ。黄皓ぐらい、一太刀で斬れそうなものだ。しかし3つの理由で無理だ。
姜維に成都で政治をする気がない。出身地が遠くて、人士の支持が得られない(これは先天的条件だからどうしようもない)。蜀の兵力を無駄に損なってきたという負の実績がある。
『演義』ファンが望む姜維の一閃が炸裂しないのは、この3要因が彼の刀を封じていたからだ。生半可な客席の声援では、姜維は黄皓を切れない笑
子供が泣いてもダメなのだ。
0974非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:09:06.26
そういうわけで、姜維を孔明の後継者と見るのは、孔明に対して失礼で、無理のある話だ。孔明は成都でしっかり劉禅を握っていた。その裏づけとなる政治手腕があった。軍事は苦手だけど、やばかったら撤退した。姜維が孔明の何を継いだのか、よーわからん笑
孔明が姜維を褒めながら「調練が終わったら、成都で陛下にお目見えさせます」なんて言ってた日が懐かしいよ。姜維は沓中で独立しましたから。
諸葛亮とは、戦う動機が違うの。ごめんね。
次回、蜀が滅亡します。
そのとき姜維が、驚異で脅威の逆転をかます!
※ついにこの駄洒落を使ってしまった。ベタ過ぎるのに。
0975非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:09:23.43
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■三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(4)
■鍾会からのラブレター
263年、姜維は上表した。鍾会が、関中で蜀を攻める準備をしてますよ、と。黄皓は鬼神や巫の言葉を信じて「魏の侵攻はあり得ない」と結論した。ゆえに、群臣は魏の侵攻を知らなかった。そう「姜維伝」は言う。
0976非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:09:45.80
これが、蜀の滅亡の直接の原因になる。何が問題か。黄皓が姜維の上表を握りつぶしたことではない。姜維はもう、家出した少年なんだ。彼が何を言ってこようが、劉禅に伝える義務はない。魏の息がかかった虚報という可能性もある。
責められるとしたら、成都の情報に対する疎さだ。姜維からではなく、独自に鍾会侵攻を知るだけのルートを確保していなければならなかった。黄皓が何をどうしようが、そんなものに影響を受けない諜報機関が必要だった。
※成都の重臣は降伏を願っていた人も多いから、知ってても敢えて無策だった可能性はある。
0977非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:10:06.04
鍾会とケ艾が侵入を開始して初めて、防衛を固め始めた。ゴッテ後手!廖化が姜維の援軍として、加わった。姜維はケ艾に破れ、陰平に退いた。張翼・董厥らと合流し、さらに退いて剣閣に籠もった。攻め手は鍾会。鍾会から姜維に手紙が届いた。
「姜維さん、ものは相談です。あなたは文武に優れ、蜀での功績はすごい。名声は魏にも届いてる。人々はあなたを心を寄せているよ。所属勢力を異にしても、友情というものは成り立つんじゃないか」
男女の間に友情は成り立つのか、という議論ではないが、似た危険さを感じる。こういう議論が出てくるということは、2人は一線を越えようとしている笑少なくとも鍾会は誘っている。
鍾会は、春秋時代に国境を越えて友情を育んだ故事を持ち出した。誰々のとこもやってるんだよ、私たちもいいでしょう、という論法です。
姜維は返書を出さず、守りを堅くした。それってOKってことか。恋愛に置き換えたら、どっちになるんだ笑
0978非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:10:25.32
