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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>330
あの頃は情報に飢えてたから広告ページも余さず見てたなぁ
雑誌の発売日が近づくとテンション上がってたし
今はそんなこともなくなった 国際流通センター行われていたマイクロコンピューターショーも
毎年欠かさず行って両手いっぱいのカタログを持って帰っていたわ 葉書でカタログ送付を依頼すると送ってくれるのでいろいろ持ってたな >>330
俺はマイコンBASICマガジンとPioとBeepを毎月買って
I/OとマイコンとASCIIははPC8001関連の記事が載ってる時だけ買ってた >>333
1981年頃は25日発売だった
どこかで一斉に18日になったはず I/Oは1983年1月号が12/25発売、1983年2月号が1/18発売だったようだ。 1981年てまだMZ-80K2EとPC-8001とApple IIくらいしか無い頃だな >>340
秋にはPC-6001とPC-8801が発表された。
その記事で初めてマイコン(パソコン)という面白そうなものがあると知ったなぁ。 FM-8が1981年5月の発売
640x200 8色マシンとしては88初代機よりも半年以上も先に先陣を切った
(日立のL3が640x200だったが色は8ドット単位の指定)
富士通としては他メーカーを出し抜く高機能で相当いい気分だったろうな まだその時は、キーを離したことが検出できないと困るとは夢にも思っていなかった >>343
FM-8が1981年5月の発売ってのは確かに富士通がそう発表したからその通りなんだけど
このころの富士通の「発売」は今で言う受注開始に近い
ソフト開発のために販売店に限定的に出荷したのが7月
(発売直後に予約したマニアの中にはこの時点で入手した人もいる模様)
一般向けに量産出荷を始めたのは9月以降
そしてその9月には88が発表されている
まあこっちも実際に出荷できたのは12月でそれもかなり少数だったようだが
あと640x200ドット8色だとif800モデル20が1980年秋には発売されている >>343
灰皿みたいなのがついていた。
パンフレットの謳い文句がアドレス空間128Kバイトとなっていて、未来を感じた FM-8はバブルメモリだったけ
凄い技術だと思ったわ
たしか販売が遅れて性能も悪く
流れはFDになったような >>645
1980年か
if800ってやっぱ凄いな
でも88やFM-8を語るには同列ではない、違う世界のマシンって印象だなぁ バブルメモリって何を記憶させてたの?
本体設定とかそういう今なら内蔵フラッシュでやるようなことなら判るけど、
FDDみたいな用途だったら流行らないだろうと思う 320kbの2ドライブで30万円したからなぁ
22万円の互換機を買ったがたまにエラーがあったわ
会社で使っていた30万円の純正は全く無かったから
しばらく互換機は手を出さなかったわ >>348
あれ日本のマイクロソフトBASICの基礎になったらしいね。
最初、BASICだけで64KB越える計算になっちゃって、あれでも機能を大分削ったらしい。
あれのインプリメントの経験が他の機種に生かされてBASIC-AやGW-BASICに繋がっていったそうな。
>>349
バブルメモリはFDに比べて可動部分がないし、小さなホコリがどうこうってことがないから防塵対策ができてて、産業機械の制御とか数値の記憶に使われてたらしい。
それで一定数の需要はあったから、生産が中止されて当時は困る所もあったって聞いた。 尼でプレミア価格になってるから
とりま完売はしたんじゃない? >>352
バブルメモリ
FANUCの制御装置で使用できた
で、FANUCはユーザが使用している限り
保守すると昔に展示会で聞いたから
今でも在庫持っているかも バブルメモリを普通の不揮発性メモリみたいので置き換えるユニットが出てた記憶があるから、それを使ってるのかもしれないね。 東京エレクトロンの半導体製造装置に使われてた
プロセス条件を記録しておく 東京エレクトロンはインテルが国内で大きなシェアを取る際に貢献した会社。
一時期インテルはバブルメモリのトップメーカーだったから、その関係…
…かどうかはわからないやw 露光装置の制御ユニットの記憶は8インチフロッピーだった(2D)
エッチング装置の制御はベーシックマスターだった uPD3301ってキャラジェネROMだけで1行8ライン自動的に表示を続けられるバッファと
次の行データを受け取るバッファを持っている意外と優秀なチップだったんだな
Z80-4MHzが1.8MHzに落ちるアホチップとバカにしてスマンかった
主犯は8257とM1ウエイトだったか 当時はDMAはそれほどメジャーじゃなかったからねえ。
日立が作った6845と双璧になってもよかったけど、そこら辺で回路の規模が大きくなったり、DMAのプログラミングがまだまだ馴染みがなかったのがネックだったのかもだね。
インテルでも似た感じのCRTCを作ってたけど、そっちもメジャーにはならなかった。 水平ブランク中だけCPUが動くFM系と同じ構造かと思ってた 8001ってテープ端子から常にピーと音が鳴ってるのを知らなかった。
てっきり壊れてるのかと思って回路図見ながら調べてしまったwww 初期型って160MBまでRAM拡張できたのかよ
今更知ったわ
まあBASICは使えないんだろうけど 1981のトラ技によるとuPD416が1個500円だから、
160 途中で書き込んでしまった。
1981のトラ技によるとuPD416が1個500円だから、
160MBだと4000万円だな。 ちなみにオレの記憶だと1990年頃にPC98用のメモリボードが
1MB1万円ぐらいだった気がする。 初代8801やったか98やったかの固定ディスク(30万円ぐらい?)の容量が
5MBとか、10MBぐらいやったな NEC製の4116はとても優秀だったのに(不良品にあたったことがない)
「選別品」と称して割高販売するショップも多かった
TIとかモステックのDRAMならそういう売り方も分かるけれど
大枚はたいて8個買って不良が混じっていると本当にガッカリだから
そんな心理をくすぐる上手な作戦だったとも言えるか https://www.youtube.com/watch?v=dTd2ylacYNU&t=165s
stand by me のプロモーションビデオに PC-8001の英語版(?)が出てくるんですね。知らなかった。 おじいちゃん達、懐かしの8001用ソフトが配信されましたよ
https://ascii.jp/elem/000/004/179/4179543/
機種は8801になってるけど >>375
ほんとだ、びっくり
PC-8001Aかな 米BYTE誌で8001(8001Aでなく)の実機レビュー記事を読んだことがある 1982年5月号の特集「Japanese Computers」やな と思ったらその特集でレビューされてたのは8001Aだった、すまん >>381
日本で買って持ち帰り
読めない日本語マニュアルと格闘し
みたいな内容だったよ
だいぶうっすらとした記憶だけど
あの雑誌は何度かアキバレポートみたいな記事も掲載したよね
これは9801の頃かなホームシックに弱った心を直撃