X68000・FM-TOWNSユーザーが仲良くするスレ
YsをTOWNSに移植するなら98版流用でしょ
TOWNSのl機能は要らないのでFMR互換モードでもOK TOWNSは50万台出てるはずなんだが教育用除いた一般向けはどのぐらいかな? > YsをTOWNSに移植するなら98版流用
ファルコムが移植するならそうなるだろうが、
TOWNSのスペックならWin版とか移植できそう。 >>814
それだと486以降の機種じゃないと無理そう 後期の486・Pentumu機種ならWin95版がギリギリ動くんじゃないのか オレはX6800そのものより、そのOSを作ってるハドソンが大嫌いだった
高橋名人のしくじり先生を見て
あぁやっぱりそういう会社だったんだと思ったね Y'sってまともにやったことないんだけど機種間の差異ってそんなにあったの? ハドソンってテクモに話通さないで勝手にFC版スーパースターフォースの企画を進めて
コロコロコミックで発表して、テクモの社長に「何勘違いしてんだ!」って激怒されて
版権使わせてもらえなくなって「スターソルジャー」にしたらしいな。 製品作ってから版権貰いに行くの、全然珍しくない
今でもあるぞ それもあるある
タイトル発表して、画面まで出来てたのに発売中止とかね カプンコが御大との口約束でガンダムゲー作ったらバンダイに呼び出されて絞られてたなw
まあバカ売れしたから結果オーライだったが 「はぁ、はぁ、委員長、今日、危険日だって?
ふぅ、ふぅ、大丈夫だよ、ちゃんと外に出すから
はぁ、はぁ、ふんっ! うっぐ!(どぴゅっ!)
……はぁ、はぁ、委員長、中に出してるよ、僕の赤ちゃん妊娠して」
「嫌、バカバカ! 早く抜いて!!」
「ほら、委員長の子宮口に僕のがコツコツ当たってるの、わかる?」
「嫌! 早く抜いてよ!!」
「はぁ、はぁ、全部出したよ。委員長、受精してね」
「このキチガイ! 氏ね!!」
二ヶ月後
「妊娠したわ。碇君、責任取ってくれるんだよ……ね?」
「え、僕、知らないよ。産むのは勝手だけどさ」 TOWNSは登場が遅かったのが残念でしたね、早くしようもないですけど
X68が登場し、半年後PC-E、一年後メガドラときて、二年後初代TOWNS
そしてその翌年の1990年にDOS/V、F-ZERO引っさげてスーファミが登場し、PC-EやメガドラのAfterBurner2も発売
初代TOWNSでもたついている間に、PC98かAT互換機とゲーム専用機の方がよくね?って雰囲気に・・・ AT互換機が日本で地位を得たのはWindows95以降
1990年頃なんて誰もDOS/Vには見向きもしてない >>826
そもそもX68000の登場を見て富士通の技術者が悔しがったところがTOWNS開発プロジェクトの発端だからよく2年で発売したもんだと思うよ
開発期間短縮のためFMRをベースにしたり血の滲む努力が感じられる そのあと数年でX68000の出荷台数を超えちゃうのがエグい >>826
広島だと1990にはダイイ○電気でDOS/V普通に売ってたよ
>>829
やっぱ教育機関に大量納入が有効だったんだろうか
アレで勉強してDOS/V以降に経験を活かせた生徒の数って如何ほどじゃろ 教育に活かせた数は全員じゃね
まずパソコンがどういうものか、理解するのが目的だからね
小学生でもスマホを持ってる今とは違うのよ 教育機関にTOWNSが受けたところは、CD起動で媒体が壊れにくいところ
GUI主体のエデュケーションソフトが多数出てたところ
フロッピーでやってた頃は、とにかく教師側の負担が大きかった
TOWNSのソフトが教室のテレビでも使えるようにマーティーも開発された
あれ失敗したゲーム機扱いだけど、教育機関ではかなり売れた >>830
あのIBMがTOWNSエミュレータを開発するくらい売れたみたいだね >>827
Windows 95以前に自作機作ってたし、メーカー製だってGateway2000とか売れてた 大学だと80年代からレネゲイド以降のIBM-PC互換機を使ってたよ