■石割りの願掛け
ケ艾は西の脇をすり抜けて、諸葛瞻を撃破。諸葛瞻は諸葛亮の息子です。姜維は彼の危機にも、違うところで戦っていた。師弟愛を疑いたくなるが、これは戦術的には不可抗力。戦略的には、疑問が残るけどね笑劉禅はケ艾に降伏してしまった。
「姜維伝」にある。将兵は怒りの余り、剣を抜いて石を叩き割った。名場面です。劉備が孫権と遊んでいて、石を叩き割ったエピソードともリンクしてるんかな。※これは『演義』だったか。
劉備がやった「オレが天下を取れるなら、石よ割れろ」という願掛け。成都陥落の情報を受け取って、姜維が石を割ったなら、何を考えていたんだろう。「ああご主君!」じゃなかろう。「劉備と同じ願掛けをしてやろうじゃねえか!これが割れたらオレの天下だ」じゃないか。
0979非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:10:37.69
姜維は劉備を功名の先輩として見てたと思う。石が割れたから、少なくとも蜀での独立は保障された!みたいな。穿った見方をし過ぎかなあ。
劉禅の勅令を受けて、姜維は武装解除。鍾会のもとに出頭した。
『晋紀』にいう。鍾会が姜維に言った。「どうして来るのが遅かったのだ」。姜維はきりっとした表情で涙を流し「今日ここでお会いしたのは、早すぎると思っています」と返答した。鍾会は彼を非常に立派だと思った。
※もっとじらすつもりだったんだけど、という意味か笑
ここで、大義名分がまるで重ならない二人の「功名心」が共鳴していく。鍾会の任務は、司馬昭に功績を立てさせるための蜀討伐軍の指揮官。姜維は蜀を守るための将軍。だが、狙いは同じ。
劉備になること。すなわち益州の地の利に拠って独立をすること。
0980非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:10:55.10
■鍾会と姜維の共闘?
「姜維伝」曰く、鍾会は姜維を手厚く持て成した。印璽・旗・車蓋をみな返却。外出するときは同じ車、座るときは同じ敷物。これって、曹操と劉備に自分達を投影してないか?オママゴトだ。
0981非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:11:08.56
鍾会「姜維くんは、劉備の役ね。徐州を呂布に追われて降伏したとこ」
姜維「えー!カッコ悪いよ。やだ」
鍾会「だってリアルに、キミは降伏者だろ。逆らうなら印璽を返せよ」
姜維「分かったよ、やるよ…」鍾会くん、ジョークが通じない(>o<)
鍾会「天下広しと言えども、英雄は二人だけ。誰だか分かるか、劉備」
姜維「そ、曹操殿。ぼく、わかんない。袁紹(司馬昭)殿か」
鍾会「あんなのは、クズだ」
姜維「じゃあ呉の孫策(孫休)か」
鍾会「あれもゴミ」
姜維「えー!もう思いつかないよ」
鍾会「キミとボクだ。はーっはっはっはっは」雷鳴カットイン!
姜維「ひええ」※この寸劇はぼくの妄想
0982非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:11:21.06
鍾会は長史の杜預に言った。「姜維は、諸葛誕や夏侯玄よりすごい」と。
姜維に匹敵する者は魏にもいないよ、すごいんだよ、と単純に読んではいけない。姜維は司馬昭を倒す戦力になる、という意味だ。諸葛誕も夏侯玄も、司馬氏に反抗した人物だ。どちらもミスに終わったが。
魏と言っても、実質は司馬氏の独壇場。鍾会はそれに甘んじる気はなかった。詳しく検討しないと分からないが、鍾会も野心家だ。
諸葛誕・夏侯玄に勝る姜維を手に入れた(と自己暗示をかけた)鍾会は、ついに司馬昭に反旗を翻す。ケ艾に罪を与えて送り返した。鍾会は益州牧を自称し、姜維に兵士五万を与えて先鋒を任せた。姜維に北伐させるのは、ちょっと…とツッコミたくなる。しかしその間もなかった。鍾会が連れてきた魏兵が従わず、二人は殺された。「姜維伝」はこれで終わり。あっけない!
