無意識という言葉が使われる際、2つの意味に分かれる。
一つは表層には出てこない意識作用、こちらは正確には潜在意識、深層意識という。
意識は、最終的には言語及びイメージで把握記述できる。
もう一つは言語、イメージや言語化出来ない情報の拡がりの領域。
生命維持などはほとんど無意識領域での情報処理によって行われ
我々がその働きを意識するのは、例えば胃が痛くなって初めて胃の場所が
判る、というようにその働きの正常性が失われて意識を向けざるを得ないとき。

今まで無意識は生存状態の現状維持、意識が新たな意思決定に関わっていると
おもわれていたが、新たな仮説が出てきた。
それが無意識による、意識決定仮説。
これはある実験により導き出されたモノだが、これによると無意識が
全ての意思決定をしており意識はそれを追認しているに過ぎない、というもの。
この辺を分かりやすく意訳すると、我々の生存行動は車の自動運転のようなもので
概ね妥当なところで意思決定をしている。
では意識の役割は何かというと、どこを評価して追認するのか、という部分。
無意識の意思決定追認のスポットライトの位置決めや評価焦点の強弱。
たぶん意識による追認の仕方が次の無意識の選択行動に反映される。

よく心理学のカウセリングなどで心理分析が病態を作り出す。
ということがあるらしいが、意識の言語表現やイメージの拡がりが
全てだと決めつけてしまうと、無意識の妥当な自動運転を阻害してしまう
恐れがある。
よく主義主張や思想、宗教に凝り固まった人間より、ノンポリな一介の市井人
のほうがまともに見えてしまうのはこういう故かも 知れない。