386機は流石に1988以前には見掛けなかったけど286機は置いてた
教授クラスだと理系文系を問わず英語に不自由せんかったからね >>835
売れてたって言うGateway2000、98と比べてどれくらい売れてたの? 別に98と比べなくていいが、台数がどれくらい出てたの? >>835
Gatewayの日本進出は1995年なんだが
95年以前に、GatewayのPCをどこか輸入代理店が売って、しかも売れてたって凄いなー 個人的な購入やら産業用途やら付き合いやら、ポスト98に備える各メーカーの研究用やらでは……
1990年頃の市場規模としてはTOWNES以下だったと考える、流石に68よりは大きかったとは思うけど Gateway2000は人気で、個人輸入やショップによる輸入が多かったので日本法人が出来たのですよ
そりゃPC-98に比べれば微々たるものでしょうけど、DOS/V機はV-TextやWindows 3.0/3.1で安価で大画面が使用できたのでパワーユーザーは結構手を出してました
あと実は当時のPCのシェアはPC-98は50%程度だったりします >>843
Gateway2000が人気で個人輸入やショップによる輸入が多かったって、数字的にどれくらいなの?
個人の置かれてる環境で感想は変わるので、そこは具体的な数字が無いと 機種乱立してたってのもあるが、PC-98が国内シェアトップになった時、40%弱だったはず。
37%だったかな?
国外メーカーの独自アーキテクチャのシェアが減ってその分PC-98がシェア伸ばしていく、というのが93頃まで続いてWindows3.1以降に互換機が増加してきてWindows95で互換機の増加に拍車がかかった。 互換機ってざっくり言われるけど、実際ダントツで売れて98に引導を渡したのはたのはFMVデスクパワーなんだよな Windows3.1から95のあたりだとGateWay、COMPAQ、Dell、HPあたりも上陸してきたころだな
異業種参入が流行っていろんなメーカーも参入してきて、ハマポーシャのように怪しい組織が金儲けでやってたりとか
個人輸入で香港や台湾から調達より国内でメーカー品買った方が安くつくようになってきたのが93年?94年? それぐらいの時期だったような DOS/V MagzineやらDOS/V POWER REPORTの創刊が1991年末なので、早い人はそのくらいからAT互換機に手をだしてんだろうが、会社にあったFMVでOS/2動かしたのが94年くらいだったかな。Windows 3.1は不安定でOS/2 warpでシステムを組んだ記憶がある 秋葉原のマハーポーシャがアキバの路地裏でビラ配りしてたのは覚えてる。オウムが母体という認識はそのころからあったけど、まさかテロを起こすとは想像してなかった。地下鉄サリン事件が95年か >>845
数字は出せないけど日本法人をわざわざ作る位は売れてたということ
Gatewayが人気というのは当時の雑誌の記事になるくらいではあった
92年にコンパックショック、93年に富士通がFMV出してデルも日本法人つくってる
94年に富士通はシェアがあがってる
ようするにWindows95より前にNECの牙城は崩れつつあったという事 >>844
IBMのPS/55、富士通・松下のFMR、東芝のJ-3100
当時は個人向けより業務用のPCの出荷量が多いのです
まあ今でもですが
Appleは1割未満と思われる >>813
日経パソコン1996年1月29日号「FMV-TOWNSの登場」に
「現在までの累計はようやく50万台に達したところだ」
「累計約50万台のうち、3割に当たる約15万台が教育向けに販売されたものだ」
とある いや、家庭用。販売ルートが違う
あと法人はFMR買うから X68k欲しかったな。
Townsはそこそこ中古の出物があってそのせいか安い(でも古い)のが手に入ったけどX68は安い中古のタマが少なかった。
専用ワープロ(または98)メインのユーザーがセカンド機として買うにはちょっと微妙だったな