0983非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:11:35.45
■姜維の最期の評価
この反乱には諸説ある。姜維の役回りや動機について、定説を見ない。
『漢晋春秋』にいう。姜維は鍾会の本心を見抜いた。騒乱状態を作り出して、蜀復興の道を開こうと思った。そこで鍾会を炊き付けた。親密になった二人は決起した!というシナリオ。
『華陽国志』にいう。姜維は鍾会をそそのかし、同士討ちさせようとした。魏将を一掃した後に、蜀を復興させようとした。劉禅に密書を送ったとある。「光を失った日月を再び明るくしてみせます」と。美しい例えだ。
0984非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:11:59.04
『晋陽秋』は姜維を愚かだと言う。成都陥落を許し、魏に帰順し、鍾会の反乱に加担し、鍾会の厚情を裏切ることを考えた。行動に一貫性がない。滅亡した国の微弱な国力で、運任せの成功を目指した。ダメじゃん、と。
これは姜維が「殺っちゃった」費禕の批判と同じだよね。費禕の死後も、姜維は同じ過ちを繰り返したことになる。
ぼくは『晋陽秋』に反対である。
姜維の行動原理は、その場限りの功名のために命を投げ出す「死士」の性分だと言ってきた。だから、場当たり的な行動は、非難することじゃないと思う。彼にとってどの作戦も「死に場所」のつもりだから、後先はないのです。長期的な戦略を期待することが、お門違いなんじゃないか。
0985非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:12:17.10
28歳で諸葛亮に見出されて、死んだとき63歳。意外と長く奔り続けた人でした。言いようによっては、なかなか死ねなかった。
この反乱の実態は、鍾会の人生を追ってから決めようと思う。二人が人生を持ち寄って、この反乱になったんだから。ただ姜維としては、功績を立てるチャンスだと思って動いただけだろう。
もし成功したら、劉禅を迎えることはせず、鍾会をぶっ殺して、自分で割拠するつもりだったんだと思う。劉禅のため、蜀漢のため、と連呼してるのは、計画遂行のための方便でしょう。
劉備は、死んでもいない献帝を「殺し」て、自らが皇帝になった。漢室復興を志しているなら、矛盾した行動である。しかし(姜維目線では)劉備はあの時点で充分な功名を立てていたので、支持を勝ち取った。姜維が蜀獲りに成功したなら、きっと同じことをしただろう。生きている劉禅を「殺し」てでも、益州牧や皇帝を宣言したはずだ。
0986非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:12:26.53
■エピローグ
『世語』にいう。姜維は死んだときに腹を裂かれたが、その肝は一升ますほどの大きさがあった。
キャラ伝を書く前に、一度は「姜維伝」を通読するわけです。この記述を読んでから、もう頭の中はこのことでいっぱい。赤黒いタプンタプンした肝臓が離れないのよ。
『真・三國無双』のイケ面のお兄ちゃんのイメージがあったのに、一瞬で破綻ですよ。
特大のレバサシがさ、タプンタプンとぼくを待っているような気がして、気持ち悪くなってきた。歯ごたえを想像したりね。
姜維は、常人離れした度胸がある人物だった。それを誇張するための逸話なのは分かるよ。分かるけどさ?ねえ!ねえ?…おええ。
■トップ>三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(4)
0987非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:13:35.57
三国文化のバトンを持たずに疾走した有能なランナー宮城谷氏について
0988非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:13:50.87
宮城谷『三国志読本』読んだ。長い年月かけて長い話を書いても、著者自身が振り返って独自性を発揮した!と思えるのは、わずか数点なんだなと思った。脱『演義』の初の歴史小説、楊震を起点にせねば三国志は描けない、劉備は「玄徳」な老荘思想の持ち主と。他は史料をノートにまとめて引き写す苦行。
0989非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:14:19.23
陳舜臣『秘本三国志』は章末で手の内を暴露。北方謙三『三国志読本』、宮城谷『三国志読本』は、書名が同じで、手の内の暴露本としても同じ。いずれも長い小説を書いても、独自性を発揮したのは、主要人物1人か2人分で、あとは代わり映えのない荒れた景色を、根気強く歩いただけな感じ。
0990非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:14:44.58
「湘水を征圧することで、関羽を追いつめた」という意味で、呂蒙のうまさは、氏の仮説のとおりだと思います。関羽が米を盗んだのでなく、湘水を征圧されて困窮した、というのは異論が思いつきません。
魯粛の眼目は、「いかに劉備(や関羽)を曹操にぶつけ、孫権の役に立てるか」にあると思います。ここは、史料でもブレてないはずです。評価されるとしたら、劉備に対して悪意のないはずだった領土の分け方を、後年、関羽を討つために活用した、呂蒙の応用力だと思います。
0991非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:15:13.81
ぼくはいう。『三国志集解』魯粛伝で、王氏の論をひき(王氏の名は漢字変換が面倒なので割愛)、「もし魯粛が死ななければ、関羽が中原を征圧して、曹丕は帝号を称さなかっただろう」というイフが書かれている。
0992非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:15:33.36
魏が漢から禅譲されたあとは、魏と対抗するため劉備を利用する。劉備が負けそうになれば少し手を貸す程度で滅亡を避けてやる。 表面上では漢王朝復興を支持しつつも、呉国内では臣下・民衆の信頼を得る政治をし、内政に務める。攻められない限り、呉からは戦争を発動しない。
国家が安定しているので、魏蜀から戦乱を避ける民や臣下がなだれ込む。魏と蜀が戦っている間に呉が一番豊かな国となる。魏は国内の政権争い・代替わりで弱体。蜀と共に魏を滅ぼす (ここは考え中) 劉禅の禅譲で呉が漢を継ぐ正統王朝となる。
魯粛殿なら呉を正統王朝に持っていけるかな
0993非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:15:54.83
ぼくはいう。魯粛の主眼は、劉備と曹操(やがて曹丕)を、両国が潰れ合うほどに戦わせること。戦乱で溢れた人材や人口を、孫権に吸収させ呉のみを富ませる。劉備と曹丕の最終戦には、呉の国富を背景に、魏蜀の両国に同じ量の兵器を売り捌く、悪徳の武器商人みたいな動きをするとか。
益州を得た劉備軍にクサビを打つため、諸葛瑾を成都に送り込む。昔、「龐統は呉臣で、劉備の目付け役だった」と書いたことがあるけど、その後任が諸葛瑾。表面上は同盟関係だが、国の目指すところが違い、また君臣のこと、兄弟のことで悩み、諸葛瑾はストレスで禿げる。
0994非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:16:49.93
二袁と劉表、三面の敵
0995非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:17:08.26
196年、呂布は、劉備をおそい、下邳をとった。劉備が、曹操に逃げてきた。
0996非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:17:40.79
曹丕も、一緒にいた。『典論』にある。盧弼はいう。曹操は、赤壁のとき同じ失敗をした。反省はウソである。
ぼくは思う。いつも曹操は、やり過ぎる。無謀にも徐栄にいどんだ。袁術を揚州まで追い回した。徐州で陶謙をいびった。いま張繍をなじった。袁紹の子たちを追い、烏桓まで北伐した。赤壁で、荊州にとまらず、揚州まで行った。馬超のせいで死にかけた。曹操が学び、初めて踏みとどまったのが、「隴をえて蜀をのぞむ」ときだ。結果、三国が鼎立しちまったじゃねーか。劉備がおらず、孫権だけなら、曹魏は天下を統一した。とどまるべきとき進み、進むべき最後の一手で、慎重になった。曹操が失敗してくれたから、三国志が面白いのだが。
0997非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:17:57.95
張済は、関中から南陽ににげた。張済が死に、張繍がつぐ。建安二年(197)春正月、曹操は宛県にきた。いちど張繍はくだったが、反した。曹操は矢をうけ、曹昂と曹安民が死んだ。
0998非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:18:51.11
袁術は、淮南で皇帝を称したい。呂布につげた。呂布は、袁術の使者をとらえ、曹操にチクった。
0999非決定性名無しさん垢版2023/06/10(土) 16:19:07.20
袁術は怒ったが、呂布に敗れた。
197年秋9月、袁術は陳国をせめる。曹操は東へゆく。袁術は、みずから曹操が来たと聞き、にげた。橋蕤、李豐、梁綱、樂就をのこした。曹操はすべて斬る。袁術は淮水をわたって逃げた。曹操は、許都にもどる。
10001000垢版2023/06/10(土) 16:20:02.75
これで株式会社KaNaシステムとは完全に縁切りです。
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